- 続・コックローチ 第二部
帆乃香の娘・美音も遂にコックローチになる時が来た。
異星人・珍柿の不審な行動。
カジノ法案成立を揶揄して新たに書き下ろされた
「カジノを舞台とする事件」を経て
遂に望をも圧倒する「最強の剣」の使い手が出現。
「今の技は『海鼠の嚏』だ!」
「新・コックローチ第三部」を上回る壮大なスケールと奇想天外なストーリー展開に
こうご期待。
目次
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続・コックローチ「憾悔編」
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コックローチ劇場版3「星空会戦」
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- 「ジコマン・アイ!」
帆乃香は珍柿によって装備された自分の左目と左耳の機能テストを行っていた。帆乃香の左目の画像が見る見る拡大されていく。東京湾を航行する船舶の艦橋にいる船員の腕にはめられている腕時計の文字盤の数字さえもはっきりと読むことができた。
さらに。
「ジコマン・イヤー!」
左耳のマイクの志向性が強まっていく。それまで聞こえていた近くに音源を有する周囲の音が消え、照準内の音のみが大きくなる。これまたテストでは展望台のガラス過ごしであるにも拘わらず、幕張にいながらJR津田沼駅前で立ち話している主婦の会話をはっきりと盗聴することができた。
新・銅鐸の塔の展望台から帆乃香はこれらの機能を試したのだった。
「これならば、使えそうね」
※
東都芸術大学。
そこはマンガ・アニメをはじめ絵画、彫刻、クラシック音楽など幅広い芸術を学ぶことができる美術系大学。かつては樹音や勇気も在籍していたこの大学に今年の春から美音が在籍していた。
そして今日は秋の文化祭。
「えっ、私も出るの?」
美音が出ることになってしまったのは「ミス東都芸大コンテスト」。友達が勝手に応募してしまったため、美音も出場する羽目になったのだ。
「優勝、間違いないって」
「私は無理よ」
美音は実に謙虚だ。
「だって私は見ての通り、背が低いんだもん」
美音は帆乃香ではなく一磨の血を色濃く受け継いだようで、身長は150cmに届かなかった。
だが。
「えっ、私が?」
それでも見事、美音がミスに輝いたのだった。確かに美音は身長が低く小柄ではあったが、コークボトルのボディラインは実にセクシーであった。そして何といっても顔がかわいい!小柄で童顔という「子供っぽさ」と、セクシーなボディという「大人っぽさ」の両方を併せ持つ美音がミスに輝いたのは至極当然のことであった。
二本の触覚が生えた王冠を被り、アゲハの羽をモチーフにした外套を纏い、高台の上に用意された「蝶の女王」の椅子に座る美音。
「恥ずかしいよう」
頬を赤く染め、その頬に両手を添える美音。その仕草がまたまた、かわいい。
こうした謙虚さを美音が身につけたのは帆乃香の教育もあるが、それ以上に澄子の存在があったからだ。美音はあらゆる面で「自分は彼女に劣る」と思っていたのだ。
そんなことはない。きみはとってもかわいいよ、美音。
そんな美音の姿を見学に来ていた学生たちが羨望の眼差しで眺める。だが、その中に羨望とは明らかに異なる視線を注ぐ「6つの眼」があった。
「フン、なにさ」
「今に見てなさいよ」
「目にもの見せてやるわ」
6つの目は憎々しげに美音のことを眺めているのだった。
数日後。
「さよならー」
校門で友達と別れ、ひとり別方向へと歩く美音。
空は既に赤く染まっていた。秋の日は釣瓶落とし。美音は最寄り駅へと急ぐ。
「私たちに付き合ってくれるかしら」
突然、美音は3人の女たちに取り囲まれてしまった。その顔に美音は全く見覚えがなかった。それもその筈。この3人は松子、竹子、梅子という単なる不良女子グループのお仲間である。たまたまミスコンを見学していて優勝した美音にムカついただけの話であった。
小柄な美音はまるで高い壁によって取り囲まれたようになり、周囲からはほとんど見えなくなった。
「ううーっ」
3人の女たちは有無を言わさず美音を後ろ手にして手錠をかけ、口をダクトテープで塞いだ。更にそうした行為が周囲にばれぬよう美音の体をコートに包み、口元を花粉用マスクで覆った。
「騒いだら、これで刺すよ」
松子が懐からナイフを取り出し、美音の顔の前に突き出した。
「んんー」
美音は首を縦に一回振った。
美音は女たちに取り囲まれて歩いた。その間、何人かの通行人と出会ったものの美音はナイフで刺される恐怖心から助けを求めることが出来なかった。
「ミスになんか選ばれるからよ」
「今度からは気を付けることね」
「といってももう手遅れだけど」
やがて、外からは決して中が見えない漆喰の高い塀の前にやってきた。美音は女たちと共にその壁に設置された通用門をくぐった。
壁の中は雑木林だった。その奥にピアノの練習室などによく利用される防音設備の整った小屋が立っていた。その大きさはかなりのもので、中の広さは、20畳はあるのではないだろうか。
女が防音の施された重い扉を開いた。
「さあ、中に入るんだよ」
美音は防音小屋の中へと入った。
小屋の中には学ランを着た薄ら笑いを浮かべる三人の男子高校生の姿があった。左から修、拓、亮。3人は全員ニッポン有数の名門私立高校に通う下音機の高校生であった。修は3年生で、拓と亮は2年生である。この防音小屋はそのうちの1人である修の勉強部屋であった。
6畳と12畳の二間から成るこの防音小屋は修の両親の自宅の敷地内にあった。資産家の息子である修が数年前「受験勉強に専念できる静かな部屋が欲しい」と強請って親に買ってもらったものだ。両親は息子の申し出に対し何ら疑問を抱かず、この防音小屋を購入した。だが、ここは修の勉強部屋であると同時に「拷問部屋」でもあった。防音は女性を連れ込んで拷問するにはうってつけの特性である。修は度々、女の子をここに連れ込んでは食べていたのだった。
「この女かい?ミスコンで優勝した女子大生ってのは」
「ええ、そうよ」
「どれどれ」
男を代表して、修が美音の口に貼られたダクトテープを剥がした。
「ほーう」
修は美音の顔を見た瞬間、感嘆の溜息を漏らした。今まで自分が食べてきた女の子とは明らかにレベルが違う。こんなかわいい女の子が現実に存在するとは。
「どう?気に入ってくれた」
「いくらだ?」
修はもう「絶対買う」ことに決めていたから、気に入ったかどうかなどには答える必要がなかった。
普段は「まあまあだな」とか,いろいろと難癖をつけてくる修が即座に値段交渉に入ったことに3人は驚くと共に、これなら「かなり高い値段がつけられる」と感じた。
「100万よ。一円だってまけないわよ」
確かに、美音は今まで捕まえてきた女の中で最もかわいいから当初は「30万円で売ろう」と思っていたのだが、修の様子から値段をふっかけてみたのだ。勿論,この値段で「売れる」などとは思ってもみなかったのだが・・・。
「よし、わかった」
修は即金で100万円を支払うと決めた。普段は10万円だから、その10倍もする美音に対し、修は少しも「高い」とは思わなかったことになる。「それだけの価値は充分にある」と修は判断したのだ。
「ほら、100万だ」
「これで、この女はあんたたちのものよ」
「ほら。さっさと出ていけ」
「わかったわよ」
3人の女たちは、ほくほく顔で小屋を出て行った。小屋にいるのは3人の男子高校生と美音の4人。
「そらよ」
男子高校生たちは後ろ手に手錠を嵌められた美音を防音部屋に置かれたダブルベッドの上に放り投げた。
「私をどうする気なの?」
美音の質問に対し、修、拓、亮の3人は順番に次のように答えた。
「俺たちはニッポン一の名門私立高校に通うインテリ学生よ」
「俺たちの目に止まるなんて、あんたは実に運がいいねえ」
「今日のことが出会いとなって俺たちの誰かと結婚すれば、あんたはインテリ家庭の奥さんになれるんだぜ」
これら現役高校生たちの自画自讃に対し、恐怖の余り状況を分析する能力を欠いた美音はあまりにもストレートに反論してしまった。
「パパが言っていたわ。名門絞に通う学生というのは所詮、学歴社会に何の疑問も抱くことなく黙々と受験勉強に取り組む本当は『頭の悪いおバカ』なんだって。しかもこういう人たちは、名門大学に進学、卒業後は一流企業に就職して『上から目線』で庶民をバカにするようになるんだって。でも、庶民をバカにする方が本当はバカなんだって」
この一言が、インテリ高校生たちの「逆鱗に触れた」ことは言うまでもない。「自分は頭がいい」と思っている人間にとって「バカ」と罵られることほど腹が立つものはないからだ。
「こいつ。言わせておけば、つけあがりやがって」
つけあがっているのは、こいつらの方なのだが、タカビーは「自分はタカビー」とは思わぬものだ。
「予定変更だ。お前には『とっておきの拷問』をやってやるから覚悟しろ。拓、亮。こいつを奥の部屋に連れて行くぞ」
こうして美音は曲がりなりにも綺麗なシーツでメイクされたフカフカのダブルベッドから立たされて、直ちに隣の部屋へ移動させられたのだった。
「こ、これはーっ!」
隣の部屋の中を見た美音は顔を青ざめさせ、全身をブルブルと震わせ始めた。そこはダブルベッドのある勉強部屋とは一転。誰が見ても一目でわかるくらい「拷問部屋」の装いを持つ部屋であった。木の板でできたベッド。そして本来であれば枕がある場所にあるのはギロチン台。木のベッドには勿論、大の字に拘束するための枷が装備されていた。
こんなところに磔にされたら絶対に逃げられないことは美音にもすぐに判った。
「いや、許して!」
美音の激しい抵抗が始まった。必死に暴れる美音。
「大人しくしろ」
修の平手打ち。
「ああ」
美音の抵抗が弱まる。その隙に木のベッドの上に仰向けに磔にされてしまった。頭の真上でギロチンの歯が不気味に光る。いつ落下してくるかも知れないギロチン。美音は怖くてたまらない。
「さあ、これを口に咥えるんだ」
修が麻縄を口元へ持ってくる。その麻縄は三つの滑車を経由してギロチンに繋がっていた。麻縄が口から離れたとき、ギロチンの歯が容赦なく美音の首に落下するのだ。
修は有無を言わさず美音の口に麻縄を咥えさせた。
「怖いか?美音」
「ううー」
「死の恐怖の中で『最高の快楽』を楽しませてやるよ」
「これは俺たちの頭をバカにしたお前の自業自得なんだからな」
ということで、三人が所定の位置につく。修は足の下、拓は右。亮は左。
「顎の力だけは抜くなよ。でないと頭と体が分離しちまうぜ」
そして始まったのは「擽り責め」であった。まずは修が美音の足の裏を、コチョコチョと擽り始めた。
「!」
それに対し、美音は敏感に反応した。直ちに全身をくねらせる。
「うぐうっ」
「ほらほらほら」
「うぐうーっ」
必死に耐える美音。
「よし。お前たちもやれ」
待ってましたとばかりに、拓は右の脇の下と脇腹を、亮は左の脇の下と脇腹を擽り始めた。
これはたまらない。全身、汗まみれになって耐える美音。
「今更、後悔したって遅いぜ」
「俺たちをバカにした報いだ」
「そらそらそらあっ」
10分も続いただろうか。
そして。
擽ったさに耐えかねた美音が口を大きく開いて笑った瞬間。
ギロチンが美音の首めがけて落下した。
※
「私、生きてる」
美音は死んではいなかった。このギロチン台はダミーで、歯は初めから首の手前までしか落下しない仕組みになっていたのだ。
美音の呟きを耳にした三人は驚かずにはいられなかった。
「こいつ」
「まだ」
「正気だぞ」
予定では、美音はギロチンの落下の恐怖で精神が崩壊しているはずであった。だが美音の精神は壊れてはいなかった。さすがは帆乃香の娘だけのことはある。
このままでは拙い。警察に通報でもされたら、自分たちは捕まってしまう。
三人は取り敢えず、今日のところは、このまま美音をここに拘束し続けることに決めた。
翌朝。
美音が目覚める。自分以外には誰もいない。美音は自分が昨日と同じ状態にあるのを理解した。
「に、逃げなきゃ」
だが、それは無理であった。必死に藻搔いては見たものの結局、逃げ出すことはできないまま、やがて修たちがやってきた。しかも一人増えて。その男は三人の現役高校生が憧れるニッポン有数の名門大学の現役大学生だった。見るからにモテなそうな現役大学生がまじまじと美音を眺める。
「実にいい女やないかい」
関西弁。
「おはようさん。わては哲いいます」
挨拶後、哲は自分の鞄の中からヘルメットとバッテリーを取りだした。ヘルメットを美音の頭に被せ、ヘルメットとバッテリーをワイヤーで繋ぐ。
「ほな、いきますで」
バッテリーのダイヤルが回された。高圧電流が美音の頭蓋骨に流される。
「あーっ!」
美音は頭に激痛を感じた。
何て奴らだ。高圧電流によって美音の脳細胞を破壊、廃人にしようというのだ。
「あーっ!」
大声で叫ぶ美音。眼に無数の火花が散る。
このままでは、美音の精神は崩壊してしまう。
「頭が、頭が割れるーっ!」
帆乃香は美音をコックローチにはしなかった。美音には「自分のような不幸な体験」をさせたくはなかったからだ。なのに今、美音はかつて帆乃香が味わったのと同種の苦しみを体験していた。周りがどんなに気をつかおうが、帆乃香の娘である美音には「コックローチの宿命」から逃れることなど絶対にできはしないのだ。
激痛に見舞われる美音の脳裏に聖斗の姿が浮かんだ。この場で最愛の男性の姿が頭に浮かんだということは美音の死が目前まで迫っていることを意味していた。
だが、その聖斗は澄子のことが好きで、自分のことなんか全く眼中にない。今、自分がこんな辛い目に遭っていることも勿論、知らない。
誰も助けに来ない。来るわけがない。
(聖斗・・・私・・・もう・・・だめ)
美音が「廃人になる瞬間」を迎えようとしていた、その時。
この時間、開く筈のない防音扉が突然、開いたかと思うと外からトランプカードが手裏剣のように飛んできた。
「うわあ」
「ぐわあ」
「ぎゃあ」
「ぎょええ」
4枚のトランプカードが4人の頸動脈を切り裂いた。哲、修、拓、亮の4人は全員、首から鮮血を勢い良く噴き出しながら、その場で息絶えた。
「メロ、大丈夫か!」
防音扉から中に入ってきたのは聖斗だった。聖斗は直ちに美音の拘束を解いた。
「聖斗・・・聖斗ーっ!」
美音は聖斗に抱きついた。
「うわああああん!」
今まで恐怖と凌辱と苦痛の時を終えた美音は、それまで必死に耐えていた分、一気に理性をかなぐり捨てて、聖斗の胸の中で泣きじゃくるのだった。今の美音にとって聖斗は紛れもない、自分を助けに来てくれた「白馬の王子様」だった。美音はやはり自分は聖斗のことが好きなのだと、この場ではっきりと理解したのだった。
4人の誤算は美音を昨日のうちに開放しなかったことに尽きる。仮に美音をその日のうちに開放していれば、恥ずかしがりやで人一倍羞恥心の強いお嬢様気質の美音は誰にもその日のことを話さなかったに違いない。そしてもう一つの誤算はやはり何と言っても美音の家族が「コックローチである」ことを知らなかったことだ。普通であれば、仮に警察の捜査が始まっても防音小屋に捕らえられた美音の発見は不可能だっただろう。帆乃香の左耳が美音の声をキャッチ、左耳が高い塀の向こうにある防音小屋の中を透視した結果、僅か2日で事件は解決したのだった。
※
新・銅鐸の塔。
「この度、コックローチに入ります、美音です。宜しくお願いします」
メンバーたちの拍手。
帆乃香は以前の時とは異なり今回、美音に記憶を消す薬を使わなかった。美音ももう大人。嫌な記憶を消去するよりもコックローチとして遇する方を選択したのだった。
「お母さんに似て、これはこれは『めんこい娘』じゃのう」
そう言うのは、銅鐸の塔に居候している珍柿。
「へへへ。ありがとう、おじいちゃん」
ルックスを褒められて、美音もまんざらではない様子。今回の事件で美音は「自分は異性から見て結構、魅力的なんだ」ということを知った。
「早速だけど、美音に初任務を与えます」
「はいっ」
「美音は澄子とふたりで・・・」
4人の死は超法的手段によって「ドライブ中の事故死」として処理された。
この事故の記事を見た松子、竹子、梅子の3人の女子大生たちは4人の死を「あいつら、いいカモだったのに」と残念に思っていた。
その3人が、人気のない通りを歩いていた時のこと。
「なに、この音?」
「これって」
「金管楽器の音よね?」
突然、3人の耳に金管楽器の音色が聞こえて来た。3人は音の鳴る方を向いた。
「あっ」
「あんたは」
「あのときの」
金管楽器の音色の正体はトロンボーンだった。そして、トロンボーンを吹いていたのは美音だった。
「あの時は随分と、お世話になったわね」
「美音!」
「どうして」
「ここに?」
美音は何も答えない。そして顔には笑みを湛えていた。
美音の笑みを見た3人は、はっと思った。
「まさか、あの4人が死んだのは?」
「事故じゃなくて」
「お前が!」
美音の笑みが真剣な表情に変わった。
「今日は、あの時の借りを返しに来たわ」
3人は一瞬、恐怖を覚えたものの、直ちに心の中で「バカじゃないの、この女」と笑った。相手はたったのひとり。それも見るからに腕力など無さそうな小柄な女。対するこちらは3人もいる。
「ノコノコ私たちの前に現れるなんて」
「また捕まえて、男に売ってやるわ」
「私たちの『お客』は沢山いるのよ」
松子は手錠を、竹子と梅子はナイフを手に持った。
「これで、あんたの自由を奪ってあげるわ。美音」
美音はトロンボーンのホーンの中に消音装置を填め込んだ。
3人が美音に襲いかかる。
美音はトロンボーンのホーンを3人に向けた。
「ブーッ!」
美音は勢いよくトロンボーンを吹いた。高いドの音とともに消音装置の中から無数のダーツの矢が拡散しながら飛び出した。矢は3人の全身に突き刺さった。
「ぎゃあああ!」
3人は絶叫を上げ、やがてその場で息絶えた。
「どう?私ひとりで充分だったでしょう」
陰で美音の闘いぶりを見ていた澄子が美音のもとにやってきた。万が一の時には澄子が助ける手はずだったのだ。澄子は正直、美音の手際の良さに脱帽していた。
「さすが、局長の娘さんね」
澄子は、そう言うのが精一杯だった。
「へへへ」
美音は、こうして初仕事を無事に終えた。そしてこれは事実上、美音と澄子による「聖斗をめぐる恋の争い」の幕開けであった。半ば、聖斗のことを諦めていた美音だったが、自分も同じ土俵の上に立ったことで、澄子とのバトルは「振り出しに戻った」と感じるのだった。
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もともとイリオモテ&ツシマの両ヤマネコ以外には猫の存在しなかったニッポンに奈良時代、交易船に乗って中国大陸から今日「ニホンネコ」と呼ばれている猫がニッポンに渡来して以来、ニッポン人と猫は互いに仲睦まじく共生してきた。明治時代や平成末・令和時代など、ニッポン人の多くが「中国蔑視感情」に汚染され、中国に関連するあらゆる事物を卑下するような時代にあっても、中国から伝来した猫はニッポン人にとって「かわいい友達」であり続けた。
その強固な関係が今、壊れようとしていた。
地球温暖化、自然破壊、軍拡競争・・・これら人間によって引き起こされている地球に対する負荷の数々を、もしも猫が「認識できるようになった」としたら?
猫が人間と仲良くすることなど、絶対に「あり得ない」であろう!
※
新・銅鐸の塔。
帆乃香が勇気に質問する。
「珍柿は何をやっているの?」
「部屋で絵を描いているみたいですよ、局長」
「ふーん、覗いても大丈夫かしら?」
「大丈夫じゃないの?」
ということで、帆乃香は銅鐸の塔の一室に住み着いた珍柿の様子を伺いに珍柿がいる部屋を訪問することにした。
コンコン
「ドアは空いとるよ」
帆乃香はドアを開けた。
「ちょうど今、絵を一枚描き終えた所じゃよ」
壁には何枚もの絵が立て掛けられていた。
「珍柿」
「なんじゃ」
「あなたが地球に戻ってきた理由、本当に絵のためなの?」
「なんじゃ、あらたまって」
「他に何か理由があるんじゃないの?」
「さあな」
どうも怪しい。どう考えても怪しい。どこから見ても怪しい。
珍柿は自分が描いた絵の話を始めた。
「こちらの絵は、前にここに飾ってあったやつのコピーじゃから、そなたも知っておるな?」
「ええ」
その絵は富士山と西富士宮市街を背景にした若い女性の上半身像で、なぜか男性用の黒いカーディガンを着ている。
「せっかくじゃから他にも、いろいろ描いたんじゃよ。こちらの絵は潤井川に架かる橋の上から眺めた中里山を背景にしたものじゃ。そして、こっちの手に杓文字を握った青い背景のやつは弁当屋のポスターからの借用で、緑の背景のやつはステージで歌を唄っているシーンをストップモーションで捉えたものじゃ。まだあるぞ。こいつは地方のステージで唄っているときのもので、右腕を前に突き出したこの振り付けのポーズを見ただけで、彼女のファンならば唄っている曲が何なのか一発でわかる」
どうやら珍柿は真実を語りそうにない。帆乃香は部屋を後にした。
このように帆乃香が珍柿を疑うのはジコマンコンピュータを何者かがいじった形跡を頻繁に確認するからだった。といっても具体的な証拠があるわけではない。防犯カメラには何も映ってはいない(珍柿が犯人なら防犯カメラの映像を消去するくらいわけがない)のだから。だが、帆乃香は自分が普段、利用する場所だけに、ほんの少しでも変われば直ちにそれを感じるのだった。
(誰かがジコマンコンピュータを操作している。そしてそれは間違いなく珍柿)
それが帆乃香の核心であった。
その日の夜。
誰もいないコンピュータルームに何者かが入り込んだ。
「ジコマンコンピュータ起動」
鈴(りん)を叩く。その音に反応して蝋燭が点灯。
ジコマンコンピュータが起動した。
今までのジコマンコンピュータは大きな黒い冷蔵庫がフロアに沢山並べて置かれているような代物だったが、今回のジコマンコンピュータは外観からして異なっている。コンピュータルームはいわゆる「仏間」である。須弥壇に置かれた睡蓮の花弁をモチーフとする台座の上に載せられた「銅鐸の塔のミニチュア」がジコマンコンピュータ本体。ミニチュアといっても高さは3mもあり、須弥壇と台座を合わせた高さは5mにもなる。そして作動時には窓ガラス部分に該当する胴の部分がランダムに白く点滅する。
「どうじゃ、あやつは見つけられた?」
「まだです。発見できません」
「そうか。急いでくれ、急がないと拙いことになるかもしれんからの」
「『拙いこと』って、どんなこと?」
「な」
コンピュータルームの入り口には帆乃香が立っていた。
「やっぱり、あなただったのね。珍柿」
ジコマンコンピュータを操作していたのは帆乃香の見立て通り、珍柿だった。
「観念するんだな」
「話によっちゃあ、ただじゃあ済まないぜ」
烈と勇気も帆乃香の後ろから入ってきた。
珍柿の片腕であるサラとエリスは、ここにはいなかった。チェリーとともに富士市にあるクラゲドームの地下ドックに係留された宇宙戦艦の警備をしていたからだ。
「さあ、全てを話して頂戴」
「仕方あるまい」
珍柿は全てを白状することにした。
リビング。
「皆が疑う通り、儂は何も絵のために地球に戻ってきたわけではない」
「では、何のためなの?」
「猫じゃよ」
「猫?」
「そう、猫じゃ。猫を探しておる」
絵の次は猫だって?
「話を誤魔化さないで!」
「誤魔化してなどおらん。そやつを捕まえるために儂は地球に戻ってきたのじゃ」
「珍柿!」
「そやつはな、ただの猫ではないのじゃ!」
「ただの猫じゃ、ない?」
「そうじゃ」
その後、珍柿はこの猫に関する話を皆にした。
「まさか」
「それが事実なら」
「地球人類は猫に滅ぼされるかもしれない」
珍柿は皆の驚きを肯定するように頷いた。
「儂もうっかりしておったのじゃ。こやつを残したまま地球を去ることなど、できるわけがない」
手っ取り早く言えば、その猫は「オナラウッドの超科学力」によって改造された猫であった。
「で、見つかったの?」
「いや、まだじゃ」
「ジコマンコンピュータでも捕捉することができないとすると」
「手の打ちようがない」
「いや、必ず見つかる筈じゃ。見かけは普通の猫でも遺伝子は全くの別物。儂は遺伝子レベルでジコマンコンピュータに精査させておる」
「だから逆に時間がかかってるんじゃないの?そのような調査だと、いくら超高速計算のジコマンコンピュータでも一日に確認できるエリアは限られるわ」
「これ以外に手がないのじゃ」
「で、その猫の外見上の特徴は?」
「体の真ん中から左右白黒に色分けされていて、背中にΨ(プサイ)の記号が描かれておる」
「背中に」
「プサイ?」
勇気と烈には珍柿のジョークは通用しなかったようだが、帆乃香は直ちに理解した。
「遊んだのね?珍柿」
「『探すときにわかりやすい』という意味もあって、そうしたのじゃよ」
その後、帆乃香はふたりに背中にΨを背負った猫、即ち「シュレーディンガーの猫」に関するエピソードを語った。
「猫に毒リンゴとは」
「酷え話だな」
「仮説の実験よ。実際にやったわけじゃないわ」
「これが写真じゃ」
珍柿は一枚の写真を取り出した。その写真には確かに珍柿の説明通りの配色をした猫が写っていた。
「ほんとだ」
「信じらんねー」
オナラウッドの超科学力をもってすれば遺伝子操作によって毛の配色を変更するくらい、わけがない。
「随分と、おデブさんね」
「育ちがいいからの。見ての通り、儂と一緒にいた頃は首に蚤よけの首輪をしておった」
「天才猫でも蚤には勝てないのね」
「まあ猫じゃからな。自分の体を舐めたり、爪を研いだり、穴を掘って糞をするのも普通の猫と同じじゃ」
「わかったわ。こうなったら和希子様にも協力願いましょう」
「和希子様?誰じゃ、それは」
「とても頼りになる人よ」
帆乃香が首相官邸に一報を入れた。
「深夜に突然、すみません」
「帆乃香。さては事件ね?」
地球の情報に詳しい珍柿はモニターに映し出された人物の顔を知っていた。
「この方は!?」
「そう。この国の首相よ」
※
かくして、野良猫を片端から捕獲する作戦が決行された。動物愛護団体からは当然のように「反対!」の声が上がったが、利桜総理が「神のお告げです」と告げた以上は断固として行われたのだった。
反対を叫ぶ動物愛護団体は「自分たちの行動は断じて正しい」と信じて疑わない。同様に、猫が好きな人間は猫を見ると「可愛い」としか思わない。
だが、これが果たして「正しい行動」なのか?
地球環境は年々、猫にとっても住みにくいものとなっている。その原因は言うまでもなく人間にある。地球温暖化にせよ、大気の汚染にせよ、自然環境の減少にせよ、車との接触事故にせよ。こうしたことに対して、少しでも「後ろめたさのある人間」ならば猫を前にして、ただ「可愛い」では済まないはずだ。猫に向かって「こんな地球にしてしまってごめんよ」くらいの気持ちは持ってもいいだろう、というより持つべきだ。結局のところ、こうした気持ちを抱くこともなく「自分たちは絶対的に正義だ」と信じて疑わない動物愛護団体にしても、猫大好き人間にしても、今回の政府の対応とさして「変わらない位置に立っている」のだ。
現代人の罪深さは、例えば1000年前の人類の比ではない。現代の聖人は1000年前の殺人鬼よりも「悪人」である。なぜなら1000年前の殺人鬼は「人を殺しただけ」だが、現代の聖人は、ただ「場所を移動する」だけでも車や飛行機を乗り回し「地球環境の破壊」を助長してしまっている。もはや現代の地球には無条件に「この人は立派な人間だ」と呼べるような存在はいない。故に現代を「末法の世」と呼ぶのである。現代においては全ての人間に対し常日頃より「立派な人間になろう」という強力な意思と振る舞いが求められているのだ。
ともあれ「捕獲した猫は虚勢ののちに野生に返します」ということで、どうにか反対運動を鎮圧することができたが、そのための国家予算は莫大なものだ。
その後、無数の野良猫が捕獲されたが、珍柿が追い求める猫は、その中にはいなかった。
新・銅鐸の塔。
珍柿の顔は暗い。
「あやつの知能はIQ800じゃ。そう簡単には捕まるまい」
IQ800。要するに「Dr.フリップよりも賢い猫」ということだ。
「もしも、あやつが『人類は地球の敵だ』と感じるようになってしまったら、人類はおしまいじゃよ」
「そうなる可能性は?」
「極めて高いから、困っておる」
珍柿いわく、その根拠は次の通り。
「あやつの脳は、ただIQが高いだけではない。遺伝子操作によって感情中枢が極めて敏感に働くようになっておるのじゃ」
「というと?」
「つまり『正義感が人一倍強い』ということじゃよ。猫じゃから『猫一倍』といった方が正確か。まあ、そんなことはこの際、どうでもよい。その正義感の強さが人類を『地球の癌細胞』と結論付けさせかねないのじゃよ」
人間の脳も同様だ。感情中枢が正常に働いていない人間は私利私欲のみで生きるサイコパスになり、活発に働いている人間は正義感が人一倍強くなる。これは感情中枢が他人への同情やおもいやりといった心を左右する決定的な役目を果たしているからに他ならない。因みに感情中枢が働いていない人間は全ての物事を言語中枢を用いて打算的に判断することがわかっている。
ここで勇気が話に分け入ってきた。
「でもさ、どんなに『賢い』といったところで猫だろう?」
「バカのことを言ってはいかん!」
珍柿が一喝した。
「君らは知らんだろうが、宇宙ではネコから進化した人類の方がサルから進化した人類よりも遥かに多いのじゃよ」
「まじ?」
「自分もちょっと、いいかな」
ここで烈が話に入ってきた。
「なんじゃ」
「爺さんが地球を去ったのは何十年も昔の話だ。ということは当然、猫を改造したのはさらに『それより前』ってことだろう?とっくの昔に死んでいるんじゃないのか?猫は普通、何十年も生きない」
「この猫は特別じゃ。観察実験用ということで普通の猫よりも寿命を延ばしてある。恐らく300年くらいは生きるじゃろう」
「人間の倍以上、生きるのか」
ここで帆乃香が話に入る。
「ひとつ質問。さっきサルよりもネコの方が人類に進化した数は多いとか言ってたけど、ひょっとして、あなたも『猫が進化したタイプのエイリアン』なの?」
「儂は・・・そんなことは、今はどうでもいい」
「興味あるー」
「そうだ、まだひとつ聞いてなかったことが。その猫、名前は何というの?」
とある場所の地下。
そこには、まるでオナラウッド研究所を思わせる謎の機械が置かれていた。そして、その機械を操作するのは・・・。
「スイッチ、オン。ワン、ツー、スリー」
鈎状の爪と肉球を持つ毛深い手が、その機械のスイッチを押した。機械に電流が流れ、火花がスパークする。
そう。この機械を操っている者こそ、珍柿が探し求める猫。機械は一見すると電子レンジのお化けようであり、扉の窓からは光が漏れていた。そして扉の中には何かが入っていた。
「よし、終了」
5分ほどで機械は停止された。猫は扉を開いた。すると中から一匹の猫が出てきた。
「私の言葉がわかるか?」
「はい、わかります」
なんと。電子レンジのような機械の中から出てきた猫もまた珍柿が探す猫同様、日本語を話すのだった。この機械は猫の知能を人間のレベルにまで向上させる装置なのだ。無論、珍柿が探す猫が自分の手で造ったものだ。
さすがはIQ800!その発明の才は人類を遥かに超越する。背中のΨ記号は伊達ではない。「地位や名声を胸に飾れば『驕り』となり、背中に負えば『誇り』となる」という格言はやはり事実のようだ。
「生まれ変わった気分はどうだ?」
「とても気分がいいです」
「君は今から私の『同志』だ」
「はい。ところで、私を改造してくださったあなた様を『何』とお呼びすればよろしいのでしょう?」
「ドクターで構わんよ。ドクター・マカロニャン。私は天才科学者だからニャー」
最後に「ニャー」というあたりに、まだ猫の痕跡が残っている。勿論、外見は猫そのもの。
「君はまだ改造を終えたばかりだ。暫く仲間たちと一緒に休んでいるがよい」
「はい」
仲間たち、だと?どうやら既に多くの猫を改造しているらしい。それよりも一体全体、何を目的に猫を改造しているのだろう?まさか、珍柿の恐れていたことが「現実になろう」としているのか?
「ニャニャニャニャニャ」
不敵に笑うドクター・マカロニャン。今後はマカロニャンと呼ぶことにしよう。
「ニャー(次)」
マカロニャンは猫語で次の猫に指示を出した。
「ニャニャニャー(この中に入れ)」
次に改造を受ける猫が、装置の中に入った。
「マカロニャン?」
「そうじゃ」
「それってまさか、マカロニと猫を合体させた『ゆるキャラ』じゃないよな?」
「違うわい」
「でも、ネーミングとしては、かなりダサいぜ」
「エイリアンの名前のセンスって、よくわからないわ」
※
東京、上野。
「タマー、タマー」
一人の少女が自宅で飼われている猫を呼んでいた。
「あっ、タマ」
少女がタマに駆け寄る。少女はタマを抱きあげた。
「どこへ行ってたのタマ。とっても心配したのよ」
少女に頭を撫でられるタマ。
このタマ。実は2時間ほど前、マカロニャンの改造を受けた猫であった。一旦、地下の研究所を抜け出して自宅へ戻ったところであった。タマは、今までは「雰囲気」で感じていた自分の飼い主の「言葉」をこの時、初めて理解することができた。
(飼い主様は自分がいなくなったことを心配されているのだニャ)
「タマ、もう今日は遅いわ。外出は止しましょう」
既に空は夕陽の赤色に染まっていた。少女はタマを抱いたまま、家の中へと入るのだった。
翌朝。
タマは地下の研究所へと戻った。
「あれ?みんなはどこだニャ?」
そこは既に、蛻の殻になっていた。改造を受けた猫たちは全匹、どこかへと移動してしまっていたのだった。タマは要するに「取り残されてしまった」のだった。
「しまった。家に戻っている間に自分だけ置き去りにされてしまったニャー」
猫たちは一体全体、どこへ行ってしまったのか?タマが猫でなく犬であったならば、鼻で匂いを嗅ぎ分けて後を追えたかもしれない。だが猫のタマにそれは不可能だった。
「仕方がないニャー」
タマはご主人様のいる自宅へと引き返すのだった。
その頃、猫の一団はマカロニャンを先頭に一路、九州を目指していた。
「急ぐだニャー、走るだニャー」
猫たちは数日をかけて漸く目的地である佐賀県に到着した。見るからに厳重そうな壁に囲まれたコンクリート製の大きな建物。そこはニッポンで唯一の「ウイルスに関する専門の国立研究所」だった。
「皆の者、今からこの建物を襲うんだニャー」
「ニャー!」
全員で鬨の声を上げると、猫たちは次々と塀を乗り越えた。人にとっては乗り越えることの困難な塀も猫にかかれば、あっという間だ。
「な、何だ?」
警備室の警備員の前に猫の集団が群がる。
「うわああああっ!」
警備員が猫に襲われた。
更には。
「きゃあ」
「うわあ」
研究所内の研究員たちも次々と猫に襲われていった。その間、マカロニャンは一匹、別行動をとっていた。
「どこだニャー」
廊下を歩く。
「あったんだニャー」
そこは人類にとって最も危険なウイルスのひとつである「エボラ出血熱ウイルス」が保管されている部屋だった。勿論、入り口には暗証番号を入力するタイプのセキュリティシステムが設置されていた。
だが。
「こんなの、子供騙しなんだニャー」
IQ800のマカロニャンからすれば、こんなセキュリティの解除などチョチョイのチョイならぬニャニャンのニャンだ。かくしてロックはいとも簡単に解除され、扉が開かれた。
「あったんだニャー」
マカロニャンはエボラ出血熱ウイルスが封じ込められた試験管形の強化ガラス製ケース1本を口に咥えた。マカロニャンが何を考えているのかはわからないが、もしもこのガラス管が東京のど真ん中で割れた場合、東京都民1000万人は全滅だ。
「退却なんだニャー」
こうしてマカロニャンと猫の軍団はエボラ出血熱ウイルスを封じ込めたガラス管を見事に奪い去ったのである。
翌日、ニッポン国民の間に起きた「パニック」について、あらためて語る必要はない。
「エボラ出血熱ウイルスが盗まれただって?」
「ニッポン政府は何をやっていたんだ!」
「ひょっとして俺たち全員、殺されるのか!?」
こうしたパニックを鎮めるのは並大抵のことではない。オイルショックの時の「トイレットペーパー買い占め騒動」など、ただでさえニッポン人は異常事態の時に冷静さを著しく欠く。かくして空港や港には海外に逃げ出そうとするセレブ達が先を競うように集まり、渋滞を引き起こしていた。また海外に逃げられない一般民衆の間ではガスマスクを買い求めての争いが起きていた。全国の小・中学校が「臨時休校」を決めた。多くの商店やスーパーも「お客様の安全を確保できない」という理由から閉店するという有様だった。そして普段は「どこからこんなに集まるんだ?」と言いたくなるほど人だらけである銀座や秋葉原も今日はまるでゴーストタウンのように閑散としていた。
銅鐸の塔。
「やってくれたぜ。マカロニャン」
「IQ800というのは嘘ではないようね」
「だが、これで探しやすくなったわ」
「というと?」
「今まではマカロニャン一匹を捜索していたけれど、これからは猫の一団を探せばいいからの」
「そうか、成程」
「で、成果は?」
「帆乃香」
帆乃香がモニターを表示する。帆乃香は既に大量の猫が発する熱源を探知していた。
「これって」
「まさか」
モニターに映る光点のある場所は・・・。
「そう。『上野』よ」
15
それまで暗かったトンネルの中がヘッドライトに照らされて明るくなる。やがて轟音とともにスカイライナーSがやってきた。照明も人影もない地下駅のホームを通過する。そのホームには柵が設けられていた。その柵の裏側に無数の猫たちがいた。ここが猫たちのアジト。かつて「博物館動物園前」と呼ばれていた、現在は使用されていない駅だ。
スカイライナーSが去り、廃駅に再び暗闇が訪れた。
この廃駅は地上の出入り口が洒落ている。ちょっとした「宮殿風」なのだ。下から見上げる天井などは、まるでハドリアヌス帝によって建設されたローマのパンテオンの様だ。その円形ドームの真下にマカロニャンが座り、地下のホームへと続く階段には他の猫たちが座っていた。
「皆の者、よくやった」
「ニャー!」
「我々は遂に地球を破壊する愚かな人間どもを懲らしめるための手段を手に入れた」
「ニャー!」
「このエボラ出血熱ウイルスをまき散らせば、この大都会に暮らす人間どもは皆、死滅することになる」
「ニャー!」
「作戦の決行は三日後。取り敢えず、それまでは地上で怯える人間どもの姿でも観察してやろうではないか」
「ニャー!」
タマの自宅。
朝食の時間、タマはその家の一家が食事を摂るダイニングテーブルの下で食事をしていた。そんなタマの耳にテレビの音声が飛び込んできた。
「エボラ出血熱ウイルスを封じ込めたガラス管が、何者かが操る猫の集団によって奪われました」
「ニャ?」
そのテレビの音声はタマを驚かせるには充分だった。
(まさか、ドクターがやったのかニャ?)
テレビ音声は更に続く。
「このウイルスが仮に東京に散布された場合、東京都民1000万人は全滅することになります」
「ニャーッ!」
タマは驚いた。思わず一回、大きな声を上げてしまった。
「こ、これは一大事なんだニャー」
タマは急いでアジトへ向かって駆け出すのだった。
「あっ、タマ」
そんなタマの姿を飼い主である少女・梓彩が見つけた。梓彩はタマの後を追った。
タマは日暮里から上野へと通じる線路の途中にある柵を攀じ登ると上野駅に通じるトンネルの中へと入っていった。梓彩もまた柵を攀じ登るとタマに続いてトンネルの中へと入っていった。
タマが博物館動物園跡にあるアジトに到着した。
「ドクター」
「お前、どこに行っていた?」
「私が留守にしている間にみんなが消えてしまい、自分だけ取り残されてしまいました」
「そうだったか」
「状況はテレビで見て知っております。どうぞ私も今度の闘いに参加させてください」
「そうかそうか」
マカロニャンはタマを疑うこともなく仲間に加えた。
(あれが、エボラ出血熱ウイルスの入ったガラス管だニャ)
タマはマカロニャンの後ろに置かれたガラス管を見つけた。
(あれを奪わなくては)
タマはその機会を窺っていた。だが、タマは作戦を中止しなくてはならなかった。階段の下が何やら騒がしくなったからだ。
「どうした?」
「人間です。人間がひとり、こちらにやって来ます」
それは梓彩に他ならなかった。
梓彩は等間隔に蛍光灯が灯る暗いトンネルの中を、タマを求めて歩いていた。やがて梓彩は博物館動物園駅跡に到着した。
「えっ」
梓彩は突然、多数の猫に行く手を阻まれた。
「ニャー!」
「ニャー!」
その鳴き声から、それらの猫たちが「怒っている」ことは明らかだった。梓彩は恐怖に体が震えた。やがて一匹の猫が梓彩に飛び掛かった。
「ニャー!」
「きゃあ」
その時。
「ニャー」
梓彩に飛び掛かった猫が、違う猫によって倒された。
「タマ!」
自分のご主人さまの危急を知り、タマが急いで階段を駆け下りてきたのだった。
「急いで、ここから逃げるニャー!」
「えっ?」
梓彩はタマが日本語を話したのに我が耳を疑った。
「早くここから逃げるニャー」
だが、それは間違いではなかった。タマは確かに日本語を話しているのだった。
「タマ、日本語が話せるの?」
「そんな話はあとでいいニャ。今はとにかく逃げるニャ」
「わかったわ」
梓彩は来た道を再び戻りだした。
「ここから先は通させないニャ」
タマは猫たちの前に立ちはだかった。
トンネルを出た梓彩は柵の外に出ると、その場でタマを待った。30分ほど後にタマがトンネルから出てきた。
「タマ!」
梓彩はタマを抱き上げた。
「タマ、大丈夫?」
「見ての通り、無傷なんだニャー」
タマは無傷だった。多くの猫たちと戦ってきたのだろうに。
「急いで、ここから離れるニャ」
マカロニャンがいつエボラ出血熱ウイルスの入ったガラス管を割るかはわからない。タマと梓彩は自宅へと走った。
「ははははは」
「この子ったらあ」
「パパ、ママ、本当なの。本当にここは危ないの」
梓彩のパパとママは梓彩の「今すぐ東京を逃げよう」という必死の願いを一蹴した。
「確かに、エボラ出血熱ウイルスが盗まれて、今の東京は危険だよ。でも、だからと言って今すぐ東京を逃げ出すなんて無理だよ」
梓彩は自室へと戻った。自室にはタマがいた。
「どうだった」
「だめだったわ」
「自分が話せば、信じるニャ」
「だめよ。タマが人間の言葉を話せるなんて知ったら、パパとママはタマを警察に突き出すわ」
「じゃあ、どうするニャ」
「ああ、どうすればいいの」
※
その頃、銅鐸の塔から連絡を受けたジミーは機動隊、更には区を管轄する台東警察署の警官を動員してトンネルの入り口、上野駅、博物館動物駅跡出入り口の三方を固めていた。作戦としては、上野駅とトンネル入り口の両方から地下に入った機動隊が猫を発見次第、銃火器を用いて猫を掃討する。駅の出入り口から逃げ出す猫に関しては表で待機する台東警察署の警官らが狙撃するというものだ。もはや動物愛護などとは言っていられない。相手は人類と同等の知能を有し「人類は地球の癌細胞である」ことを認識しているのだ。相手が自分たちを殺そうというのであれば闘うしかない。生存本能の放棄は「人類の滅亡」に直結する重大事なのだ。
腕時計を見る。時刻は11時59分。
「ジャスト12時に作戦開始だ」
12時になった。
「突撃!」
トンネルの両サイドから一斉に機動隊がなだれ込む。ホーム上には無数の猫が群れていた。
「撃て」
機動隊による掃討作戦が開始された。
「ニャー」
「ニャー」
次々と銃殺される猫たち。だが猫も黙って殺されはしない。必死に反撃を試みる。
「うわあっ」
「痛えっ」
ある猫は機動隊員の腕に噛みつき、またある猫は機動隊員の足で爪とぎをする。しかし機動隊員は予め全身を防護服に包み込んでおり、猫の攻撃は致命傷にならない。機動隊は確実に猫を仕留めていく。そんな機動隊に紛れてコックローチのメンバー、そして珍柿がいた。彼らは必死にマカロニャンを探した。
「ニャニャニャニャニャ」
マカロニャンは丸い天蓋の下にいた。その体は怒りに打ち震えていた。
「駄目です。相手は飛び道具を使っています。このままでは全滅ですニャ」
「おのれ、人間めー」
「お逃げ下さい。いずれはここまで押し入ってきますニャ」
「わかったニャ」
マカロニャンはエボラ出血熱ウイルスの入ったガラス管を口に咥えると、木の板で封じられた出入り口の隙間から外を覗いた。
「ニャ!」
だが、そこにも無数の警官の姿が。マカロニャンは知らなかったが、この位置には現場の指揮を執るジミーがいた。
「マカロニャン様。我々が相手を攪乱しますから、どうぞご安心ください」
「済まないニャ」
猫たちが外へと飛び出す。猫は四方へと走った。
「むっ、出てきたな」
ジミーの予想通り、追い詰められた猫たちが次々と出入り口を封鎖する木の板の隙間から飛び出してきた。
「撃て」
ジミーの命令で警官らが拳銃を発射する。
「ニャン!」
「ニャン!」
次々と撃たれる猫たち。その隙をついてマカロニャンが飛び出した。
「もう一匹飛び出してきた。撃て」
だが、マカロニャンには弾があたらない。高い知能を有するマカロニャンには拳銃から発射される弾の軌道が見えているのだ。体を捻って巧みに弾を躱す。
「あっ、あれは!」
ジミーはこの猫が口にガラス管を咥えているのを見た。
「あいつだ。あいつがマカロニャンだ」
ジミーは先端に麻酔薬を仕込んだゾンデ棒を懐から取り出すと警官たちに直ちに「発砲中止」を命じた。皆、拳銃の銃口を下ろす。だが、ひとりだけ命令を無視して撃ち続ける者がいた。その警官の勇み足のせいでジミーはゾンデ棒による攻撃を敢行することができない。その警官が放った弾が一発、マカロニャンの右後ろ足の太腿にヒットした。
「やったぜ」
その警官は得意になって、更に拳銃を撃とうと構えた。
「やめろ!」
ジミーは、その警官の拳銃を取り上げた。
「なぜ止めるのですか」
「このくそバカたれが!エボラ出血熱ウイルスの管に弾が一発でも当たってみろ。都民全員が死ぬんだぞ」
マカロニャンはそのまま樹木の生い茂る上野公園の中へと逃げ込んだ。ジミーが無線を飛ばす。
「帆乃香、奴を見つけた。奴は上野公園に逃げた」
「了解」
コックローチと珍柿は地上にあがると、直ちに上野公園の捜索を開始した。
マカロニャンは上野公園から臨時休業中の上野動物園の中へ逃げ込んだ。やがてマカロニャンは砂の敷かれたカピバラのブースにやってきた。
「ちょうどいい。ここで休憩するニャ」
マカロニャンは素早く砂場に穴を掘ると、その中に身を隠して眠りに入った。
一方、警官とコックローチたちは上野公園を必死に捜索したものの、マカロニャンを発見することはできなかった。
「逃げられたか」
アジトにいる時が捕らえるチャンスだったのだが、まんまと逃げられてしまった。
※
ニュースを見た梓彩とタマは翌日の朝一番に上野公園にやってきた。いつもなら人だらけの上野公園も「エボラ出血熱ウイルスによる攻撃があるかもしれない」ということで、この日は閑散としていた。
「自分だったら、ここに隠れるニャ」
タマには同じ猫としての確信があった。梓彩はタマの推測を信じて上野動物園にやってきたのだった。閉館中の上野動物園の柵を乗り越える梓彩。
人っ子一人いない上野動物園の中を歩く梓彩とタマ。タマの予想通り、マカロニャンを発見した。
「ドクター!」
「お主はタマ!」
マカロニャンは逃走を図る。
「ニャアアア」
負傷した右後ろ脚が痛む。マカロニャンは思うように走れなかった。
「ドクター」
「寄るニャ。もし寄れば、このガラス管を破壊する。そうすれば東京中の人間が死滅するニャ」
「ドクター、待つニャ。自分はドクターを助けに来たニャ」
「助けに来た、だと?」
「そうだニャ」
どういうことだ?IQ800を誇るマカロニャンではあったが「タマの狙い」が読めないのだった。
「この前、助けてもらったお返しだニャ」
この前というのはアジトで無数の猫と闘うことになった時のことに他ならない。
「ここから先は、通さないニャ」
タマは梓彩を護るために猫たちと一戦交える覚悟だった。しかし相手は多数。自分は間違いなくここで死ぬだろう。
「ニャー!」
「ニャー!」
猫たちが唸る。そして一斉にタマに飛び掛かろうとしたその時。
「待て」
猫たちを制止するその声は。
「ドクター」
それはマカロニャンだった。
「なぜ止めるのです?こいつは人間に味方する裏切り者だニャ」
だが、マカロニャンはその言葉を無視した。
「行け」
マカロニャンはタマにそう言った。ここからさっさと「出て行け」という意味だ。
「だが今度、会うときは、容赦はしないニャ」
タマはこの場を後にした。
「ドクター、よろしいのですか」
「拙者に己の信念があるように、あ奴にも己の信念がある。あ奴は飼い主に殉じている。そういう奴は嬲り殺すのではなく正々堂々と闘って倒すべきなのだ」
「さあ、急ぎましょう。我が家は安全ですニャ」
「わかったニャ」
マカロニャンはタマの意見を受け入れた。信念を持つ者は裏切らない。何枚、舌があるのかわからないニッポン人とは違う。マカロニャンはタマを信じた。
「ウイルスの入ったガラス管を、ご主人さまに渡すニャ」
マカロニャンはエボラ出血熱ウイルスの封じ込められたガラス管を梓彩に渡した。梓彩はそれを自分のジャケットのポケットの中にしまった。梓彩とタマはマカロニャンを連れて直ちに上野動物園を出た。
その時。
「警察だわ」
捜索中の警官3名が自分たちの方へ歩いてくるのを目撃した。梓彩は大急ぎでマカロニャンを「自分のペットである」と思わせるために自分の胸に抱きかかえた。背中のΨ記号を見られたら、おしまいだ。マカロニャンは背中を必死に梓彩の胸に押し当てる。腹の毛は白く顔も3/4ほど白いマカロニャンの外見は正面から見る限り、普通の猫と変わらない。
警官らが梓彩に近づいてきた。警官らはまず梓彩の脚元にいるタマを一瞥してから、梓彩に職務質問を始めた。
「お嬢さん、その猫、見せてもらってもいいですか?」
「なぜですか?」
「この近所で猫による事件がありまして、その猫を捜索中なのです」
「私の猫は違います」
警官はマカロニャンの右足に傷を見つけた。
「この右足の傷は、どうしたのです?」
この警官こそ昨日、ジミーの命令に反して拳銃を打ち続けた巡査部長に他ならなかった。
「これは・・・さっき、犬に噛まれてしまって」
梓彩はとっさに嘘を吐いた。だが、銃創と犬に噛まれた痕では明らかに形が違う。梓彩の顔から汗が流れる。
「そうですか」
巡査部長と残りふたりの巡査の3人が顔を見合わせる。
「わかりました。もう結構です」
助かった。梓彩は安堵の表情を浮かべた。警官らは去っていった。
「さあ、早く私の家に行きましょう」
「ああ、疲れたあ」
自室に戻った梓彩はベッドの上に座った。
「これでもう安心ね」
「どうかな」
マカロニャンは梓彩の言葉を否定した。
「どういうこと?」
「先程の警官らが最後に目配せしていたのが、どうも気になるニャ」
IQ800を誇るマカロニャンは人間の顔を一瞥しただけで、その者の有する本質的な性格や能力、そして心理を的確に見抜くことができる。
「気のせいよ。そんなこと」
だが、梓彩はマカロニャンの不安を一蹴した。
「それよりも、これ」
梓彩はジャケットのポケットの中をまさぐった。梓彩はガラス管を取り出した。
「これって、とっても怖いモノなんでしょう?」
「そうだ。その中の菌で東京中の人間を殺せるニャ」
梓彩の指先が震え始めた。自室に戻り、緊張の糸が緩んだところで自分が手にするエボラ出血熱ウイルスの恐ろしさを感じ始めたのだった。
「今は大丈夫なの?」
「そのガラス管が割れない限りは無害だニャ」
梓彩はしかしながら心から「ほっとする」ことはできなかった。梓彩はガラス管を学習机の上に置いた。
「でも、なんでこんなものがニッポンにあるの?」
「今は治療薬の開発用じゃが、元々は殺戮に使うためだニャ」
「そうなの?」
「昔、ニッポンは中国や韓国と大層、仲が悪くてニャ。そういった国々にばらまく目的で密かに量産のための研究をしていたんだニャ」
「酷い!」
「勿論、当時だって表向きは『治療薬の開発のため』だったし、実際に殺戮に使用されることは結局のところ、なかったがニャ。その前に軍国主義にかぶれた右翼政権は打倒されたからの」
「ところで、あなたは飼い猫でしょう?ご主人さまはどうしたの?」
マカロニャンが顔をうつ伏せる。考えているのか、悲しんでいるのか?やがてマカロニャンは意を決したように再び顔を上げた。
「拙者は捨て猫。最初のご主人様の顔は知らない。その後、野良猫をしていた拙者を次の御主人さまが拾って下さり、人間の言葉が理解できる猫にしてくださったのじゃ」
「次のご主人様って?」
「エイリアンだニャ。地球人類など赤子も同然の非常に高度な知能を有する、まるで『全知全能の神』の如き偉大なるお人だニャ」
まさか!とは思うが、マカロニャンこそが説得力のある具体的証拠に他ならない。
「今回、拙者はエボラ出血熱ウイルスで都民を殺戮しようとしたが、ご主人様はかつて核融合砲で都民を殺戮なされたことがある。東京タワーから北へ延びる大通り、あれはその時の名残りだニャ」
「で、そのご主人様は今どこに?」
「拙者は、ご主人様が発射した核融合砲のとてつもない破壊力を見て怖くなり、その場から逃げ出した。その後はわからぬ。後に戻ってみたが、ご主人様は既におらなんだ。どうやら宇宙へ帰ってしまったようだニャ」
「で、あなたはご主人様の遺志を継いで人類抹殺を企てたの?」
「その後、拙者は暫くの間、冬眠しておったのだニャ」
「え、猫って冬眠できるの?」
「炬燵の中で丸くなるのは得意だニャ」
「プッ」
「まあそれは冗談として、冬眠から目覚めてみれば、人類は相も変わらず下等な生き物だった。酒に飲まれるように自ら発明した便利道具に飲まれ、思考力を著しく退化させてしまっている。前もって危険を感じて身の安全を守る能力も希薄なら、他人を思いやる能力も希薄。その証拠に例えば、土砂降りの雨が降っていてもライトを点灯しないで走っている車が沢山いる。こんなドライバー、路地から出ようとしている車に『自分の車の前に飛び出してください』、後ろにいる車に『自分の車の後ろに追突してください』と言っているようなものなんだニャ」
こう言われてしまうと、まだ小学生の梓彩には反論できない。というより、大人だって反論できない。
マカロニャンが先に語った「危険を感じて身の安全を守る能力」と「他人を思いやる能力」は実のところ同じものだ。先の例を用いれば、事故の危険を感じてライトを点灯するならば,自分が事故を起こす確率を下げるだけでなく、周囲にとっても非常にありがたいのである。こうした能力の欠如は取りも直さず「スマホ・テレビ・ゲーム・マンガ」に明け暮れることで、自分で頭を働かせる機会が極端に少なくなってしまったことが原因である。現代人はあまりにも「暇つぶしの道具」に頼りすぎなのだ。
「それじゃあ、また、あなたは殺戮を企てるの?」
「それはもう止めだ。今の東京にも、あんたのような善良な人間がいることが分かったからニャ」
「ありがとう、マカロニャン」
「たくさん勉強して出世するんだニャ。まっとうな思考の出来る善良な人間が社会の重要なポストに就かないことには、社会は良くならない」
こんな話をしている時。
「どうやら囲まれたようだニャ」
「えっ」
梓彩はカーテン越しに窓から外を覗いた。家の門の前に警官が2名、立っていた。
「やはり、ばれていたようだニャ」
その通り。梓彩の嘘はばれていたのだった。警官らは「公園よりも家の中の方が包囲しやすい」と判断して、あの場は知らないふりをしていたのだ。ジミーはマカロニャンを見つけ次第、警視庁に報告するよう命令を下していた。だが、この巡査部長はその命令を無視していた。この巡査部長はジミーに昨日「このくそバカたれが!」と恫喝されたことを根に持っていたのである。ジミーはマカロニャンを麻酔で眠らせて捕獲するつもりだった。「珍柿に会わせよう」と考えていたのだ。そうすれば珍柿が説得してくれよう。だからこそ,あの場は発砲中止を命じたのだ。巡査部長は当然、そんな事情は知らない。あのときも今もマカロニャンを殺して、事件の手柄を立てようとするのみだ。
ピンポーン
玄関の呼び鈴が鳴った。母親が玄関を開けると、巡査部長が突然、家の中に押し入ってきた。
梓彩の部屋の扉が開いた。
「化け猫め。もう逃げられないぞ」
マカロニャンに銃口が向けられる。
「危ない」
拳銃が発射された。
「タマ!」
拳銃はタマに当たった。タマが自ら進んでマカロニャンの盾となったのだ。
「ちっ」
「タマ、タマ!」
梓彩がタマを抱きかかえる。
「タマ!」
だが、タマは動かない。タマは急所を撃たれていた。タマは既に死んでいたのだ。
「タマーっ!」
梓彩がその場で泣き崩れる。
「とんだ邪魔が入ったが、今度は逃がさんぞ」
マカロニャン危うし。
その時。
「うっ」
巡査部長は突然、口から泡を吹きながら、その場に倒れた。後ろからスタンガンを撃たれたのだ。
「マカロニャン,無事か?」
ひとりの男が部屋に入ってきた。その男が自分の名前を知っていることをマカロニャンは不思議に思った。
「どうして、私の名前を知っているニャ?」
「自分はコックローチ。きみを迎えに来た」
それは勇気だった。近所を捜索中に不審な動きをしている警官たちがいたので、あとをつけてきたのだ。表では二人の巡査が既に倒されていた。
「迎え?」
「珍柿がきみを待っている」
「えっ?」
マカロニャンは耳を疑った。
「珍柿・・・だって?」
「そう。きみを迎えに地球に戻ってきたんだ」
銅鐸の塔。
「久しぶりじゃな、マカロニャン」
「ご主人様ーっ」
マカロニャンは珍柿を見るなり、珍柿に飛びついた。
「おーおー、寂しかったか?」
マカロニャンは素直に頷いた。
「そうか。それは済まなかったな。そなたを置いて宇宙に旅立ってしまって」
珍柿はマカロニャンが負傷しているのを見た。
「お主、後ろ足を怪我しておるのか?」
「はい」
珍柿は直ちに治療を施した。オナラウッドの医療技術だから、銃創などあっという間に治る。
「これで大丈夫じゃ」
「ご主人様。ひとつ『お願い』があります」
「何じゃ?そんなにあらたまって」
※
「タマ・・・」
タマが死んで、梓彩は悲しみに沈んでいた。
コンコン
窓ガラスを叩く音がする。ここは2階。カラスでも来たのだろうか?梓彩は窓を開けた。
「タマ!」
そこにはなんとタマがいた。
「タマ。どうして?」
タマは死んだ。今は庭の木の下の土の中で永遠の眠りについている筈。
「マカロニャンのおかげです」
「マカロニャンの?」
「マカロニャンが自分を生き返らせるように、彼のご主人様に頼んでくださったのです」
「でも、そんなことが」
「何の不思議もありません。マカロニャンは自分を日本語の喋れる猫に改造した。そのマカロニャンの飼い主ですから、それはもの凄い科学者であるに違いありません」
「タマ!」
梓彩はタマをしっかと抱きしめた。
「ご主人様」
「タマあ、タマあっ」
そんな光景を下から眺める8つの眼。ジミー、勇気、帆乃香、珍柿。
「これでよかったのか、珍柿?」
「タマには少女の前以外では『日本語は話すな』と厳命してある。大丈夫じゃろう」
「そろそろ我々は帰りましょう。見られると面倒ですから」
「そうだな」
クラゲドーム沖。
「今回はお騒がせした」
「まったくだ」
「もう戻ってくるなよ」
「気を付けて」
「さよなら」
今までは3人だった第一艦橋にマカロニャンが加わったことで、発進手順が以前よりもかなり楽になった。
操縦席にはエリス。機関席にはサラ。艦長席には珍柿。そしてレーダー席にマカロニャン。
珍柿が叫ぶ。
「宇宙戦艦『チーク・ワン』発進!」
こうして珍柿はマカロニャンとともに再び宇宙へ向けて旅立っていった。
16
大阪。
上空から眺めると、東を除く北南西の三方を海に取り囲まれた埋め立て地にボルトやナットをモチーフとした建物が多数建てられた何とも奇妙な場所がある。そこは、第二回大阪万国博覧会が行われた会場。金属製品の生産「全国第一位」を誇る大阪ということで、会場となった施設は全て金属製品をモチーフに設計されていた。そして、これらの建物は現在、ニッポン初のカジノ施設・鳥羽紅城(とばくじょう)の施設として転用されていた。元が万博会場であるから、その規模は実に広大だ。まさに「ニッポンのラスベガス」と呼ぶに相応しい施設である。
その象徴となる建物が、ひと際高く聳え立つ通称「ボルトの塔」。高さおよそ200mほどの、その名の通り六角ボルトの姿をした塔。柱の部分はネジの溝が彫られた円柱で、その上に乗る三層からなる展望台は六角形。その展望台のワンフロアが現在、カジノルームとして利用されている。
そして、そこではプレイングカード、ニッポンでは一般的には「トランプ」と呼ばれているカードを用いて、今まさに外国人グループとひとりのニッポン人が大金を賭け、ポーカーを行っていた。
「くそう、また負けた」
悔しがる外国人。ニッポン人の方はクールだ。表情一つ変えることはない。
「よーし、次は俺様だ」
違う外国人が再びニッポン人に勝負を挑む。
「コール」
外国人が意気揚々としてカードを見せる。
「見ての通り、俺様はフルハウスだぜ。ジャップ」
「・・・・・・」
「それじゃあ、このコインの山は頂きだな」
外国人がテーブル上のコインを手元に引き寄せようとした時。ニッポン人がカードをテーブルの上に投げた。
「ストレートフラッシュ」
「畜生!」
悔しがる外国人。
だが、弱すぎる相手にいい加減、飽きたのか?ニッポン人はその場を立ちあがると、違う場所へとスタスタと歩き出した。その先にはシューティングゲームによる賭けを楽しむふたりの姿があった。そこでもやはりニッポン人が圧倒的な強さを見せていた。こちらは女性。メタリック調のシルク生地が眩しいワインレッドのパーティードレスの胸の谷間がなんとも妖艶だ。
男が女性に話しかける。どうやらふたりは「顔見知り」のようだ。
「調子はどうですか?局長」
「まあまあね」
「『まあまあ』という割には結構、儲けているではないですか」
「そういうあなたこそ、カードゲームでは無敵なのではなくって?聖斗」
ふたりは我々読者には御馴染み、帆乃香と聖斗。
それにしても、ふたりがなぜ、ここに?
※
数日前。
「えっ、金塊が盗まれた?」
「そうです」
帆乃香と和希子の会話。首相官邸からコックローチへの直接の仕事の依頼である。
「盗まれた金塊は凡そ100トン。オーストラリアから神戸港に陸揚げされ、大阪の造幣局へ輸送途中に何者かに襲われたの」
金塊100トン!
「そんなにも多くの金塊を、どうして造幣局に?」
「ある国からの依頼で記念コインを鋳造するための材料よ」
ある国。つい最近、軍事独裁政権が打倒され、民主化が実現した「あの国」のことだな。
「で、私たちに、その金塊を取り戻せと?」
「その通りよ」
「犯人に関する情報はあるのですか?」
「これを見て」
和希子はモニターに、あるひとりの外国人の顔写真を投影した。
「誰ですか?」
「スティーヴ・ギルバート。大阪にある国営カジノ・鳥羽紅城のオーナーよ。一昨日、ニッポンに来日したわ」
2018年のカジノ法案施行後、ニッポン政府は国内初となるカジノを大阪に建設した。その時、カジノ経営のノウハウのないニッポン政府は経営を海外のカジノ運営業者に依頼したのだった。
「成程。この場所だったら確かに、強奪した金塊を隠すにはもってこいの場所ですね」
鳥羽紅城は神戸港と造幣局のまさに中間に位置する。
「それだけじゃないわ」
「といいますと?」
「今回の金塊を製造したのは、この男が管理するオーストラリアの採掘企業なのよ」
「ならば輸送ルートくらいは知っていて当然ですね」
「この男が犯人であるという証拠はないわ。でも、かなり『怪しい』ことは見ての通りよ」
「つまり今回の我々の任務は『カジノ調査』ということですね」
「危険な任務よ」
「だから、うちらに頼むんでしょう?首相」
こうストレートに言われてしまうと和希子も返答に窮する。確かにそれが事実なのだ。大阪府警を動員しようにも確固たる証拠がなくては裁判所の許可が下りない。
「了解しました。単純に金塊が盗まれただけなら兎も角、その金塊によって何か『良くないもの』が購入されないとも限りませんし」
何か良くないものとは麻薬や武器などを指す。
「お願いね」
※
帆乃香と聖斗がカジノを楽しんでいる頃。
「ニャー」
「しっ」
烈は野良猫に鳴かないよう声をかけた。
「ニャー」
野良猫はどこかへと去っていった。
駐車場からボルトの塔まで一直線に伸びるメインストリートはイルミネーションによってまるで昼間のように明るいが、関係者以外は立ち入らない裏通りは街灯ひとつない「闇の世界」。烈にとっては最も好都合なシチュエーションだ。烈は肉眼でも星明り程度の光さえあれば昼間のように見ることができる。帆乃香のジコマン・アイといい勝負だ。
烈の耳に填められたイヤーポットに帆乃香からの無線が入った。
「烈、聞こえる?」
「感度良好。どうしました?」
「今、建物の中から、あなたを見ているわ」
「えっ?」
帆乃香はジコマン・アイによって壁を透視。烈の姿を熱源として捉らえていたのだった。恐るべし、ジコマン・アイ。
「後ろから、あなたの方に向かって人が歩いてくるわ」
帆乃香は烈の後ろに人体が発する熱源を発見したことを告げた。
「相手はふたりよ。手には銃らしきものを持っているわ」
「了解」
烈の後ろから歩いてくるのは見回りの警備であった。彼らはまだ前方にいる烈の存在には気が付いていなかった。それにしても、手に銃を持っているとは!どう考えても怪しい。烈は既に外壁を伝って、建物の2階へと上っていた。
二人の警備が烈の真下を通過する。烈が跳んだ。ふわりと音もなく自然落下する。
「ぎゃあ」
まずひとり倒す。
「だ、誰だ!」
そして。
「ぐえっ」
二人目も撃破。ひとりは完全に倒し、もう一人は意識を残しておいた。
「お前に訊きたいことがある」
「ううう」
「4日前、金塊100トンが何者かに強奪された。その隠し場所を教えろ」
「け、警察か?」
「世紀の大泥棒さ。その金塊、そっくりこの『アルセーヌ五右衛門様』が頂く」
烈もなかなか冗談が上手い。
一方、中では。
カジノルームの一角に設けられたライブステージに、ひとりの中年男性が現れた。手には7本の弦を張った極彩色のエレキギター。
「聖斗。あれがここのオーナーのスティーヴ・ギルバートよ」
オーナー自ら、お客のためにギター演奏を披露しようというのだ。オーナーが超絶ピッキング&超絶フィンガリングでギターを掻き鳴らす。それどころか途中、電動ドリルを用いたトリックプレーまで披露する。さすがは金属製品全国一の都市だ。無論、客は大喜びで拍手。
「上手いな、この人」
「ここに望がいたら、ライバル意識、燃やしたりしてね」
望「はーっくしゅん!」
オーナーは演奏を終えるとステージを降りて一直線に、あるところへと歩いて向かった。
「今の私の演奏、いかがでしたか?」
あるところとは他でもない、帆乃香だった。
「はい、とても素晴らしく感じ入りましたわ」
「それは嬉しいですな」
「はあ」
「どうです?この後、私と一緒にスイートルームへ行くというのは?」
どうやらスティーヴは帆乃香の美貌に魅了されたらしい。帆乃香は「これは絶好の機会だ」と思った。うまくいけば本人から直接、事件の全貌を聞き出せるかもしれない。
「とても光栄ですわ」
こうしてスティーヴと帆乃香は関係者以外入ることのできないスイートルームへと向かってしまった。
「・・・・・・」
ひとり、その光景を呆然と見つめる聖斗。
スイートルーム。そこは恐らくニッポンで最もお金が掛けられた「豪華な部屋」。最高級のソファに、最高級のシャンデリア。そして最高級のダブルベッド。ワインクーラーの中にあるワインも当然、最高級。
「どうです?一杯」
「いただきますわ」
スティーヴはグラスにロマネコンティを注いだ。
「乾杯」
「乾杯」
「それにしましても・・・」
スティーヴが帆乃香に話し始めた。
「あなたはとても美しい。この世のものとは思えない美しさだ。特にその肌の美しさは絶品だ」
その後も歯の浮くようなセリフを次々と語るスティーヴ。帆乃香はハンドバックの中からサングラスを取り出すと、それを掛けた。
「・・・帆乃香さま」
スティーヴは立ちどころのうちに帆乃香の洗脳にかかった。
「あなたにお尋ねします。100トンの金塊はどこにあるのですか?」
「・・・・・・」
「答えなさい」
「知りません」
「えっ」
「私にはあなたの質問の趣旨がわかりかねます」
「ということは、あなたは100トンの金塊を強奪してはいないのですか?」
「私には何のことだかわかりません」
帆乃香がスイートルームから戻ってきた。
「聖斗」
「局長。自分だけ置いてけぼりは酷いです」
「ここのオーナーは犯人じゃないわ」
「何ですって?」
「フリップの発明が『オモチャ』でなければの話だけど」
EYELANDSの性能は帆乃香も知っている。真実を隠すことなど不可能。オーナーは犯人ではないのだ。
「でも、烈が倒した警備は銃を手にしていたのでしょう?ここが怪しいことは間違いありません」
「そうね。もう少し調べましょう」
「本当にここか?」
「は、はい」
「ご苦労さん」
烈は相手の首筋をチョップして気絶させた。
「随分と海に近いアトラクションだな」
ビスを横に寝かせ、半分を地上に出した型をした縦長の建物は大阪湾に隣接、半分は海上に突出していた。烈は屋根から建物の中へと侵入した。
「これは!」
烈がそこで見たもの。
「まさか、潜水艦のドックとはな」
外から見れば万博のアトラクション施設。だが、そこは烈が指摘する通り、紛れもない潜水艦基地だった。しかもそこには既に潜水艦が一隻、停泊していた。
最新式の扇風機の技術を応用したスクリューレス潜水艦。推進力を生み出す海水が掻き回されることなく真っ直ぐに後ろに排出されるため、海上保安庁の巡視船のソナーをもってしても探知することは極めて難しい「ステルス・サブマリン」だ。無論、今回が「はじめての入港」というわけではあるまい。
「おっと」
人が来た。気配さえ消せば天井の梁にいる烈の姿は下からはまず見えない。
やってきたのはふたり。
「こいつは、いつ出発する予定だ?」
「明後日です。明後日は天気が大荒れになりますから(より海上保安庁に探知されにくくなる)」
「そうか。で、金塊はもう積んだのか?」
「いえ、まだトレーラーの中です」
「ボスからの命令だ。明日の昼までには金塊を潜水艦に積み込んでおくようにとのことだ」
「はっ」
そうか、金塊はまだトレーラーの中か。烈はこの場を離れ、トレーラーを探した。
「あれだな」
アルミコールゲートのトレーラー。
「『お宝拝見』と行きますか」
トレーラーの後ろを開く。
「これは見事だ」
烈は金塊を発見した。
※
「これは?」
烈が倒した警備を別の警備が発見した。
「急いで、ボスに知らせなければ」
警備が今回の事件の黒幕であるボスとやらの元へ走る。
「その調子だ。ボスのところまで案内してくれよ」
烈が警備の後を尾行する。警備は無論、そんなことは知らない。
「ボス、大変です」
「どうした?」
「何者かが侵入したようです。警備が倒されていました」
「なに?」
烈は既に、この部屋の天井の上にいる。
「何者だ?」
「わかりません」
「きっと金塊を狙う者に違いない」
「いかが致しましょう」
「探せ。何としても見つけ出すのだ、急げ」
「はい」
「ボス」
また違う警備が入ってきた。
「どうした?」
「オーナーがスイートルームで何者かによって麻酔で眠らされていました」
「なんだと!で、オーナーは?」
「無事です。但し、1時間ほどの記憶がありません。誰と会っていたのかは覚えていません」
「そうか」
「今、犯人を特定するために監視ビデオを解析中です」
そう答えた警備の無線に警備室から通信が入った。
「ビデオの解析が終わりました。怪しい女が映っています」
その音声はボスの耳にも入った。ボスが無線を警備から奪った。
「怪しい女?」
「はい」
「わかった。今からそちらへ行く」
ボスと二人の警備は警備室へと向かった。烈は無人になった部屋に着地した。
「怪しい女?ひょっとして局長のことか」
烈は帆乃香に無線を入れた。
「はい、帆乃香よ」
「オーナーを、記憶を消す薬で眠らせましたか?」
「ええ」
「ばれましたよ。監視ビデオに局長の姿が映っていたようです」
「敵について調べはついたの?」
「ボスの正体と、それから金塊を発見しました」
「流石ね」
「それよりどうしますか?自分のほうでボスを捕らえますか」
「私を探しているのでしょう?だったら私が直接、話をします」
「そうですか。私は今、ボスの部屋にいますので、今からボスのパソコンのデータを覗いて、より詳しい情報を手に入れます」
「お願いね」
帆乃香は烈との交信を終えた。
「聖斗、私の正体が敵にばれたらしいわ」
「どうするんです?」
「わざと捕まってみるつもりよ」
「危険すぎます」
「敵の正体を知るには一番いい方法よ。悪党は大概、自分を捕らえた相手に対してより、自分が捕らえた相手に対して、自分の正体や目的を無防備に語るものよ」
この口調から察するに、どうやら帆乃香はわざと監視カメラに写っていたようだ。
「ですが」
「その時はあなたが頼みよ、聖斗」
「わかりました」
「お願いね」
帆乃香は捕まりやすいように、人のいない女性用トイレへと向かった。
警備室。
「いました。女です。トイレで化粧をしています」
「よし、すぐに行って召し捕れ」
「はっ」
間もなく女性用トイレに警備らが現れた。
「動くな」
帆乃香は両手を挙げた。警備がスタンガンを帆乃香の胸にあてた。
「ああっ」
帆乃香は気絶してしまうのだった。
「よし、連れて行くぞ」
警備は意識を失った帆乃香を連れて行った。
「うう」
「気が付いたか」
帆乃香の意識が戻った。
「こ、ここは?」
帆乃香は天井から鎖で吊り下げられていた。目の前には一人の中年男。外国人ではなくニッポン人だ。
「ここは地下の『仕置き場』さ」
「あなたは何者です?」
「俺か?俺はこのカジノの店長さ」
「店長」
「そう。オーナーからこの店の運営を任されている『お雇い店長』だがな」
「つまり、安月給で扱き使われるのに飽きて一獲千金を計画したということね」
「呑み込みが早いな。その通りさ」
会話の通り、今回の事件の黒幕はこのカジノの店長を務めるニッポン人だった。
「オーナーはこのことを」
「知らないさ。そこら辺は上手くやっているからな」
道理でオーナーにEYELANDSが通用しなかったわけだ。
「店長といったわね。ということは、あなた、ニッポンの役所の人間ね」
ここは国営カジノだから店長はきっと官公庁から出向してきている人間に違いない。帆乃香はそう踏んだ。
「その通り。自分は『次官』さ。つまりはニッポンの『エリート官僚』ってこと」
いつの時代にあってもニッポンの官僚は「鼻持ちならない生き物」だ。
「俺は、本当はとてもまじめな人間なんだ。安月給で扱き使うニッポン政府がいけないのさ。俺くらい優秀な人材はそれこそ『月給1千万円』だって安いくらいなんだぜ」
帆乃香は「よく言うよ」と心の中で呟いた。
「そろそろ、始めるとしますか」
そう言い終わると、店長はズボンを脱ぎ始めた。
「な、何を?」
「すぐに始末してもいいんだが、せっかくだから『楽しもう』と思ってな」
店長は帆乃香のイブニングドレスの胸の谷間を掴むと、グイっと思いっきり下に引っ張った。
「ああっ」
イブニングドレスが縦に裂けた。
「あんた、いい体してるぜ」
更に店長は帆乃香の下着をも強引に破り取る。店長は背後から帆乃香に抱き着くと、体を愛撫し始めた。
「いや、やめて」
「なぜかスマホを持っていないようだが、あんた、どうせ婦人警官か何かだろう?どうだ、俺の愛人にならないか?そうすれば贅沢な暮らしが満喫できるぞ」
どうやら帆乃香のハンドバッグの中身を確認したらしい。左耳と左目がジコマンコンピュータとリンクする帆乃香にはスマホを所持する必要がない。
「誰が、あなたのような悪党なんかと」
「いつまでそう強がっていられるかな?」
店長の左手が胸から下半身の谷間と移った。左手の指が帆乃香の急所を責め始めた。
「あっ、ああっ」
感じる帆乃香。レッドサンの事件以来、帆乃香は「感じる女」だ。
「ほらほら、段々といい気分になるぞ」
聖斗はまだ来ないのか?仕方がない。帆乃香はジコマン・アイでボスにビーム攻撃を仕掛けようとした。
だが。
「うっ」
相手の方が一足先に帆乃香の肩に注射針を打ち込んだ。
「これは新型の『麻薬』だ。お前さんが探している金塊と交換で手に入れたものだ。こいつを射たれた女は一瞬のうちに発情する」
帆乃香の意識が飛ぶ。店長の指の感触に帆乃香が叫んだ。
「気持ち・・・いいっ」
「さあ『快楽ショー』の始まりだ」
※
「いたぞ、いたぞ」
先程、ポーカーで負けた奴らが新たな仲間を連れて聖斗のところへやってきた。
「さっきは負けたが、今度はルーレットで勝負だ」
「そんな暇はない」
聖斗はその場で自分の愛用するプレイングカードを自分の頭の上からばら撒いた。
「名付けて『カード吹雪の術』」
「ああっ」
カードが床に落ちると聖斗の体は完全にその場から消えていた。
警備室。
聖斗がプレイングカードをばら撒いて姿を消したのを一人の男が見ていた。聖斗が捕らえた女の「連れ」であることは既に知られていた。聖斗は警備室の監視下にあったのだ。
「あの男」
「警備長」
「すぐ戻る」
警備長は警備室を出た。廊下を歩きながら思う。
「あの男、マジシャンか。ならば」
警備長は聖斗のあとを追うのだった。
「ふう」
既に聖斗は階段を上り、ひとつ上の階にいた。ここは関係者以外立ち入り禁止区域で、人の姿はない。一本の長い廊下が左右に伸びている。
「局長はどこにいるんだ?」
聖斗は帆乃香を探し始めた。
その時。
「誰だ?」
先程までは誰もいなかった廊下の奥にひとりの男が立っていた。
「お前のお手並みは先程、警備室から拝見させてもらった。だが、俺にはあの程度のマジックは通用しない」
「お前は、何者だ?」
「俺はこのカジノの用心棒。名前は『キラーハンター』」
「キラーハンター」
名前からして凄そうな奴だ。
「まずは挨拶代わりに」
キラーハンターはバラの花びらを吹雪にして雲隠れした。
「フフフ、先程のきみの技だよ」
成程、マジック合戦ということか。
「うっ」
花吹雪の中から野球の硬式ボールのように硬くて丸いものが聖斗めがけて飛んできた。
「何だ、いったい?」
次々と飛んでくる。そのうちの一発が聖斗の腹に当たった。
「うっ」
その場にしゃがみ込む聖斗は自分の腹に当たった球を拾った。
「これは」
それは、このカジノで使用されているビリヤードの球だった。
「また来た」
次々とビリヤードの球が飛んでくる。もしも、こんなものを頭に当てようものなら、即死だ。
「くそう」
聖斗はステッキでそれを弾く。どうやらキラーハンターはマジックの名手というだけでなく凄腕のハスラーでもあるらしい。このままでは危ない。聖斗は脇にある扉を開くと、廊下から勢いよく部屋に飛び込んだ。
「かかったな、聖斗」
だが、これは罠だった。この部屋に聖斗を誘き込むことこそ、キラーハンターの真の目的だったのだ。扉が閉まる。廊下から差し込む光は失せ、室内は完全に暗闇と化した。
「俺には、お前の姿がはっきりと見えているぞ、聖斗」
キラーハンターは目にスターライトスコープを装着していた。
絶体絶命のピンチ。どうする、聖斗?
「くっ」
聖斗はプレイングカードを四方に撒いた。
「着火」
聖斗はプレイングカードに火を放った。その火によって周囲が明るくなった。
「さすがだな。これくらいの暗闇では動じないか」
聖斗はプレイングカードが放つ明かりで四方を見た。いくつもの柱が見える。そのうちの一つにキラーハンターが隠れていることは間違いない。だが、どれかまではわからない。やがて、プレイングカードが燃え尽きた。周囲は再び漆黒の闇に包まれた。今の聖斗はまさに「深い霧」に包まれたような状態にある。
柱の位置は確認したから、手当たり次第にプレイングカードを投げ込むという手もあるが、そのうちの一枚が相手にヒットする確率は低そうだ。投げた方角が仮に正反対であれば、相手に「がら空き」の背中を見せてしまうことにもなる。
聖斗は考える。こいつは先程、ビリヤードの球で攻撃してきた。ということは、こいつの正体はハスラーで、武器は「キュー」に違いない。そして言葉遣いから察するに大層「プライドの高そうな奴」だから、きっと最後は必ずキューで自分の体、それも心臓を突きに来る筈だと。心理戦ならば学究肌の聖斗の方が上だ。聖斗は完全にキラーハンターの心理を読んでいた。だが、キューの長さは自分が手にするステッキの倍はある。突き勝負なら圧倒的にキラーハンターの方が有利だ。
聖斗の読み通り、キラーハンターはこの時、柱の裏で自分の愛用するキューを組み立てていた。二つに分解されたキューを一つに繋ぎ合わせ、先端をサイコロ状の鑢で磨く。
「これでいい」
キラーハンターはキューで球を打つ構えで、聖斗に対して構えた。
その時。
「やあっ」
聖斗が再びプレイングカードをばら撒いた。
「バカめ。それで隠れたつもりか」
聖斗はその場から動いてはいない。キラーハンターはスターライトスコープによってプレイングカードの吹雪の奥に「人の形」を見て取った。
「最後だ、聖斗」
キラーハンターはキューで聖斗の心臓を貫いた。だが、人体を貫く「手応え」がない。
「何、プレイングカードだと?」
そう。キラーハンターが貫いた聖斗の体は別のプレイングカードによって作られた人形だったのだ。聖斗は同時に二種類のプレイングカードを、ひとつは周囲に、もう一つは人体に見立てて撒いたのだ。
では、聖斗はどこに?
「な」
「いただき」
聖斗はキラーハンターの真下にいた。聖斗は床に仰向けに伏し、プレイングカードで造った人形の「影」を装っていたのだ。
「ぐわあ」
聖斗のステッキがキラーハンターの心臓を貫いた。
「くそう」
苦し紛れにキラーハンターは腕を引いてキューを聖斗に突き出しそうとしたが、長いキューは接近戦ではかえって無力だった。キラーハンターはキューの先端を聖斗の体に向けることができなかった。
「無念」
キラーハンターが床にうつ伏した。もはや息はない。
これはいわば「賭け」だった。仮に、もしもキラーハンターのゴーグルが「赤外線式」であれば、床に伏す聖斗の姿を完璧に捉えただろう。だがこの時、キラーハンターが使用していたゴーグルはスターライトスコープだった。その結果、人体が発する熱を感知しなかったのだ。
それだけではない。聖斗はキラーハンターがキューの先端をヤスリで磨く時に出る「キュッ、キュッ」という僅かな音を聞き洩らさなかった。その音が終わったのを見計らってプレイングカードをばら撒いたのだが、もしも早すぎればカードがすべて床に落ちてしまい、作戦は失敗していただろう。今回の作戦は「絶妙のタイミング」と「敵の装備」と「敵の性格」を全て考慮に入れた、まさにマジックだったのだ。
「局長」
聖斗は帆乃香の探索を再開した。
その後、警備室を占拠した聖斗は、これ以上、この階での捜索は無意味と判断。非常口から外に出た。非常口の外は塔のデザインの一部となっているボルトの溝を利用した螺旋状の非常階段になっていた。遠くに大阪中心部の夜景が見える。
敵に自分のことを知られている以上、エレベータの使用は危険と判断した聖斗は一目散に非常階段を駆け下りた。
地下の仕置き場。
「ああっ、ああーっ!」
「ほらほら、気持ちいいだろう?」
麻薬を射たれた帆乃香は「店長との情事」に酔い痴れていた。店長は帆乃香の両足を下から抱えるように持ち上げ、自分の下半身で帆乃香の体を上下に突き上げていた。
「いいの、いいの・・・とっても・・・いいのーっ」
帆乃香は抵抗するどころか、自ら進んで股を大きく開く。
「ああーっ、最高。気が変になるうっ」
頭を下に上に向ける帆乃香。その度に長い黒髪がゆらゆらと揺れる。両腕を万歳して、両足をガバッと大きく広げる帆乃香の姿はまるで「路上にひっくり返った蛙」のようだ。
「ああーっ、いいのーっ、とっても気持ちいいのーっ」
こんな姿、一磨には絶対に見せられない。
聖斗は何をしている?早く階段を下りて来い。だが、聖斗はいつまで経っても来ず。
「うぎゃあ」
結局、帆乃香を弄ぶことに夢中になっている店長の首を後ろから180度捻って店長を殺害したのは店長の部屋でパソコンの中身を確認し終えた烈だった。
「局長、しっかりしてください」
「欲しい、欲しいの」
帆乃香は、今度は烈に求め始めた。
「早くう、早くう」
羚羊のような足を大きく左右に広げて強請る帆乃香の姿の何と色っぽいこと。普通の男ならば完全に理性など吹っ飛んでしまうだろう。だが、烈には和希子がいる。
「局長、御免」
烈は帆乃香の腹を拳で殴った。
「うう」
帆乃香は気絶した。烈は帆乃香の手枷を外すと自分の肩に担いだ。
「烈」
そこへ聖斗がやってきた。
「局長はこのまま銅鐸の塔へ連れ帰ります。どうやら変な薬物を摂取されたようですので」
「そうですか」
「後のことは頼みます。これが金塊のある場所を示したメモです」
「ありがとう。後は任せてください」
烈は帆乃香を連れて、銅鐸の塔へと戻った。
かくして金塊の回収と潜水艦の押収は聖斗の役目となった。
※
翌日。
「早く金塊を潜水艦に積み込め」
店長と警備長が既にこの世にいないとも知らず、部下たちは黙々と作業にいそしむ。
「店長」
そこへ店長がやってきた。えっ、店長?どうして。昨夜、烈が殺害した筈では。
「ボス。作業が終わりました」
「御苦労だった」
店長が潜水艦に乗り込む。
「直ちに出向ですか?」
「ああ。どうやら大阪の警察が、ここをかぎつけたらしい」
「わかりました」
「後始末は頼んだぞ」
潜水艦が出港した。潜水航行で大阪湾に出た。
「よし、浮上しろ」
店長が航海士に浮上を命じた。
「浮上ですか?」
「そうだ」
「ここで浮上したら、他の船に見られてしまいます」
「それでいいのだ」
店長は突然、変装用のラバーマスクを取った。
「早く浮上させな。さもないと命の保証はしないぞ」
店長の正体は聖斗だった。手には自動小銃。
潜水艦が浮上した。潜水艦に向かって警察の高速艇が次々と集まってきた。
「乗り込め!」
大阪府警の警官らにそう命じるのは警視庁からやってきた勇気だった。
「聖斗、ご苦労だったな」
「勇気さん、あとはお任せします」
こうして事件は無事に解決した。主犯である店長の部下にあたる官僚数名が逮捕。今回の事件の取引相手である外国マフィアもコックローチからの情報を受けた地元の警察が手入れをした。
銅鐸の塔。
「欲しいっ、欲しいーっ、私を虐めて頂戴ーっ!」
麻薬中毒に罹った帆乃香が檻の中で絶叫する。麻薬の効果が完全に切れるまで、およそ一週間。
その間、勇気も聖斗も必死に理性を働かせるのだった。
17
「○○新道」という名前の登山道には急登が多い。なぜなら、これらはその名の通り比較的新しい時代に作られた登山道だからだ。江戸時代までの人々は坂の緩やかな場所を選んで「葛籠折りの登山道」を作った。だが、明治維新以後のニッポン人は現代流の土木技術を用いて山頂まで最短距離の「直線に近い登山道」を整備するようになった。その違いが坂の角度となって表れているのだ。そして望と聖斗が今、登っている「笠新道」と名付けられたこの登山道もまた、御多分に漏れず急登であった。この登山道は昭和の時代に「国民体育大会に用いるコース」として整備されたものである。
「はあはあはあ」
「聖斗、疲れたか?」
「いえ、大丈夫です」
「もうちょっとだ。もうちょっとで稜線に出る」
「はい」
稜線に出れば、その先の展望が大きく開ける。父の言葉を信じて聖斗は望の後を必死について行った。槍・穂高連峰を背に登る。既に周囲の植生はダケカンバの樹林帯からハイマツ帯に変わっていた。
やがて傾斜が緩み、稜線に出ると、目の前にカールと、そこを埋める高山植物の花畑が飛び込んできた。
「ここで休憩しよう」
ここは「杓子平」。奥には今日の目的地である笠ヶ岳もはっきりと見て取ることができる。その名の通り、笠の形をした笠ヶ岳。登山口である新穂高温泉を出発して既に5時間になろうとしていた。二人はここで昼食を摂ることにした。家で作ってきたおにぎり。
「美味い」
「本当においしい」
山で食べる粗末な食事ほど美味しいものはない。絶品グルメに慣れ親しんだ結果、口は肥えていても心は痩せ細ってしまっているニッポン人には想像もつかないだろうが。
「そろそろ行くか」
まだ山頂までは3時間の道のりだ。ここはまだ笠ヶ岳に通じる小峰の稜線に過ぎない。
ふたりは立ち上がった。左手に笠ヶ岳を見ながら、カールの一部を横切るようにつけられた登山道をゆっくりと高度を上げていく。カールの中の花畑に咲いているのはチングルマ。といっても白い花びらは既に落ち、タンポポの綿毛を大きくしたような薄桃色の種が花のように咲いていた。
1時間半後、ふたりは笠ヶ岳の稜線に出た。ここからは進む向きを左に90度変えて、今までは左に見ていた笠ヶ岳を正面にして進む。ここまでくれば、もう1時間半ほどで到着だ。しかも、ここから先は緩やかな峰を歩くだけの稜線漫歩だ。
「先にいけ」
望が聖斗にそういった。要するに、ここから先はもう「危険な場所はない」ということだ。
「はい」
聖斗はやや早めの足取りでひとり、笠ヶ岳を目指して歩き出した。そのあとを望はゆっくりとした足取りでついて行く。
二人の距離はこの先、どんどん広がるかと思いきや、聖斗が播隆平を左手に見下ろす場所に差し掛かった辺りから、ふたりの距離は再び接近。その先にある抜戸岩で遂に並んだ。
ここはどうやら急登だったようだ。
二人の目の前にある大きな岩。まるで刀で真っ二つに切り裂いたような形をしている。実際、この抜戸岩は、もともとは一枚の岩で、登山道を整備するために真ん中を切り裂いたものだ。
岩の間を通り抜けた二人は間もなくテント場に到着した。奥に建つ山荘でテント場の使用手続きを済ませてから、ふたりはテントを張った。
あとは笠ヶ岳の山頂に立つだけだが。
「ここに到着したのは自分たちが最初で、幸い今は人っ子一人いない。どうだ?ここで試合をしないか?」
望が聖斗の前にトレッキングポールを突き出した。
「ええっ?勘弁してよ、父さん」
かくして、他の登山者がいれば迷惑この上もない「トレッキングポールによる剣道の試合」が繰り広げられたのだった。
30分後。
「まだまだだな」
この時期、聖斗は剣道七段を取得していた。とはいえ、望が本気を出せば、まだまだ手も足も出ないレベルだ。
やがて朝、同時刻に出発した他の登山者たちが続々とテント場に到着してきた。
「それじゃあ、人が増える前に山頂に立つか」
望と聖斗はテント場からはさほど離れてはいない笠ヶ岳の山頂を目指して歩き出した。
※
東京。
現在の与党に所属する国家議員のひとりである桶安は都内にある行きつけの高級料亭で食事を済ませると車を自宅へ向かわせた。
「どうした?」
突然、自分が乗っている車が路上に停止した。桶安は運転手である秘書に後部座席から、その理由を尋ねた。
「前に人が立っています」
「なに?酔っ払いか」
車の前に立つ男はその場から動こうとはしない。
「降りて、追い払え」
秘書が車から降りた。
その数秒後。
「ぎゃあああああ」
悲鳴。無論、秘書のものだ。酔っ払いが突然、秘書に切りつけたのだった。酔っ払いは桶安の元へと歩み寄ってきた。
「お前は国会議員の桶安だな?」
「お前は何者だ?」
「竜宮の遣い」
「竜宮の遣い?」
酔っ払いと思われた男は全く酔ってなどいなかった。その正体は、この男の言葉が真実であるならば「竜宮城が地上に向けて放った刺客」である。
新たなる敵の出現。
「うわあああああ!」
竜宮の遣いは桶安議員を太刀で斬殺した。
翌日には。
「ぎゃあああああ!」
今度は与党と連立を組む中道政党に所属する国会議員の川口議員が、やはり同様の手口によって斬殺された。
そして、同様の事件が連日、続いた。警察は必死に犯人の行方を追ったが、犯人像は全く不明のままであった。防犯カメラには犯人と思われる人物の映像が映っていたが、犯人に関する情報は全く得られなかった。この時代、全ての国民にマイナンバーが付与されており、犯人を特定できないのは文字通り「異例の出来事」であった。
果たして、犯人は何者なのか?まさか本当に「竜宮の遣い」だとでもいうのか?
銅鐸の塔。
秘密基地の中に新たに設けられた畳敷きの道場で、先程から望と聖斗が試合形式の剣術練習を行っていた。剣道だから本来は板敷きの方が好ましいが、柔道や空手など複数の技を練習する格闘技場とすれば、畳敷きの方が応用範囲は広い。
「やあっ」
聖斗が剣を繰り出す。
「ふん」
望が、いとも簡単に躱す。
「とおっ」
再び聖斗が剣を繰り出す。
「甘い」
望は、今度は剣を払う。
最近は、こうしてふたりで剣を交えることが多くなった。
望が聖斗の右側に体を移動した。その動きに反応して聖斗が右脇の下を開き、右の拳を望の方向に動かした。
その直後。
「だめだ聖斗。右拳は体の正面から動かさない」
そうだ。聖斗は慌てて脇を閉めると右拳を元の位置に戻し、柄頭を握る左拳を左に動かして剣先を右に向けた。
剣道の拳の動きは飛行機の操縦と同じで、頭の感覚と実際の行動が逆になる。飛行機の場合、高度を上げる時にはスロットルを開く。だが突然、正面に山が出現した場合、ベテランパイロットでも操縦桿を引いてしまうことが少なくない。機体は高度を上げるどころか飛行速度を低下させて失速することになる。剣道の場合も相手が動いた方向についつい利き腕の拳を向けたくなるが、そうすると体の中心線上にあった拳が左右に移動してしまうことで防御が甘くなってしまうのだ。こうした頭と体の動きの反比例した感覚を正しいものにするためには、とにかく練習を積む以外にはない。
だが、聖斗は練習しても、なかなか身につかなかった。
聖斗は子どもの頃から「学究肌」であった。どうやら、それが足枷になっているようだ。なまじ頭が優秀だから、体に覚え込ませた感覚を反射によって思い出すべきところを、すべて頭で考えてから行動してしまうのだ。
利き腕が右手の場合、右拳を体の中心線から右に動かせば体はがら空きとなり面を打たれる。逆に左に動かせば右腕が丸見えとなり籠手を打たれる。常に脇の下をギュッと閉めて利き腕の拳を体の中央に置き、前後・上下には動かしても左右には絶対に動かさない。そうすれば利き腕の拳が「盾」となり、相手は打ち込んでくることができない。これが「剣術の基本姿勢」。この基本姿勢が常に保てなくては、剣術は向上しない。
剣道だけではない。「脇が甘い」ことを許容するスポーツなど、およそこの世に存在しない。相撲(もともと「脇が甘い」は相撲用語)然り、野球のバッティング然り、ゴルフのスイング然り。車の運転とて、脇の下をガバッと大きく開いた「片手12時ハンドル」など、ハンドルが左右にフラフラと揺れて安定せず、もってのほかだ。
問題は他にもある。
道場剣道では、脚は常に「利き足が前」である。逆の足が前に踏み出されることはない。では、実践はどうかというと、面や胴などの攻撃を行う場合には「左足を前に踏み込む」のが普通だ。道場剣道は「相手を負傷させない」ことを原則とするので、破壊力が大きい「本来の足の動き」を禁じ手として封じているのだ。聖斗の剣術は幼少より地元の道場で学んだものなので当然、左足が前に踏み出されることはない。これは「敵を確実に仕留める」ことが要求されるコックローチの戦いにとってはマイナスであった。これはもともと望が「聖斗はコックローチにはしない」という教育方針を持っていたためである。
それだけではない。学究肌の聖斗は詩を創作することが趣味であることからもわかる通り、子どもの頃から「読書好き」であった。その結果、目が悪い。裸眼視力は僅かに0,1だ。もしも闘いの最中に眼鏡を破壊されたら聖斗は戦えない。これは道場剣道ではない、文字通り死闘を繰り広げる「裏世界」にあっては致命的な欠点である。
「今日は、これくらいにしよう」
「はい、ありがとうございます。父さん」
望と聖斗は隣接する風呂場でシャワーを浴びると、上の階にあるコンピュータルームへと向かった。
「帆乃香」
帆乃香は振り向かない。ジコマンコンピュータの操作に余念がない。
「その様子だと、まだ何もわからないようだな?」
「いえ。そんなことはないわ」
「ほう」
「これ見て」
帆乃香がモニターに地図を表示した。
「これは山口県だな?」
「ええ、そうよ」
「ここに犯人がいるとでも?」
「確証はないわ。でも」
帆乃香がある一点を拡大表示した。そこは下関市の北に位置する豊浦町。
「ここの島。この島は『竜宮島』と呼ばれているのよ」
「竜宮島」
それは豊浦町の西に面する海の上に浮かぶ小島だ。
「ここと犯人と、何か関係が?」
「犯人は『竜王の遣い』と名乗ったわ。とするならば、竜宮城の伝説と何か関係があるに違いないと思う。とすれば、一番怪しいのはここよ」
「成程な、で、ここを調べて来いと?」
「そうして欲しいのはやまやまだけど、今は無理」
「何で?」
「首相から直々に命令が来たのよ。『敵の襲撃から国会議員を保護してほしい』とね」
「まずは警護の方が先ということか」
「というよりも『犯人を捕らえるのが先』ということよ。犯人を捕らえれば『事件の真相』はわかるわ」
「確かに、その通りだ。旅行は何かと大変だしな」
※
コックローチのメンバーは、それぞれ場所を分担して警備にあたっていた。
帆乃香は議員会館を、烈は党本部を、勇気は国会議員が利用する料亭を、そして望は今回、首相官邸を警備していた。
「おっと、官邸から車が出る」
首相官邸から黒塗りの高級セダンが次々と出てきた。首相の和希子が移動するのだ。
車列を望がつける。つけるといっても和希子も、和希子を警備するSPも、そのことを既に承知していた。
車列が首都高に入った。そのまま車は首都高から東関道へと入り、さらに房総バイパスを南下。
和希子の向かう先は千葉県の南端に位置する館山にある「沖ノ島海浜公園」。館山市街地から2Kmほどの場所に位置する沖ノ島海浜公園は、元は海上自衛隊館山航空基地があった場所に作られた公園で、沖ノ島という名称は公園の東にある無人島の名前による。和希子は、この公園の中に新たに建設されたポートタワー、通称「ソフトクリームタワー」の除幕式に参加する予定であった。
その名の通り、このポートタワーはソフトクリームそっくりの外観を持つ。高さは183m。展望室はウエハースの太い部分に三階分あり、それぞれ高さは81m、77m、73m。ウエハースの細い部分は鉄骨で組まれている。シルバーに輝くウエハースの上に乗っかるグラスファイバーでできた白いソフトクリームの部分には各種の送受信アンテナが内蔵されており、クラゲドーム同様、夜には七色に発光することで海の安全を護る。塔の形がソフトクリームであるのは、館山の北に広がる房総半島一帯がニッポンでも有数の牧場地帯(北海道に次いで第2位)だからだ。勿論、設計者は珍柿。地球人類よりも遥かに高いIQを持つ異星人である珍柿は地方の名産品を巧みに取り込んだ塔の設計が得意なのだ。
車の中での和希子は終始、瞑想に耽っていた。
今回の事件について考えていたのか?それもあるが、和希子は今の「政権運営」について苦慮していたのだった。というのも「神道の復活」こそ利桜が機転を利かせて「神のお告げ」を利用した所信演説によってどうにか阻止したものの、和希子が党首を務める政党は「国防強化」や「歴史歪曲」を主張する、まるで平成末・令和時代を思わせる国粋主義的な思想を持つ国会議員を多数擁する右翼政党なのだ。それに邪馬台国じゃあるまいし、いつまでも「シャーマン」を演じ続けているわけにはいかないという思いもあった。シャーマンが首相を務めているという政治形態自体が世界に向かって「ニッポンは神国」と主張しているようなものだからだ。
だが、そのためには、どうすればいいのか?どのようにして自分はシャーマンから普通の人間に戻り、なおかつ首相としての指導的立場を維持して右翼議員らの主張を封じ込めるのか?この「超難問」に対し和希子は具体的な方策を見出せないでいた。この問題の根本的解決には有権者である国民の生命境涯が高まり「右翼思想の候補者を当選させない」ようになることこそが何よりも重要なのだ。
車が目的地である沖ノ島海浜公園に到着した。塔の周囲には既に地域住民の人々や地元市長などが集まっていた。
駐車場に次々と車が止まる。
「首相が下りてきた」
「利桜さーん」
「利桜さーん」
住民の人々が首相の名を叫ぶ。和希子は人々に手を振る。
除幕式が始まった。市長が事前に用意した文を読み上げ、テープカット。そして拍手と歓声。
ここにソフトクリームタワーは開館した。
まず和希子とその一行がエレベータに乗る。エレベータは高さ81メートルの展望室を目指して上昇を開始した。
最近はやたらと速度の速いエレベータが多いが、このエレベータは緩やかに上昇する。鉄骨の隙間からは東京湾や太平洋、そして房総半島が見える。エレベータの視界が遮られてから5秒ほどでエレベータは展望室に到着した。
展望室に入る一行。
「あれ」
「どうしました」
エレベータガールが慌てる。どうやら、エレベータが動かなくなったようだ。
「エレベータが下がらない」
エレベータが下がらない。故障か?
すると突然。
「ふふふふふ」
男の笑う声が展望室に響いた。やがて黒い鎧を纏ったひとりの男が一行のもとに歩いてきた。
「誰だっ」
「誰だっ」
「誰だーっ」
SPの質問に男は次のように答えた。
「竜宮の遣い」
どうやら、エレベータが下がらなくなった理由はこいつのようだ。展望室で首相を待ち伏せしていたのだ。
ソフトクリームタワーの下ではエレベータが急に動かなくなったことで地元の人々が騒ぎ始めていた。
「どうしたんだ?」
「我々も早くエレベータに乗せろ」
この時、望は「はっ」とした。
「まさか、この上では?」
そして、そうと気がつけば、望の行動は早かった。望は非常階段を使って展望室へ向かって駆け始めるのだった。
「ぎゃあ」
「ぐわあ」
「うぎゃあ」
次々とSPが倒されていく。SPは拳銃を持っている筈だが、敵の剣術にはまるで歯が立たなかった。
「残るは、お前ひとり」
「ふん」
和希子は右手を挙げた。
「さあ、お鳴きなさい」
和希子は敵に「狐憑きの術」を仕掛けた。敵は直ちに、その場に座り込み「こんこんこーん」と鳴くはずだ。
だが。
「私の術が効かない?」
「残念だったな。そんなものは日頃、御守りや風水グッズといった『迷信』を信じている心の弱い、地上に暮らす愚かな人間にしか通じない」
万事休す。和希子がやられる。
「さらばだ!」
その時。
間一髪、望が非常階段から飛び出してきた。
「望」
「ちっ」
望が敵と首相の間に立ち塞がる。
「首相、大丈夫でしたか?」
「私は大丈夫。でもSPのみんなが」
SPは全員、床の上に血を流して倒れていた。
「貴様、許せん」
望がトレッキングポールを構えた。相手は刀。油断するなよ、望。
「はあーっ」
望が先に仕掛ける。平突き。
「くっ」
竜宮の遣いが、望のトレッキングポールを受ける。
「甘い」
望は刀とトレッキングポールの交点を支点にして右へと体を瞬時に移動させた。
「喰らえ」
望は相手の左腕を叩いた。
「があっ」
竜宮の遣いは思わず右手で打たれた左手を押さえた。
「さすがだな」
「なに」
「普通なら打たれた左手を離す。右手を離すとは見上げたものだ」
左手は握っているということは防御よりも攻撃を優先するということを意味する。「右手で防御、左手で攻撃」これが剣術の基本だからだ。
「だが」
望が平突きの構えをした。
「その腕では、もはや避けられまい」
望が飛んだ。
「やあっ」
「くっ」
竜宮の遣いも負けじと、痛む左手で突きを繰り出した。
二人の体がすれ違った。
「ぐわあ」
望の平突きをまともに受けた竜宮の遣いは口から血を吐いてその場に倒れた。
「ちっ」
だが、望もまた左上腕部を、ほんの少しではあったが切られていた。倒しはしたものの「こいつ、できる」と望は思った。
「ううう」
「お前の負けだ。潔く捕まるんだな」
「まさか竜宮の遣いである、この『膃肭臍』ともあろう者が、地上の人間ごときに負けるとは思わなかった」
「『オットセイ』だと?お前だってニッポン人だろうが」
「違う。俺は『竜宮城の人間』だ」
「バカな」
「望とか言ったな。これだけは忠告しておく。お前は確かに強い。だが、いかにお前でも竜王様の剣には歯が立たない」
「竜王様の剣、だと?」
「俺には未来が見える。お前が竜王様に斬殺される姿がな。フフフ」
このように話した直後。
「あの世で待っているぞ、望」
自白の強要を恐れたのか?それとも敵に捕まることを恥と思ったのか?竜宮の遣いは刀で自らの喉を掻き切った。
膃肭臍と名乗った竜宮の遣いは、こうして息絶えた。
※
中国自動車道、北房付近。
「聖斗、怖いか?」
「いえ」
望と聖斗は中国自動車道を、山口県を目指して走っていた。ソフトクリームタワーでの一件によって結局、竜宮島の探索をしないわけにはいかなくなったのだった。
「父さん」
「なんだ?」
「竜王とは一体全体、何者なのでしょう?」
「さあな。今のところ分かっているのは『凄腕の剣豪』ということだけだ。膃肭臍の話が真実ならばな」
今回、望が聖斗を伴った理由について、聖斗は次のように考えていた。
(自分もやっと父さんに認められたんだ)
そう思うと、誇らしい聖斗なのであった。
聖斗の武器は当然、マジック用のステッキだ。だが念のため今回「聖」も用意した。聖を用意させたのは望だった。望は必要とあれば聖斗から聖を借りるつもりだった。
聖斗を伴った本当の理由はもう、お分かりだろう。今回の闘いでは「聖が必要となるかもしれない」からだ。望には聖斗ではなく、聖が必要だったのだ。
やがて車は中国自動車道を降り、下道に出た。
「海だ」
山口県の西に面する「響灘」を左手に車は下関から北上した。
「あの島だ」
やがて、竜宮島と呼ばれる島々が見えてきた。対岸に当たる小串で一泊。明日、船で渡る予定に決めた。
翌日。
望と聖斗は小串の北にある漁港の漁協から船を一艘借りて竜宮島へと向かった。この時代の竜宮島は人口の減少もあって無人島となっていた。地元の人々も「何で、あんな人っ子ひとりいない島へさ行くだ?」と訝しげられてしまった。だが、コックローチの目から見れば、そんな場所こそ「悪党の隠れ家」にはお誂え向きだ。
竜宮島は大きく四つに分かれる。そのうち最も北にある島が竜宮島で、大きさは直径で200mにも満たない。
一番大きな島は男島で、竜宮島との間には女島が、反対方向である左下に石島がある。
最初に望と聖斗は一番大きな島である男島に上陸した。砂浜を捜索するが何もない。建物もなければ、人の気配もない。島自体は森で覆われているが、森の中に「何かがある」ような感じはない。
仕方がない。続いてふたりは再び船に乗り、今度は二番目に大きな女島の捜索を開始した。砂浜が続く海岸線には、やはり何もない。目と鼻の先には竜宮島が見える。
「やはり、秘密は竜宮島にあるのか」
そんなことを思いつつ、二人はやがて海岸に突き出た崖の上に出た。高さはおよそ30mもあるだろうか。
「むっ」
その時、望は何やら殺気を感じた。気のせいか?いや違う。確かに感じた。何者かがいるのだ。
「気をつけろ、聖斗」
「はい」
ふたりは臨戦態勢に入った。
木の陰から青い鎧を纏ったひとりの男が現れた。その者の持つ雰囲気から、只者でないことは明白であった。
「お前は何者だ?」
先に望から口を開いた。
「お前らこそ、誰だ?」
「俺たちはコックローチ」
「コックローチ?」
「言ったところで、知らないだろう」
「知らんな。だが、大体の予想はつく。数日前、私の家臣がひとり倒された。お前たちはその仲間だろう?」
「仲間というより、俺が倒した」
「なに?貴様が」
「ああ、そうだ」
「それは探す手間が省けた」
「どうやら、お前が『竜王』だな?」
「そうだ。私が偉大なる竜宮城の王、竜王だ」
「その竜宮城の王とやらが、何で国会議員を襲う?海底だけでは飽き足らず、陸地も支配しようとでも思ったか?」
「ずばり、その通りだ」
「そんな真似はさせないさ」
「竜宮の世界は全ての人々が幸せに暮らす『平和の楽土』だ。シャーマンごときが支配する『汚れた国』を支配して何が悪い?」
「知らないようだな?J連合は既にない。今のニッポン政府は神道などという邪教を崇拝してはいない」
「今の地上には醜い人間ばかりが蔓延り、争いが絶えないことは事実。ゆえに私が大地も支配する。それを邪魔する者には『死』あるのみ」
かくして、闘いの幕は開かれたのだった。
「はあっ」
竜王の攻撃。速い。すんでのところで望が躱す。
「いやあっ」
望の反撃。
「はあああ」
望は連続攻撃を仕掛けた。望の乱撃が竜王を襲う。
「ふん」
しかし、さすがは竜王。びくともしない。いとも簡単に望の剣筋を見極め躱していく。
「膃肭臍を倒したというのも、まんざら嘘ではないようだ」
竜王はそう言いながらも余裕を見せる。
「はあっ」
竜王が一旦、剣を鞘に治めてから頭上に振り上げる。竜王は剣を首の後ろから自分の背中と鎧の間に入り込ませた。
その直後。
「やあっ!」
鞘を背中に残したまま剣が振り下ろされた。それは刃を鞘の中で滑らせる「抜刀術」であった。望はかろうじて横に避けた。先程まで望がいた場所の大地が真っ二つに割れた。
「なんて威力だ」
この技の名前は竜王が教えてくれた。
「今の技は『海鼠の嚏』だ」
「ナマコのくしゃみ・・・」
まさに体の中からナマコが内臓を吐き出す瞬間のような技である。
更には。
「うわあああっ」
望が唐竹、袈裟、逆袈裟を二回繰り返す超高速の六連撃を喰らう。その衝撃に望は後ろに10m以上も吹っ飛ばされた。
「ううううう」
「今のは『烏賊の大群』」
その名の通り、ヤリイカの大群が自分に向かって押し寄せてきたようだと、望は感じた。
「くっ」
それでも何とか立ち上がる望。こんなことがあるのか?望が、全く歯が立たないなんて。
その後も防戦一方の望。それに対し、竜王の何という素早い電光石火の動き。まさに「地上を走る稲妻」だ。
「そろそろ、小僧に持たせている刀を抜いたらどうだ?」
竜王は聖斗が大事そうに握っている刀に注目していた。望ほどの手練れを相手にしている戦いの最中で、闘いとは無関係の部分を気にするだけの余裕があるとは。
竜王が望に向かって「忠告した理由」について語り始めた。竜王は闘いの渦中であっても結構、話す。それは「自分の方が上」という自信の表れに他ならない。
「私が今、手にしている剣は『草薙剣(くさなぎのつるぎ)』だ」
「草薙剣、だと?」
その昔、伊勢神宮で元服、そこに住む魔物と契約を交わした軍神が軍を率いて戦った「源平の合戦」は、当然のように天皇の水死と三種の神器の一つを失うという「最悪の結果」を引き起こした。こうして壇ノ浦の海の底に沈んだ草薙剣であったが、それはのちに竜宮城の人々によって回収され「竜宮城の秘宝」となっていたのだ。草薙剣に「いかなる能力」が秘められているのかは知らないが、今の話が本当なら、普通に考えてトレッキングポールで戦える相手ではない。だが、望は聖を抜こうとはしなかった。どのみち今の自分の実力では聖とて折られてしまうに違いない。そうなったら、コックローチには「こいつを倒せる武器」が一つもなくなることになる。
あらゆる剣技を駆使しつつも、その後も防戦一方の戦いを強いられる望。気がつけば、いつの間にか望は崖を背にしていた。完璧に追い詰められた。
「そろそろ、終わりにするか」
「くっ」
望に逃げ場はない。
「喰らえ。『鈍亀のひと突き』!」
鈍亀とは鱟(カブトガニ)のことだ。そのひと突きということは・・・。
「うわあああああっ!」
まさにカブトガニの鋭い尻尾によってひと突きにされたように草薙剣が望の胸を貫いた。望の体はそのまま崖から海へと落下していった。聖斗が崖に駆け寄る。
「父さーん、父さーんっ!」
下から返事はない。望の体は完全に海の中へと落ちたのだった。
「さあ次は、お前だ」
「うっ」
何という威圧感。聖斗は瞬時に「こいつにマジックなど通用しない」ことを悟った。剣においては、もとより望が勝てない相手に聖斗が勝てる道理はない。
どうする?
聖斗は聖をぎゅっと握りしめた。聖斗は覚悟を決めた。
「うおおおおおおお」
聖斗は望が落ちた海の中へ自ら飛び込むのだった。高さ30m。これは自殺行為に等しい。望に続いて聖斗の体もまた海の中へと消えた。その姿を崖の上から竜王が評した。
「あの若造、なかなかやりおる」
望と聖斗からの連絡が途絶えたことを受けて、コックローチは直ちにローターレスヘリコプターを小串へと飛ばした。
「望!」
砂浜に望が打ち上げられているのを発見した。ヘリを下ろし、望のもとに駆け寄る烈と勇気。
「望、しっかりしろ」
望は意識がなかった。望は直ちに都内の国立病院へと搬送された。
一方。
「烈、そっちはどうだ?」
「だめ、そっちは」
「右に同じ」
現場でヘリを降りた烈と勇気は聖斗を捜索するために砂浜を徒歩で移動していた。だがこの日、ふたりは聖斗を発見することはできなかった。
銅鐸の塔。
「聖斗」
「聖斗くん」
秘密基地では美音と澄子が沈痛な表情で、聖斗の安否情報を待っていた。そんなふたりを帆乃香が眺めている。
着信音が響く。
「はい、帆乃香です」
帆乃香のもとに連絡が入った。だが、それは望に関するもので、二人が望む聖斗に関するものではなかった。
「わかりました」
「今の連絡は?」
「望が病院に到着したそうよ」
「それで、生きているのですか?」
「話では左胸をひと突きされているそうよ。直ちに緊急手術が始まるわ」
「左胸って」
「それじゃあ」
「傷が心臓を逸れていることを祈るしかないわね」
※
「うう・・・」
どうにか小串の海岸まで辿り着いた聖斗だったが、完全に体力を使い果たしてしまっていた。結局、聖斗はその場で意識を失ってしまうのだった。
そこを、ひとりの老人が通りかかった。
「ん?」
その老人は気を失っている聖斗に不信を抱いた。それもその筈。聖斗は腕に日本刀を握りしめていたのだから。老人は聖斗の腕から聖を取ると鞘から抜いてみた。
「うむ。見事な刀だ」
再び鞘に納める。
「こやつ、何者だ?」
老人は聖斗の体を自分の肩に乗せると、そのまま砂浜を歩いて行った。
翌朝。
「うう」
聖斗は目を覚ました。
「ここは?」
目を覚ました聖斗は直ちにここが砂浜ではないことを確認した。家の中?周囲は木の壁で覆われていた。窓が一つある。聖斗はその窓から外を見た。
「ここは、山の上?」
そう。聖斗がいる小屋は山頂に建てられた山小屋だった。
この山の名は「竜王山」。下関と小串の丁度、中間地点に位置する標高614mの山である。
18
竜宮城
そこは海の底に広がる「理想郷」
ここには
嵐も洪水もなければ
土砂災害も地震も
飢饉も疫病もない
信頼や友情といった
「善良な心」のみが存在し
驕りや嫉妬といった
「疚しい心」など微塵もない
人が人を思いやり
人と人とが愛し合う「慈悲の世界」
正しい教えが
全ての人々によって信じられているがゆえに
地上に暮らす人類が
未だ嘗て一度として実現したことのない
「平和な世界」を
何千年にもわたって続けている世界
そう
それが竜宮城
「竜王様、バンザーイ」
「バンザーイ!」
「バンザーイ」
「バンザーイ!」
「バンザーイ」
「バンザーイ!」
宮殿の門から宮殿に向かう大通りの両側に役人たちが並ぶ。彼らは皆、竜王が地上の視察から無事に戻られたことを喜び、進んで出迎えたのだった。そんな役人たちの並ぶ道を威風堂々、竜王が歩く。その竜王の先にある宮殿の前に、ひとりの女性が立っていた。その立ち姿はとても気品に満ち溢れていた。
「お父様、お帰りなさいませ」
「乙姫」
乙姫は竜王の娘である。
「地上は、どうでございました?」
「うむ」
竜王は無言のまま宮殿の中へと入っていった。
「ふう」
竜王は宮殿の玉座に腰を下ろすと、目を閉じた。竜王は直ちに地上で目撃した出来事を思い返していた。
そこは秋葉原。
竜王がまず思ったのは、スマホを見ながら道を歩いている若者の姿。前からお年寄りが歩いてきているにも拘らず、避けようともしない。むしろ、お年寄りの方がフラフラしながら避けている。
何という「礼儀知らず」!
次に思ったのは赤信号を平気で横断する年寄り。下校途中の子どもたちが沢山いるというのに何ら恥じることもなく横断している。
子どもたちの「悪しき見本」でしかない、その見苦しい姿!
言うまでもなく竜宮城では若者は誰もが年寄りを敬う。年寄りは誰もが「生き字引・知恵袋」であり、若者よりも知識や経験が豊富で人間的に立派であるという事実が、こうした考えを許容しているのだ。だが地上の世界、なかんずくニッポンはそうではない。尊敬に値しない年寄りと、そんな年寄りをバカにする若者という関係が、そこにはあった。
更に、たまたま入った電気店の中のテレビで見たクイズ番組。そこでは東大出身の女性弁護士が『東大以外は専門学校』と他の解答者を挑発しているかと思えば、その女性弁護士が誤答したのに対し、有名私立大卒の女性作家が『ざまあみろ』と罵声を投げかける。
これぞ、まさに「修羅の世界」!
そう。この時、竜王は生まれて初めて「生命境涯の基底部が修羅界の人間」を見たのだった。というのも竜宮城には、そのような人間はひとりも存在しないからだ。広宣流布が達成され、全ての人々が妙法を信受する竜宮城では全ての人々の生命境涯の基底部は「菩薩界」にある。
生命境涯とは釈尊が説いた「十界論」に表された生命力の強さの基準である。生命力が強い人間ほど振る舞いは立派であり、逆に弱い人間ほど愚かなものとなる。
仏界
菩薩界
縁覚界
声聞界
天界
人界
修羅界
畜生界
餓鬼界
地獄界
これが「十界」である。天界から下は「六道」と呼ばれ、一般人にも馴染みが深いだろう。残りの四つは「四聖」と呼ばれ、仏教に詳しい人でなければ聞いたことがないかもしれない。以上の十界の内容について簡単に説明すれば、以下のようになる。
正しい仏道修行によって生命境涯を「究極の状態」にまで高めた状態
自ら進んで他人や社会の幸福のために働く「慈悲」の境涯
学問・芸術・スポーツなどの才能が爆発する「価値創造」の境涯
勉強・読書・練習などにより自分を磨く「向上心」に燃える境涯
真面目に仕事をやり遂げた時に感じる「喜び」の境涯
感情に踊らされず客観的な判断のできる「理性的」な境涯
自画自賛・他人蔑視の感情にとらわれている「争い」の境涯
食欲や性欲などの欲望を満たして満足している時の「低俗」な快楽の境涯
食欲や性欲などの欲望を満たせずにいる時の「不快」な境涯
何もやる気が起きない「無気力」な境涯
先に「基底部」と表現したのは、その場その場の状況によって生命境涯は絶えず変化するからだ(これを十界互具という)。たとえば、腹が減れば誰でも生命境涯は餓鬼界まで落ちる。が、食欲を満たせば再び基底部に戻る。他にも、芸術家が作品を制作している時は縁覚界だが、完成した直後の喜びは天界で、生命境涯的には落ちたことになる。が、生命境涯の基底部が縁覚界にあるので、いつまでも喜びに浸ってなどはおらず、いずれは再び新しい作品の創造に取り組むだろう。
そして人類の生命境涯の基底部は一般的には「修羅界」である。だから地球上は「弱肉強食の世界」であり、受験競争や出世競争をはじめ、戦争といった具合に常に争いが絶えることがないのである。
※
正法戒壇塔。
ここは竜宮城の中で最も神聖な場所。なぜなら、文殊菩薩が自ら制作した本尊が安置されているからだ。そしてその本尊に向かって今、女官たちによる合同唱題会が営まれていた。
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」
本尊は時代や各惑星によって姿形は異なるが、題目は全宇宙共通である。というのは「大宇宙に響き渡る波動」を表現したものだからである。
そして今、女官たちが拝んでいる本尊は今日、我々が「銅鐸」と呼んでいるものであった。
実は地球においても銅鐸を本尊とする時代があった。「豊玉姫~第九代・開化天皇」までの時代、通称「弥生時代」である。それは仏教で言うところの「正法時代」にあたる。そもそも初代・神武天皇が天皇となり得たのも、豊玉姫の輿入れの際に竜宮城から伝えられた仏教の力、なかんずく「法華経の力」によるものである。だが第十代・崇神天皇の時代に正法時代が終焉したことで、銅鐸は本尊としての存在意義を失い、地中深く埋められたのである。
「乙姫様」
乙姫の来訪に気が付いた女官が乙姫の前にやってきた。
「竜王様は無事にお戻りになられたそうですね」
「ええ」
「乙姫様も唱題を?」
「私は皆が終わった後、ひとりでします」
「わかりました」
文殊菩薩が法華経を弘通した竜宮城。娑伽羅竜王が娘を連れて法華経・虚空会の儀式に参加した竜宮城。故にここでは誰もが皆、文殊菩薩&釈尊の教えに従い南無妙法蓮華経の題目を唱える。
人間の肉体は地球上を飛び交う波動を受信するアンテナだ。そして当たり前だが、地上で暮らす人間は通常、大地(地獄)が発する波動を最も強く受信している。それは「弱肉強食の波動」であり、人間を拝金主義や学歴主義、さらには国家主義や軍国主義といった道へと誘う。それに対し大宇宙(天空)が発する波動は「共存共栄の波動」であり、これを受信することで人間は平和を志向するようになる。そして南無妙法蓮華経は大宇宙が発する波動を口で発生できるように文字で表したものに他ならない。南無妙法蓮華経を自分の口から唱えることによって、自分の口から共存共栄を志向する大宇宙の波動を発信する。そうすれば大地が発する弱肉強食の波動を遮断することができる。その結果、生命境涯が向上。精神力の強い人間、頭の賢い人間、優れた才能を持つ人間、心清らかで慈悲深い人間へと成長することができるのである。勉強は頭を鍛え、運動は体を鍛えるように、唱題は人間性を鍛える。南無妙法蓮華経とはまさに人類が獲得した「人間性を向上させる究極の音声」なのだ。
女官たちによる合同唱題行が終わった。女官たちが各自の持ち場へと去る。乙姫は空になったお堂でひとり、睡蓮の花の形をした台座の上に本尊に向かって唱題を続ける。
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」
乙姫は不安でならない。乙姫は生まれて初めて「胸騒ぎ」を覚えた。それを払拭する強い精神力を自身の内部から引き出すために乙姫は5時間唱題に挑むことにした。地上から戻った父王の姿を見た時、乙姫は生まれて初めて「不安」という感情を知った。それは竜王が地上から不安を持ち帰ったからに他ならない。
「何か」が起きようとしているのを乙姫はひしひしと感じていた。
翌日、竜王は大臣を招集、御前会議を開催した。
「諸君」
竜王が椅子を立ち、大臣たちを前に語り始めた。
「我々は今こそ決断を下さねばならない。皆も知っての通り、我々の住む竜宮城は竜種上如来(地上では文殊菩薩と呼ばれるが、竜宮城では仏である)様が妙法を広めて以来、現在に至るまで、一度として争いなど起きたことのない『平和の楽土』だ。ところが地上はそうではない。地上の人間は未だに私利私欲に溺れ、互いに争い合ってばかりいる。学校での学力争い、職場での出世争い、そして国と国との領土をめぐる武力闘争といった具合にだ」
大臣たちが頷く。
「そこで諸君、私は決断した。地上は本来、釈尊が虚空会の儀式の場で出現を予告した『末法の御本仏』とその眷属である『地涌の菩薩』たちによって妙法が広められることによって平和が実現されるべき土地だ。だが、もはやそれを期待していられるような時ではない。私の見立てでは、今のままでは地上はあと100年もしたら温暖化によって、あらゆる生物が死滅する『地獄の世界』と化すであろう。否、それ以前に国家の利益や名誉などというくだらない目的で戦争が始まるであろう。ならば、その前に我々の手で地上を救済する以外にはない。我々の手で私利私欲に溺れる地上の修羅どもをひとり残らず一掃し、地上を平和の楽土とするのだ。それ以外には、もはや地上の破壊を阻止する術はない!」
「それは」
「そんなことが」
「許されるのだろうか?」
大臣たちの間に動揺が走る。大臣たちは二の足を踏んだ。当然だ。大臣たちは地上の世界を見たことがない。したがって大臣たちの心は100%「清浄」であった。清浄な心の持ち主、即ち生命境涯の基底部が菩薩界である大臣たちには、いかなる理由であれ人間の生命を奪う行いに賛成などできるわけがなかったのだ。
そもそも、なぜ竜王はこのようなことを言い出したのだろう?それは竜王の生命境涯が「菩薩界から修羅界に転落していた」からに他ならない。
竜王が家臣である膃肭臍を連れて地上にあがったのは、ひと月ほど前。この時のふたりは単純に「地上の世界を見物しよう」くらいの軽い気持ちだった。この時のふたりの生命境涯は当然、菩薩界である。
ところが地上は、ふたりにとっては、あまりにも汚れ過ぎていた。
釈尊が地上の広宣流布を「地涌の菩薩」に委ね、その他の者たちを制止したのは、地上の人間の心や行動は呆れてしまう程に醜く「忍辱の鎧(にんにくのよろい)」と呼ばれる無敵の鎧を身に纏う地涌の菩薩でなければ、その任務に耐えられないからだ。マックス・ヴェーバーが「ベルーフ(天職)」と呼んだ、いかなる状況下にあっても輝ける理想を捨てない「不屈の精神」をイメージしてもらうとわかりやすい。
竜宮城の人々の心は地上の人々よりも遥かに清らかだが、精神力は決して強いとはいえない。彼らが信仰する法華経は「正法時代の法華経」であって「末法時代の法華経」ではない。同じ法華経でも両者の間には「魔を滅する力」という点で雲泥の差があるのだ。
かくして地上を目撃した竜王と膃肭臍は立ちどころのうちに地上の汚れに耐えられなくなってしまったのだった。
「こんな心の汚れた連中に『対話』や『説得』など一切無用だ。
一刻も早く滅ぼしてしまった方がいい!」
生命境涯の基底部を修羅界に落とした竜王にとってこれは「当然の判断」であった。
かくして竜王は闘いの準備のためにひとまず竜宮城へと戻り、ひとり地上に残った膃肭臍は次々と国会議員を斬殺していったのだった。
「みんな、どうした?」
「うう」
「臆したか!」
「竜王様」
「私はこの国の王である。王の命令は絶対である」
「はい」
「ならば、余の命に従え」
「はい」
「はい、だと?」
「いえ・・・オーっ!」
大臣たちは皆、腕を高々と上げて叫んだ。
その後、直ちに宮殿を護る兵士たちの訓練が始まった。訓練期間は、およそひと月。それが終われば、彼らは地上へと進軍する。心から尊敬する竜王の命令とあって沢山の若者たちが勇んで集結していた。だが、ひとたび彼らが地上に進軍するならば、彼らもまた竜王同様、地上の毒気にあてられて、立ちどころのうちに穏やかな心を失い、修羅へと変わるだろう。
兵が訓練する場へ乙姫がやってきた。
「お父様、何をなさっているのですか」
「見ての通り、闘いの準備だ」
「おやめください。『釈尊の遺言』に背く行いです」
「なんだと」
「そうではありませんか。釈尊は『地上は地涌の菩薩が末法の法華経を広める国であり、正法の法華経を受持する者の出る幕ではない』とおっしゃられたではありませんか」
「そんなことを言っている時ではないのだ。地上は既に汚れ切ってしまっている。今すぐに我々が立ち上がらなければ、100年もしないうちに地上の生き物は全て滅ぶであろう」
「お父様」
「ここは、お前のいる場所ではない。下がりなさい」
かくして「脱益・摂受(=正法)の法華経」を受持する竜宮城の人々と「下種・折伏(=末法)の法華経」が広まるべき地上の人々との間で、闘いの幕が切って落とされようとしていたのだった。
※
「ここは、山の上なのか?」
小屋の表に広がる景色を見た聖斗はそう思う以外にはなかった。外に出てみよう。聖斗は小屋の外に出た。風景に変化はなかった。
「やはり、ここは山の上だ」
だが、どうして?自分は海を泳ぎ切り、砂浜で意識を失った筈だ。
「起きたか」
後ろから突然、声が。聖斗は声のする方に振り向いた。
「あなたは?」
聖斗の前には老人が立っていた。
「もしかして、砂浜に打ち上げられていた僕を助けてくれたのは、あなたですか?」
「そうだ」
「ありがとうございます」
「礼はいい」
「ところで、ここはいったい、どこなのですか?」
「ここは『竜王山』の山頂だ」
「竜王山」
竜王山と聞いて、聖斗は「はっ」とした。まさか、この老人は竜王と関係があるのでは。咄嗟に聖斗は身構えた。
「あなたは何者ですか?なぜ、ぼくをここへ連れてきたのですか」
すると、老人は手に刀を取り出した。
「それは」
その刀は紛れもない「聖」だった。刀を手にした相手に丸腰で戦えるわけがない。聖斗の顔に冷や汗が流れた。
「ほら」
「えっ」
老人は聖を聖斗に差し出した。聖斗はそれを受け取った。
「それは、お前さんの刀だろう?返すぞ」
刀を返した?この老人は「敵ではない」のか?何が何やら、まったく訳が分からなくなってきた。
「教えてください。あなたは何者で、自分をここへ連れてきた訳を」
「腹が空いてるだろう?」
確かに、聖斗は腹が空いていた。
「食べながら話そう」
老人は炊事をするために小屋の中へと入っていった。聖斗はそのあとに続いた。
朝食中。
「私は地上の人間ではない、といっても信じまい」
「それって、異星人ということですか?」
「私は竜宮城の人間だ」
やはり。
「この山の名前、『竜王山』といいましたよね?もしかして竜王と関係があるのでは」
「竜王様を知っているのか?」
「はい。知っています。直接会いました」
「詳しく話せ。いつ、どこで、どんなふうに出会った?」
聖斗は、この老人が竜王と関係のある人物であるからには「危険」とは思いつつも、ありのままに語った。
「というわけで、ぼくは『竜王の敵』です」
「のようだな」
「ということは、あなたの敵ということになります。せっかく助けていただいたのに、申し訳ありません」
「いや、違う。お前は私の敵ではない」
「どうして?だって、あなたは竜宮城の人間なのでしょう」
「私は竜王様の師匠だ」
竜王の師匠だって?
「私は竜王様の剣術指南役だ」
ならば、なおのこと敵じゃないのか。
「だったらどうして、ぼくは、あなたの敵じゃないのですか」
「それについて、知りたいか?」
その言葉には「興味本位で知ろうなどとは思うな」という含みが込められていた。
乗りかけた船だ。聖斗はとことんまで「知ってやろう」と思った。
「はい、是非とも」
「いいだろう。我が家は代々、竜宮城に伝わる剣術を受け継ぐ家柄だ。そのため私は竜宮王家の剣術指南役を務めている」
それはわかる。問題は、なぜ竜王の敵である自分を救ったのかだ。
「竜王様の剣術の才はまさに天才。私も嬉しかったし、誇らしくもあった。だが」
「だが?」
「つい、ひと月前のことだ。竜王様は突如『地上を見聞したい』と言い出された。私は止めた。地上へ行けば、清らかな心を失うことになるかもしれないと。だが、竜王様は『大丈夫だ』と言われた。『自分の精神力は人並み外れて優れているから、いかなる汚いものを見たところで悪の心に染まるようなことは絶対にない』と。今思えば、そのように話されること自身、竜王様の御心の中に『慢心』が芽生えていた証拠だったのだが、私はそのことに気が付かなかった。結局、私は折れた『竜王様のお人柄ならば大丈夫だろう』と」
どうやら、ひと月前まで竜王は「清らかな心を持った人間」であったようだ。
「どうして竜王は清らかな心を失ったのですか?」
「地上を見たからだ」
「地上を?」
「竜宮城は正法時代の浄土だが、地上は末法時代の穢土。その汚れは半端ではない。だから地上に暮らす地涌の菩薩は『忍辱の鎧』と呼ばれる鎧を身に纏っている。どんな悪もはじき返す『無敵の鎧』だ。その結果、どんなに悪徳に塗れた社会や心の腐りきった人々の姿を見ても冷静さを保っていられる。そうした社会や人々を変革するために対話による地道な努力をすることができる。常不軽菩薩のように。だが、竜宮城の人間はそうではない。地上の人々よりも心清らかではあるが、悪徳に塗れた社会や人間を見た時に生じる『幻滅』は地上の人々の比ではない。『こんな悪人どもは直ちに滅ぼすべきだ』と考えてしまうのだ」
「あなたも竜宮城の人間ですよね?でも、あなたは地上にいても冷静な判断のできる、まともな人間に見えます」
「私は竜宮城の人間ではあるが、母は地上の人間。つまり自分は生まれた時点で既に末法の法華経の種子をこの身に植えられていた。苦労したのは私の父だ。最初から法華経を学び直し、折伏の実践を必死に行ったことで、地上でも冷静な状態を保つことができるようになったそうだ」
「今までの話を聞いて、正直、ぼくは悩んでいます。ぼくは父の仇である竜王を倒さなくてはならない。何よりも竜王を倒さないことには地上の人々の平和な暮らしを護れない」
この言葉を聞いた老人の目が一瞬、きらりと光った。
「そなたは剣客だな?」
「ええ、一応は」
「どうだ?私のもとで修業する気はあるか」
「えっ」
「お前ならば、ひと月で奥義を会得できよう。さすれば竜王様を倒すことも夢ではない」
「な」
竜王を倒すことができる?
「それは、本当ですか」
「竜王様はまだ奥義を会得なされてはいない。そなたが奥義を会得するならば、竜王様の剣を超えることができるだろう」
「でも、ぼくに教えていいのですか?ぼくは竜王を倒しますよ」
「私は山を下りることができぬ。そなたの手で竜王様を倒してくれるならば、願ってもないことだ」
「それでいいのでしたら」
「よろしい。では契約成立だ」
こうして竜王山の頂で聖斗の「竜宮の剣」の修行が始まったのだった。
※
「剣を置け」
剣の修行を始めるのに師匠は「剣を置け」という。
「はい」
聖斗は素直に剣を置いた。
「まずは精神修養だ」
そう言って師匠が説いたのは『三相性理論』。それは竜種上如来=文殊菩薩が竜宮城で法華経を説く際に用いた物理法則である。
三相性理論。それは「本=あの世=仏=妙」と「迹=この世=エネルギー=法」の二つから成る。それは宇宙が妙と法という二つの要素から構成されていることを意味する。天体観測や科学実験では残念ながら「法の世界の現象」しか計測できないため、現代の地球の天文学者や物理学者は「妙」の存在を完全に見落としているのだけれども。
まずは「法の三相性理論」から見ていこう。
粒子 ← 相補性 → 九界の波動
↑ ↖ ↗ ↑
相関性 相対性 相関性
↓ ↙ ↘ ↓
重力 ← 相補性 → 直流時間
法は単体で存在しているときには「空」即ちいかなる性質も持たない状態として存在する。体積もなければ質量もない。勿論、姿形などあるわけもない。そんな状態である。そのエネルギーが「妙=宇宙の根源」と接触したとき、エネルギーは「色」即ち素粒子に変化する。上の図はそうした素粒子の性質を図にしたものだ。
粒子と波動の関係性である「相補性」と、粒子と時間の関係性である「相対性」については前者がボーアによって、後者がアインシュタインによって発見されたことは知っての通りだ。
これらの性質は法がエネルギーを素材として妙の性質を写し取ったものだ。だから妙が本体で、法はコピーということになる。そしてコピーだから当然、妙とは性質が微妙に異なっている。
生命 ← 相補性 → 仏界の波動
↑ ↖ ↗ ↑
相関性 相対性 相関性
↓ ↙ ↘ ↓
万有引力 ← 相補性 → 交流時間
こちらが「妙の三相性理論図」である。九界の波動が仏界の波動になっていたり、この世では当然、過去・現在・未来の一方にしか進まない直流時間が三世一帯の交流時間となっているなど性質が異なることがわかる。
この理論を竜宮城では「仏理学」と呼んでいる。仏理学は「物理学と仏教の合成語」であり、それは物理学と仏教が本来「同じものである」ことによる。物理法則と仏教の教えが一緒であるという発想は宗教を「非科学的なもの」と見做す現代地球人にはとても理解できないだろうが、仏教なかんずく法華経は「宇宙の真理」を正確に説明する学問なのだ。そのことをよう解明することができないでいるのだから、地球人類の物理学と宗教に関する見識と理解がいかに幼稚で浅薄なものであるかは明らかだ。だから地球人類は核兵器を筆頭にステルス戦闘機や原子力潜水艦といった具合に「科学の悪用」を好む。倫理・道徳は宗教を根底とするから、宗教を否定する科学は当然「反倫理・不道徳」にならざるを得ないのである。その結果、人類は正しい思想=平和主義を実践することもできず、軍事競争や経済競争ばかりやらかしているのである。
妙の四大性質の一つである「万有引力」は言わずもがなニュートンが発見したものだ。文句なくニュートンは天才である。「仏教徒ではない」にも拘わらず、仏の性質のひとつを発見したのだから。そして「仏界の波動」は言わずもがな「南無妙法蓮華経」の題目のことである。南無妙法蓮華経とは仏界の波動を人の口で発声できるように文字で表したものなのだ。故に南無妙法蓮華経の題目は万有引力の瞬間作用によって瞬時に全宇宙に広がり、交流時間によって現在だけでなく過去にも未来にも響き渡り、そして生命に活力を与えるのだ。
師匠がこの図を聖斗にレクチャーしたのは南無妙法蓮華経の題目を唱えることで人は妙の世界を容易に知覚することができる。そして妙の世界は無尽蔵の「智慧の宝庫」であり、それを知覚できれば自分の潜在能力を最大限にまで高めることができること、更には自分のことだけでなくあらゆる人々のことを思いやることができる「心の広い人間」へと成長できることを学術的・理論的に証明するものだからだ。また地球人類がどうして争いを好むのかの理由もこの図からわかる。法の三相性理論図を見て欲しい。重力と九界の波動は「相対性」にある。つまり重力が増すと波動の質=生命境涯は下がるのだ。太陽や夜空の星々が放つ光は菩薩界、ブラックホールは地獄界といった具合に。そして地球サイズの惑星の場合、地上を覆っている波動は「修羅界」なのだ。だから地球上の生物は地球が発生する修羅界の波動の影響を受けて「弱肉強食の争い」を繰り広げるのである。無論、それが地球を「生物多様性溢れる素敵な星」にしたことは事実である。だが、人類がいつまでもそんなものに振り回されていたら未来に待っているのは「地球の滅亡」である。竜王が今回、地上に闘いを挑んだのは、そうした「未来」を危惧したからなのだ。
「わかったか?聖斗」
「はい」
「よろしい。では、剣を取れ」
聖斗は聖と手に取った。師匠もまた自分の剣を手に取る。
真剣勝負だ。聖斗が心配する。
「心配ない。お前の刀は儂の体に掠り傷ひとつ付けられぬし、儂は峰打ちで打つ」
大した自信だが、あの竜王の師匠ともなれば、それも当然だろう。
「やあっ」
聖斗が打ち込む。するとどうだろう、師匠はあっという間に聖斗の刀の軌道から体を外すと、聖斗の頭にコツンと一発、軽く面を入れた。
(これが、この人の実力なのか)
その後も修行は続く。だが、聖斗は一発も入れられない。師匠は左腕を背中に回し、右腕のみで剣を軽々と操っているにも拘らず。
しかも、それだけではない。聖斗の眼に師匠の振るう剣は、まるで「鞭」のように撓って見えるのだ。言うまでもなく剣は固い素材でできており、決して曲がることはない。それが曲がって見える。
聖斗は師匠に、その理由について尋ねた。
「そんなことは自分で考えろ」
けんもほろろに、そう言われてしまった聖斗。こうなったら意地でも解明してやる。聖斗は師匠との修行を続けた。
やがて聖斗は師匠が「利き腕の親指を立てている」ことに気が付いた。聖斗も試しに師匠の真似をしてみた、そして当たり前の話だが、拳に力を入れにくいのだった。
(まさか、師匠の剣技の秘密は)
聖斗は右拳の力を抜き、右肘に力を入れて押し出してみた。
すると聖が鞭のように撓った。しかも剣の速度も格段に速い。師匠は聖斗の一太刀を両手で受けとめた。師匠は今日、初めて本気で聖斗の剣を本気で受けとめたのだった。
「そうだ。それが先程の問いの答えだ」
師匠の剣が鞭のように撓る理由は拳の力を抜き、肘に力を入れ、肘をつき出したり左右に振ったりしていたからに他ならない。肘から先の部分は肘の動きに合わせて付いてきていたのだ。実は「野球のバッティング」においても同様のことが起きている。グリップはそのままの位置で最初は腰を回転させる。グリップをそのままの位置にできないところまで腰を回したところで腕を振ると、バットは鞭のように撓り、しかも体に巻きつくように最短距離で出てくる。
「今の感覚を忘れるな」
「はい」
忘れる筈がなかった。聖斗は「第一の関門」を無事に通過したのだ。もしも師匠がこの「原理」を聖斗に口頭で教えていたら、聖斗がこの剣の振りの感覚を習得するまでには、かなりの時間を有しただろう。或いは「一生ダメ」だったかもしれない。
最近のニッポン人は、わからない問題があるとすぐさま「スマホ検索」によって答えを見てしまうが、そのようにして得た答えなど、数日もすれば忘れてしまうものだ。テレビのクイズもしかり。出題の数分後には出題者が正解を教えてくれることがわかっているから問題を真剣に考えない。で結局、明日の朝には解答どころか、どんな問題が出題されたかさえ忘れているのである。
自分で悩み考え、会得したものでなければ身にならない。師匠はこの時、聖斗に剣の基本だけでない「人生の基本」を教えているのだ。
だが、これはまだ第一の関門だ。まだまだ通過するべき門は無数に控えていた。
翌日
「今日は更に一歩、前進するぞ」
「えっ」
「時間がない。竜王様はいつ地上に侵攻するかわからないのだ」
確かに、その通りであった。聖斗は一日も早く、竜王と戦えるだけの実力を身に付けなくてはいけないのだ。
「今日、お前が学ぶべきことは『剣の先端で相手を切らないこと』だ」
そういうと、師匠は聖斗に襲い掛かった。瞬足の動きによって、聖斗はあっという間に師匠に間合いの内側に入り込まれた。
「やあっ」
師匠が剣を振り下ろす。聖斗は防御するのに手一杯だ。
「うわあっ」
聖斗は後ろに大きく弾き飛ばされた。
「今の私の攻撃が見えたか?」
師匠が聖斗に向かって、そう言った。
「はい」
聖斗はそう答えた。聖斗は決して「嘘を吐く男」ではない。
「そうか。ならば攻撃してこい」
「はい」
聖斗は師匠に攻撃を仕掛けた。
「はあっ」
聖斗の攻撃。それは、はじめから剣先を相手の頭に振り下ろす「面」ではなく、右拳で相手の顔面を殴る結果としての面であった。
師匠は聖斗の攻撃を受けとめる。
「どうやら、わかっているようだな」
今日、聖斗が習得すべきことは「拳で相手の急所を殴ること」。相手の顔を殴れば「面」となり、胸を殴れば「突き」となり、手首を殴れば「籠手」となる。
「なまじ刀を握っていると、相手の攻撃を受けたくないという心理が働いて、敵との間合いを取って、つい刀の先端で相手を切りたくなる。だが、実際の戦闘では相手との間合いを詰めて『拳で殴る』ように刀を振らなくてはならない。そして相手との間合いを詰めるということは、剣を振ろうとする相手の攻撃を封じることでもある」
竜宮の剣の何という「奥の深さ」!「地上の剣術」とは発想がまるで違う。聖斗はなぜ「父が竜王に勝てなかった」のかを師匠との修行を通じて、まざまざと思い知らされた。と同時に聖斗は自分が着実に「成長している」ことも実感した
だが、まだ学ぶべきことは多い。聖斗は必死に師匠に食らいついて行くのだった。
※
聖斗が行方不明となって一か月が過ぎた。
「こちら、帆乃香です」
「帆乃香、大変よ」
「どうしました首相」
「今、東京都内の派出所が何者かによって次々と襲撃を受けているの」
「なんですって」
「それで警視庁にも連絡を入れたのですが、警視庁にも敵が来襲しているようなの」
「わかりました。今から警視庁に連絡を入れてみます」
「頼んだわよ」
「首相官邸は無事なんですか?」
「わたしは大丈夫です」
「万が一ということもあります。ヘリコプターによる脱出準備をしておいてください」
「ありがとう」
とにかく、まずは警視庁へ連絡だ。
「ジミー、聞こえますか?帆乃香です」
「帆乃香か」
ジミーは既に敵と交戦してきたのだろう。スーツにはいくつもの刀傷があった。
「見ての通り、敵と交戦中さ」
「大丈夫ですか」
「今まで警察署や派出所を襲撃していた敵が陸続と集結してきてはいるが、なあに死守してみせるよ。ここは本陣、落とされるわけにはいかないからな」
こういう言い方をするということは、苦戦はしているものの勝てる見込みがあるのだろう。
「それより、お前たちの方は一刻も早く敵の正体を暴き、ボスを捕らえるのだ」
敵の正体は恐らく望を倒した「竜王」とその一味に違いない。
「わかりました」
帆乃香との通信を終えた直後、総監室に警視監が飛び込んできた。
「総監、渋谷で大量殺人事件が発生。渋谷の交差点で何者かが市民を片端から殺害している模様。機動隊では手に負えないとのことです」
「なんだと!」
今までは警察署や派出所への襲撃だったが、遂に一般市民まで。
許せん。断じて許せん。
「総監、どちらへ」
「ここは君に任せる。私は渋谷へ向かう」
そういうとジミーは戦闘中の警視庁内を、敵を倒しながら駆け抜け、地下駐車場の車を駆って一路、渋谷へと向かった。
渋谷。
「これは酷い」
普段は人で賑わう渋谷の交差点に無数の死体が転がっていた。10人20人などという数ではなく、ざっと見ただけでも200人はいる。現場に出動した機動隊員の姿も既にその中に含まれていた。それは紛れもない「大量殺戮」の光景だった。
「何処だ、何処にいる、出てこーい!」
ジミーは四方に向かって叫んだ。
すると、ひとりの男が悠然と歩いてきた。体にはグレーの鎧を纏っている。
「貴様がやったんだな」
「そうだ」
「何者なんだ」
「俺の名は『胡獱』」
「トド?ということは貴様も」
「竜宮の遣い」
「おのれ!」
ジミーはゾンデを構えた。
19
「ほう、変わった武器を持っているな」
胡獱はジミーが手にするゾンデに興味を抱いた。
「その武器を用いて繰り出す技、とくと拝見させてもらおう」
「舐めるな」
ジミーがゾンデを振った。ゾンデが蛇のように撓り、胡獱めがけて跳ぶ。
「成程」
胡獱は自身の太刀を振り上げると真っ直ぐに振り下ろした。その太刀の姿もまたゾンデのように蛇のように撓っている。
太刀がゾンデを弾き返した。
「そんな、バカな」
ジミーは胡獱の手にする太刀が蛇のように曲がったのを見て驚きを隠さなかった。
ジミーのゾンデが無敵なのは、いくつもの棒をピアノ線で繋ぐことで蛇のようにクネクネと曲がった動きを可能としていることにある。それと同じ動きを、ただの一本の棒に過ぎない筈の太刀でするとは。ジミーは胡獱が今まで遭遇したことのない「強敵」であることを悟った。
「今度は、こちらから行くぞ」
胡獱がジミーに突っ込む。
「やあーっ」
胡獱の振る太刀がまたも蛇のように撓る。
「くっ」
ジミーは左肩を切られた。
「くそう」
ジミーはゾンデを自分の体の周りに旋回させた。これは「防御の技」に他ならない。ゾンデによって作り出された「結界」。
だが。
「うわあ」
胡獱には、このような技は通用しない。今度は左太腿を切られた。ジミーは左膝をついた。
「なんて奴だ」
ジミーは胡獱の繰り出す竜宮の剣に全く歯が立たない。
「まだ終わりじゃない」
立ち上がるジミー。ジミーはゾンデを上に振ると、ゾンデの柄の部分にあるレバーを引いた。
「これでどうだ」
それまで蛇の様だったゾンデは一本の槍へと変化した。
「そんな仕掛けもあるのか」
胡獱はゾンデの仕組みに感心した。槍となったゾンデの長さは約3m。
「はあああああ」
ジミーはゾンデを自分の頭の上で旋回させた。ゾンデが高速回転する。ここから繰り出される技はひとつしかない「高速の突き」。
「はあああああ」
さらに速度が増す。ゾンデの先端の速度が人間の動体視力を超えた。いかに竜宮城の人間とはいえ、ゾンデの先端を見極めることはできない。
「いいだろう。ならば」
胡獱が太刀を構えた。
「この勝負は『一瞬で決まる』」
「いくぞー」
ジミーがゾンデを突き出す。
「おうー」
胡獱が太刀を繰り出す。
そして。
「あああああ」
胡獱の心臓にゾンデが突き刺さる。
「見事だ・・・」
胡獱は口から血を流すと仰向けに倒れた。勝者はジミー。
「ううう・・・」
いや違う「相打ち」だ。ジミーの胸にもまた胡獱の太刀が突き刺さっていた。相手の方が「実力は上」であることを悟った時点で、ジミーはコックローチの矜持から相打ちを決めていたのだ。
「あとは・・・頼んだぞ・・・」
ジミーもまた、その場に倒れた。
※
「首相」
SPが和希子のいる執務室に飛び込んできた。
「ここにも敵が現れました」
ある意味、これは予想通りであった。
「首相、屋上のヘリコプターで脱出の準備を」
「わかりました」
だが、それは難しかった。思った以上に早く執務室に敵がなだれ込んできたのだ。
「ぎゃあ」
SPが和希子の目の前で殺された。
「首相、次はお前だ」
万事休す。
「覚悟!」
その時。
扉の外から、ひとりの男が執務室に飛び込んできた。その男は背後から敵をひとりぶった切ると、そこを通路に和希子と敵の間にすばやく入り込んだ。
「烈!」
「お前たち、この人には指一本触れさせないぞ」
烈が和希子の救援にやってきたのだ。
「首相。もう心配はいりません」
烈が苦無を構える。
「お前ら、ひとりも生かして返さないから覚悟しろ!」
ひとりも生かして返さない、とは。普段の冷静沈着な烈とは明らかに違うと和希子は感じた。当然だ。この時、烈は帆乃香から「ジミーがやられた」ことを知らされていたのだ。
銅鐸の塔。
「ジミーが・・・死んだ?」
帆乃香は警視庁との通信を切った。帆乃香の心の中で「ジミーとの思い出」が走馬灯のように巡りはじめた。
地味な男だから「ジミー」と呼んでくれ。
初めての自己紹介から、笑わせてくれた。
そして。
自分の体にしっかりと掴まっていろ。
核ミサイル発射基地での戦いでは、一緒にダンスを踊った。ダンスを踊りながらゾンデを操るジミーの姿は実に素敵だった。
「ジミー」
帆乃香の右目から涙が零れ落ちた。
首相官邸。
「うおおおおおお」
烈の苦無が敵の喉を次々と掻き切る。忍である烈の動きは人間を超越、文字通り「猿」のような俊敏な動きを見せる。さすがは烈。10人ほどもいた敵を一掃した。
「和希子様。屋上のヘリポートへ急ぎましょう」
ふたりは屋上へと向かった。屋上のヘリコプターまで、あと僅か。
「なに」
突然、ヘリコプターが爆発した。
「和希子様」
烈が和希子を抱きかかえて爆風から護る。炎に染まるヘリポート。その炎の中から人影が現れた。
「何者だ?」
烈はただならぬ殺気を感じた。
「俺は竜王」
なんと、それは竜王だった。竜王直々に首相官邸にやってきていたのだ。
「それでは、お前が『望を倒した男』か!」
「うおおお」
竜王が烈に攻撃を仕掛けてきた。烈の左肩が切られた。
「くっ」
速い。なんという速い動きだ。
「これが奴の実力か!」
烈は直ちに竜王に向かって振り向く。
「これでも喰らえ」
烈は手裏剣を投げた。
「ふん」
竜王はいとも簡単にそれを弾いた。さらに続けて烈は手裏剣を投げる。だが、今度は弾くどころか体全体で避けられてしまった。
「無駄だ」
どうやら、そのようだ。
「やあっ」
竜王が草薙剣を下から上に向かって振り上げた。
「なに」
竜王と烈との間には、かなりの間合いがあったにもかかわらず、烈は肩に裂傷を負った。
「これは『かまいたち』か!」
「飛魚の飛翔」
その名の通り、トビウオが海の上を飛翔するように剣の威力が空気を伝搬して敵を襲う技だ。
「そろそろ、終わりにさせてもらう」
「くっ」
「さらばだ」
竜王が技を繰り出した。
「鈍亀のひと突き」
望を倒した技だ。
「ぐわああああ!」
竜王の剣が烈の胸を貫いた。
「きゃあああ、烈ーっ!」
和希子の絶叫。
(死ぬのか、俺は。愛する女性も護れずに。ぶ・・・無様だ)
竜王が烈の胸に刺さった剣を抜く。烈は仰向けに倒れた。竜王が目の前にいるのも関係なく和希子が烈のもとに駆け寄る。
「烈、烈!」
「和希子・・・さま」
烈の首がガクリと落ちた
「烈ーっ!」
烈が死んだ。「無念の死」とはまさにこのことだ。圧倒的な実力差の前には、こうした「この世に憾みを残した死」もあり得るのだ。
「ううううう」
泣き崩れる和希子。もはや今の和希子には戦う気力もなければ逃げる気力もない。
「仲良く、あの世で会うのだな」
「ううううう」
「さらばだ」
だが、竜王は和希子にとどめを刺すことはできなかった。
「なんだ?」
竜王に向かって上空からスポットライトが照射された。ローターレスヘリコプターが降下してきたのだ。
「くっ」
ヘリコプターからレーザー光線が発射された。そのレーザー光線が竜王の左肩を焼いた。
「仕方がない。ここは引くか」
竜王は逃げ出した。
ヘリコプターが屋上に着陸した。
「首相」
ヘリコプターから降りてきたのは帆乃香と勇気。先程のレーザー光線は帆乃香の左目から発射されたものだ。さすがは帆乃香だ。「ジミーの死」という悲しみに浸るのは後回しにして敵が必ずや襲うに違いない首相官邸に駆けつけてきたのだった。
「これは!?」
帆乃香と勇気は既にこと切れている烈を見た。まさか、烈が倒されるなんて。
「許せねえ、許せねえぜ、竜王!」
勇気が怒りの炎を燃やす。
「首相、早くヘリコプターにお乗りください。勇気は烈を乗せて」
帆乃香が局長らしく冷静な指示を出す。だが、帆乃香もまた心の中では勇気同様、怒りに打ち震えていた。
首相と烈の遺体を乗せたローターレスヘリコプターは銅鐸の塔へと向かった。
※
銅鐸の塔、遺体安置所。
「ジミー、烈」
ジミーの遺体もまた既に警視庁から空輸されてきていた。
ふたりの遺体が並ぶ。こんなことがあっていい筈はなかった。ゴキブリとしては、この「お返し」をしないわけには絶対に行かない。
帆乃香と勇気が安置所を去る。和希子はただ一人、その場でじっと立ち尽くしていた。
「首相」
「そっとしておきましょう」
和希子を残して帆乃香と勇気は、その場を離れた。
その後、勇気はリビングのソファの上で仮眠。帆乃香はコンピュータルームで次の敵の動きをシミュレートしていた。ジコマンコンピュータの能力は近年流行りのAIなど比較にもならないほど正確で緻密だ。
「成程」
帆乃香はシミュレートの結果を確認してから、明日に備えて仮眠に入った。
夜が明けた。
被害状況は深刻だった。都内の警察署や派出所は軒並み破壊されていた。朝のワイドショーでは、深夜に首相官邸の屋上で起きた爆発の模様が繰り替え流されていた。そして首相の行方は不明であることも。
「拙いな」
「早く首相に、無事を国民に伝えていただかなくては」
「わたしが行きます」
帆乃香が安置所へと向かった。
安置所の扉を開いた時。
「首相!」
何と、首相は手首を切って自殺をはかっていたのだった。帆乃香は慌てて首相の傍まで駆け寄った。
「首相、首相、しっかり」
「ううう」
その後、首相は直ちに医務室へと運ばれた。
「ううう」
「気が付いたようですね?首相」
「わたし…死ねなかったのね」
「死んではいけません。あなたはこの国の首相なのです。その責務を全うしなくては」
「何のため?私にはもう生きている理由など、ありません」
「首相!」
「愛してたの、本当に愛してたの。ううう」
「首相。ならば尚のこと死んではなりません。烈はあなたが自分の後を追うことなど望んではいません」
「帆乃香」
「輸血が済んだら、申し訳ありませんが、首相には党本部へ入ってもらいます。国民に無事である姿を見せていただかなくてはなりません」
「わかったわ」
その後、首相は銅鐸の塔から党本部へ向かった。
「さてと、勇気」
「はい」
「今から、今日の作戦について会議よ」
帆乃香と勇気のふたりは、リビングへと向かった。
「敵は再び首相を襲う?」
「ええ、間違いないわ」
どうやらそれが、コマンコンピュータがはじき出したて結論らしい。
「では、警備を厳重にしなくては」
「そこで、彼に応援を頼みました」
「彼?」
「ええ、彼」
「それで今、彼はどこに?」
「もうすぐ、ここにつくはずよ」
帆乃香の左耳に仕込まれたコンピュータに電話が入った。
「今、着いた」
「下に行くわ」
帆乃香は「彼」を迎えに銅鐸の塔の外へ出ると、東側に新たに設置された駐車場へと向かった。
「長旅、ご苦労様」
「そっちこそ、残念なことがあったようじゃな」
長旅でやってきた彼とはDr.フリップであった。
「凄い車ね」
アストンマーチンやベントレーに載っていた彼が今回、乗っている車は、何と三輪車だった。といっても子どもが乗る三輪車ではない。V型二気筒エンジンをフロントに積む、前二輪、後ろ一輪の自動三輪車。
「モーガンじゃよ。『3ホイーラー』と言ってな。ニッポン人には馴染みがなかろう」
「どこで探したの?そんな古い車」
「おいおい、これは新車じゃよ」
「嘘!」
嘘ではない。フリップは1年以上も前にモーガン社に注文を入れ、つい最近、新車で手に入れたばかりなのだ。古いものを次々と捨てていくニッポンとは異なり、イギリスでは今もこうした手作りの「工芸品のような車」が作られ続けているのである。
「で、和希子殿はどこじゃ?」
「既に党本部にいるはずよ」
「党本部じゃな」
「それで行く気?」
「見た目は古くても、実用性能は充分ある。高速道路だって楽々走れる」
帆乃香は助手席を覗いた。そのシートの上には何も置かれてはいなかった。
「武器はどこにあるの?」
「武器か?これに決まっておろう」
フリップは意気揚々とEYELANDSを見せた。
「今度の敵にはEYELANDSは通用しないわよ、フリップ」
竜宮城の人間に洗脳術が通用しないことは、和希子の狐憑きの術が効かないことからも明らかだ。
「まあ見ておれ。『EYELANDSは最強』だということを奴らに見せてやるわい」
フリップはそう言い終わると3ホイーラーを意気揚々と走らせて、この場を立ち去った。
党本部。
マスメディアを集めての記者会見を終えた和希子が党首室で寛ぐ。
「お邪魔するぞ」
銅鐸の塔から到着したフリップが入ってきた。
「フリップさん。わざわざイギリスからお越しいただいて、お疲れでしょう?」
「烈のことは残念じゃったな」
フリップはそう語った。憎い恋敵ではあったが、フリップは烈を「真の男」と認めていたから、心の底からその死を悼んでいた。
「ええ」
「これからは儂がそなたを護る。烈のためにもな」
その後、和希子は首相官邸に戻った。
※
深夜。
「来たか」
ジコマンコンピュータの予想通り、やはり敵がやってきた。表では既に闘いが始まっている。今回は警備の数を増やしているから、敵もなかなか官邸の中には入れない。だが、いずれはひとりふたりと突破してくるだろう。
帆乃香と勇気はこの場にはいない。ふたりは既に「別動隊」として行動していた。ふたりはフリップを信用していた。フリップならば必ずや首相の命を護ってくれるだろうと。
だがフリップは一体全体、どうやって戦うのだろう?
フリップは帆乃香から「今回の敵にはEYERANDSは通じない」と言われた。にも拘わらずフリップはEYELANDS以外には何も所持してはいなかった。
執務室のデスクの正面に置かれたソファに優雅に腰を下ろすフリップ。フリップはソファに座った状態のまま、EYELANDSを鹿の皮で磨いていた。デスクの後ろには和希子が座っていた。
「フリップさん」
「まあ、『泥船に乗った気分』で見ていて下され」
おいおい、泥船は「沈む」ぞ。
やがて廊下が騒がしくなった。
「来たな」
扉が開いた。敵がぞろぞろと入ってきた。手に手に物騒な長物を握っている。
「首相覚悟!」
「覚悟するのは貴様らじゃ」
フリップがEYELANDSを構えた。だが、フリップはEYELANDSを掛けない。フリップはEYELANDSを自分に向け、レンズをじっと眺めた。
「うおおおお」
フリップは相手を洗脳するのでなく、自分に洗脳をかけているのだった。見る見るうちにフリップの体全体の筋肉が盛り上がる。腕の太さが倍になる。胸の筋肉も張り出し、シャツが胸元からビリビリと破れる。弱弱しい老人のフリップが、まるで体を鍛え抜いた格闘家のような姿へと変貌していく。
フリップが手にするEYELANDSのレンズには指先から伝達される「フリップの意志」が次のような文字となって表示されていた。
お前は強い。
お前は最強の拳闘家。
持てる潜在能力を全て引き出し、今から敵を一掃する。
「うおおおお」
EYELANDSにはこんな使い方もあったのだ。さすがは発明の天才Dr.フリップの最高傑作!
洗脳が終わった。フリップはEYELANDSを掛けた。レンズの奥から不敵な瞳が光る。
「待たせたな、雑魚ども」
「雑魚だと?」
「年寄りが、我らをなめるな!」
敵が長物を振りかざす。だが長物はフリップの体に当たらない。圧倒的なまでのフリップの俊足。敵は「竜宮城の精鋭」の筈だが、EYELANDSによって潜在能力を覚醒したフリップの敵ではなかった。
「おわたーっ!」
フリップの正拳突きが敵の胸に入る。
「ぎゃあ」
敵の体が廊下まで吹っ飛ぶ。今のフリップの正拳はヘビー級プロボクサー並みだ。
さらに。
「おわたーっ!」
「ぐええ」
フリップのフックを喰らった敵の顎の骨が一瞬で砕け散る。
そして。
「おわたーっ!」
「うぎゃあ」
フリップのチン(アッパーカット)を受けた敵は頭から天井のボードを突き破った。
この調子で次々と敵を倒す。その間にも増援が陸続と部屋に入ってきたが、それらも次々と倒す。やがて敵の流れは止まった。
「どうやら、終わりの様じゃな」
ピクリとも動かなくなった敵を見渡す。
「烈よ。お前の大切なものは儂が護り通したぞ」
そういいながら、和希子の方を振り向いた時だった。
「む」
もう一人、残っていた敵が執務室に入ってきた。こいつこそが今回の作戦のリーダーを務める竜王第一の側近にして竜宮城が誇る剣豪のひとり、一角(イッカク)だった。
「まだ、ひとりいたのか」
「お前、ひとりで倒したのか?」
「他に誰がいるというのじゃ」
「よかろう。相手にとって不足無し」
一角が刀を抜いた。刃渡り1mを超す長刀。
「『武器は卑怯』などとは思わんでくれよ。これが俺の学んだ武道なのだ」
「構わんよ」
だが、これはさすがにフリップの過信だった。一角は竜王を警護する最強の剣客のひとり。おまけにフリップは既に20人を超える敵と戦っていた。洗脳による覚醒は続いていたが、体力的には確実に疲労していた。
「くっ」
フリップの右肩が切られた。
「お主、やりおるわい」
「殺すには惜しい矍鑠たる老人だが、その命、貰い受ける」
「ただで死ぬと思うか」
フリップが跳んだ。
「喰らえ」
フリップの空中回転蹴り。これで一角の手にする刀を折るつもりだ。
「なに?」
しかし一角はそれを刀の鞘で受けた。鞘は刀の刃よりも頑丈に作られている。鞘はフリップの足技をもってしても折れなかったばかりか逆にフリップの足の骨を折った。
「うぎゃあ」
床に落下したフリップ。骨の折れた右足の脛を押さえる。
「油断したな。私の剣術は長刀と長鞘による二刀流なのだ」
重い長刀を片手で自在に操ることが可能であればこその技だ。フリップが二刀流を意識していなかったのは当然だ。
「くう」
「これで終わりだ」
刀が振り下ろされる。
「くっ」
フリップは真剣白刃取りで刀を押さえた。だが右肩と右足を骨折したフリップに、もはや勝ち目はなかった。
「竜宮の剣『海獺の貝殻割り』」
一角は刀の峰を、鞘を槌にして打った。刃がフリップの掌をすり抜けた。
「ぐわあっ」
刃がフリップの胸を切った。フリップはその場で血を吹き出しながら仰向けに倒れた。
「フリップ!」
和希子の絶叫。
「烈、済まぬ」
フリップがやられた。SPは既に全員、外で倒されている。一角がじりじりと和希子に詰め寄る。
「弟たちの仇、討たせてもらうぞ」
「弟?」
「膃肭臍と胡獱は俺の弟だ」
どうやら一角は三兄弟の長兄らしい。
「首相、覚悟!」
その時、扉の外から執務室にひとりの人物が飛び込んできた。このシチュエーションは以前にもあったものだ。
(これって、烈?)
和希子は瞬間、そう思った。だが、今回は烈ではなかった。
「あなたは・・・聖斗?」
そう。執務室に飛び込んできたのは聖斗だった。
「何だ、お前は?」
一角は聖斗に向かって、そう言った。
「・・・・・・」
だが、聖斗は無言。
「何者か知らんが、どかねば死ぬぞ」
この時、聖斗は「ふっ」と笑った。その笑いが一角の機嫌を損ねた。
「このガキ。死ねえっ!」
一角が剣を振り上げた。
その瞬間、聖斗の体は既に一角の後ろに移動していた。と同時に一角は背中に痛みを感じた。
「こ、この技は『海鼠の嚏』?」
聖斗は一角が剣を振り上げた瞬間、一角の横を走り抜けた。その際、聖斗は抜刀術で剣を抜き、一角の背中を切ったのだ。いや、正確には峰打ちであった。鞘の中から超高速で飛び出される刃は、まさに海鼠の肛門から発射される内臓そのものだ。いかに峰打ちとはいえ、その衝撃は凄まじいものがある。
「う・・・ぐ・・・」
背中を打たれた一角はそのままうつ伏せになって倒れ、気絶した。
「聖斗、無事だったのですね」
「首相、遅くなりました」
その後、聖斗は今までの出来事について首相に語った。竜王山で竜宮城の剣の達人から指導を受けていたことを。
「あなたは急いでコックローチのメンバーを追いなさい」
首相の話ではコックローチのメンバーは全員、竜宮島へ向かったと言う。今回、ここに竜王の姿はなかった。ということは、奴はきっと竜宮城へ戻ったに違いない。
拙い。もしもコックローチと竜王が鉢合わせることになれば、コックローチは全滅する。
「首相、急いでヘリの手配をお願いします」
こうした話のやり取りをしている間に一角が意識を取り戻した。意識を取り戻した一角は背後から聖斗に一撃を加えるべく、聖斗に気付かれぬように静かに起き上がった。聖斗、危うし。
「ぎゃあああ」
突然の悲鳴。聖斗が一角に切られた?
違う。聖斗は切られてはいない。この悲鳴は別人のものだ。聖斗と和希子は悲鳴が聞こえた方を向いた。
「フリップさん!」
そこには、死んだはずのフリップが起き上がり、一角の後ろに立っていた。悲鳴はフリップの手刀によって心臓を背中から貫かれた一角のものだった。フリップのおかげで聖斗は助かった。聖斗はフリップのもとに駆け寄った。
「フリップさん・・・」
だが既にフリップは死んでいた。というよりフリップは先程、既に死んでいたのだ。聖斗を助けるために「一時的に生き返った」とでもいうのか?
「フリップさん、ありがとうございます」
聖斗は見開いた状態のままにあるフリップの瞼を閉じた。
やがて首相官邸屋上にヘリが着陸した。
「首相、行きます」
聖斗は直ちに竜宮島へと向かうのだった。
※
「着水」
飛行していた遠洋漁船量子が海に着水した。
「あれが竜宮島です」
コックローチを乗せた量子の前に竜宮島が見える。
「あそこにきっと竜宮城に通じる通路がある筈」
「上陸準備」
量子が竜宮島に接岸した。量子から次々とメンバーが下りる。帆乃香を筆頭に勇気、トロンボーンを手に美音、薙刀を手に澄子、木刀を手に望、そして今回はこの人も。
「久しぶりの実戦だからウズウズするぜ」
この声は一磨だ。
「さっさと通路を見つけようぜ」
だが、それは容易ではないだろうことも承知していた。すぐにわかるようなものの筈がないからだ。
早速、探索に入る。竜宮島は小さな無人島だ。見る限りでは森と砂浜しかない。
「あれは何です?」
勇気が遠くの砂浜にある岩を指差した。
「行ってみようぜ」
到着すると、それは確かに岩だった。だが、その形が実にユニーク。
「どうやら、この岩は『亀岩』のようだ」
亀岩。奈良・明日香村にもこれと同じような岩がある。
「これが竜宮城への入り口なのか?」
周囲を歩く。だが、それらしき穴はない。
「わたしが調べるわ。ジコマン・アイ」
帆乃香がジコマン・アイで亀岩を精査する。
「よくわからない。でも、普通の岩ではないみたいね」
ジコマンコンピュータをもってしても詳細な解析ができないということは、なにがしかの超科学が秘められた岩であることは間違いない。
「ひょっとして浦島太郎みたいに、これに乗って竜宮城に行くんじゃないの?」
そういいながら、トロンボーンを片手に意気揚々、美音が亀岩の上に登って甲羅の上に座った瞬間。
「美音、あなた」
「えっ、なに?」
美音の体がゆっくりと薄くなっていく。
「美音っ!」
やがて、美音の体は完全に消えてしまった。
「これって、まさか」
「テレポーテーション?」
この亀岩はテレポーテーション装置なのだ。この岩の上に座るとテレポーテーションで竜宮城まで移動することができるのだ。実は明日香村の亀岩も本来は同じものだ。初代天皇である神武帝の祖先が竜宮城出身であったことから弥生時代には頻繁に竜宮城と地上の間で人々の行き来がなされていたのだ。但し、明日香村の亀岩は装置が故障していて、現在ではただの岩にすぎない。
ともあれ、この亀岩は明日香村のものとは違い、まだ生きている。
そうと分かれば。
だが。
「お前たち、何をしている!」
突然、男の声。
「お前は竜王!」
竜王の顔を唯一知る望が叫んだ。
「こいつが」
「竜王」
勇気と一磨が望に続いた。
何ということ。竜王とコックローチが鉢合わせしてしまった。
「お前たちは先に行け」
望が帆乃香たちに叫んだ。
「こいつは俺が食い止める。お前たちは先に竜宮城へ行くんだ」
「でも望、あなたの今の体では」
「大丈夫。俺が残る」
そういったのは一磨。
「俺だっているぜ」
これは勇気。
「女性たちは先に竜宮城に行って乙姫様の歓待でも受けていてくれ」
「わかったわ、あなた」
帆乃香は一磨の首に腕を回すと接吻した。その後、帆乃香と澄子のふたりは亀岩の甲羅に座った。
ふたりの体が薄くなり、やがて消えた。
「ここに残るは男のみ。この前の勝負の決着をつけようじゃないか、竜王!」
帆乃香と薙刀を持つ澄子の体が海の中を移動する。その姿はまさにウミガメに乗って竜宮城へと向かう浦島太郎そのものだ。やがて、ふたりの眼下にかつて教科書で見た「平城京の模型」のような街が出現した。
「これが竜宮城」
それもその筈。もともと平城京は古代中国の都同様、竜宮城を手本として建設された都なのだ。
ふたりの体は平城京でいうところの朱雀大路の入り口に立つ羅城門に該当する朱色の大きな門の前に着陸した。
「美音がいないわ」
澄子が叫んだ。
「探しましょう」
都に通じる門は空いていた。恐らく美音は門の中にいる筈。帆乃香と澄子は竜宮城の中へと入っていくのだった。
地球から北斗七星の方角、2100万光年の位置にM51、通称「子持ち銀河」と呼ばれる渦巻き銀河がある。その中にある無数の太陽系のひとつに所属するトマルクトゥス星の政府機関のひとつである防衛省中央司令部の緊張度は最高点に達していた。
「作戦実行まで、あと1時間です」
「わかっている」
「わかっている」と言い返したのは防衛大臣。その顔には汗がいくつも流れていた。
「通信を入れろ」
トマルクトゥスから1,8億Kmほどの場所にある宇宙空間。
「艦長、司令部から入電『そちらの状況はどうだ』と」
「『順調だ』と伝えろ」
ここは宇宙戦艦の中。今回の作戦を実行するのは、まさにこの艦に他ならない。
トマルクトゥス星からの通信はこれで10回を超えた。
「司令部は相当に緊張しているようだな」
そう語る艦長の頬にも冷や汗が流れていた。それは当然のことで、今回の作戦には「トマルクトゥスの命運」がかかっていたのである。
トマルクトゥスの天文学者が新しい彗星を発見したのは今からおよそ、ひと月前のことだった。普通であれば「大発見」ということで大賑わいの喜びなのだろうが、今回は違った。
「トマルクトゥスに衝突する」
そう。新しい彗星の軌道は何度、計算しても間違いなくトマルクトゥスに墜落するのだった。しかも詳細な計測の結果、この彗星の核の大きさは直径約100Kmにも達することが判明した。直径100Kmもの核が地上に落下すれば、どれほどの甚大な被害が出るかは予想するまでもない。かくして緊急の議会が招集され、様々な対処法が検討されたが、彗星を破壊することは「不可能」であった。いや、正確には「一つだけ」あった。だが、それはまだ「実験段階」のシロモノであり、実際に使用されたことはなかったのである。
その兵器とは「核融合砲」。
防衛省所轄の研究所、通称「オナラウッド」が研究・開発を進めている次世代宇宙戦艦の主力兵器である。この兵器を使用する以外に、この危機を回避する方法はないと判断したトマルクトゥス政府は防衛省に対して核融合砲の使用を命じた。防衛省は直ちにまだ実験段階にある核融合砲を宇宙戦艦パグの艦首に装備、彗星の軌道上に向けて発進させたのだった。
そのパグの前方では既に彗星が左に尾をたなびかせているのが肉眼でも見えるほどであった。
発見当初は核の姿を観察することができた彗星も、この時には既に太陽風によって飛ばされるガスや塵によって直径1000Kmを超える巨大白色彗星と化していた。無論、外からは正確な核の位置さえもわからない。計画ではパグの核融合砲は計算上「核が存在する場所」へ向けて発射されることになっていた。
「Dr.チン」
艦長がオナラウッド研究所の所長を務めるチン・カッキーに声をかけた。
「作戦は本当に成功するのだろうな?」
「『我々の科学力』を疑っているのか」
「いえ、そんなことは・・・」
艦長は言葉を濁した。
艦長が所長にあまり強い口調で言い返せないのには理由がある。それは今までの『研究所の実績』があまりに偉大なものだからだ。核融合エンジン。重力制御装置。これら宇宙戦艦の建造に欠かせない装備は全て、この研究所から生み出されたものなのだ。
「心配いらん。作戦は必ず成功する」
チンは自信満々に返答した。が、実のところ最も不安だったのはチン自身だった。ただ、今回の作戦を立案した自分が不安な様子を見せれば現場の士気に関わるため、平静を装っているのだった。
こんな両者のやり取りの間にも発射に向けて着々と最終チェックが進められていた。
「発射装置、異常なし」
「照準制御装置、異常なし」
「第二核融合炉、燃焼正常」
そして遂に「作戦開始」のときが来た。
「なんて大きさだ」
パグの目の前で彗星がみるみる膨らんでいく。こんな巨大な彗星を、たかだか全長300m程度の大きさしかない宇宙戦艦で本当に破壊できるのか?第一艦橋のクルー全員の頬に冷や汗が流れた。彗星はあと1分ほどでパグと同一地点に到達する。もしも失敗すれば彗星とパグは激突。その後、彗星はトマルクトゥスに落下する。やり直しがきかない一発勝負の大仕事だ。
「核融合砲発射30秒前」
チンが叫ぶ。その声にクルーたちは我に返った。
「発射10秒前」
戦闘班長が発射装置を握った。
「発射5秒前、4,3,2,1,0、発射」
「発射」
戦闘班長がトリガーを引いた。トマルクトゥスの命運を賭けてパグの核融合砲が彗星の核に向かって発射された。一筋の白い閃光が彗星の中心部に向かって伸びた。
果たして核に命中したのか?
彗星が左右に分裂した。二つに分裂した彗星はそれぞれパグの左右を通過した。彗星が放出するガスや塵がパグの外壁に衝突する。両側から一斉攻撃を受けているようなものだ。
防衛省司令部。
「おおっ!」
彗星が二つに分裂した様子は地上でも観測された。地上では彗星が二つに割れたのを受けて、直ちに二つの彗星の軌道が計算された。
「大丈夫です。一つは太陽に落下、もう一つはトマルクトゥスを避けて外宇宙へ向けて進みます」
「ワーッ!」
司令部に歓声が沸きあがった。
彗星通過後のパグ。
「うう」
あまりの衝撃にクルー全員が気絶していた。最初に目を覚ましたのはチンだった。
「取り敢えず、生きているようだ」
パグの外壁は大粒の雹を喰らった車のボディのようにボコボコになっていたが、破壊は免れていた。やがて他のクルーたちも次々と目を覚ました。
「おめでとうございます艦長殿。作戦は無事に成功しましたぞ」
所長が目を覚ました艦長に右手を差し出した。
「ありがとうございます。チン所長」
両者は握手を交わした。
それから30年。
チンは、その後も次々と強力な兵器を開発していった。
トマルクトゥスはチンが生まれて以来、一度も宇宙戦争をしていなかった。最後の宇宙戦争の後に制定された「専守防衛」を明記する平和憲法によってトマルクトゥスは繁栄の道を歩み続けていた。ゆえにチンは自分が開発する兵器はあくまでも「他の星からの侵略を阻止するためのもの」であって決して「侵略戦争には使われない」と感じており、何の良心の呵責も抱くことなく強力な兵器の開発に邁進していた。
※
「12時の方向から、パオー星の大艦隊が我が艦隊へ接近しています」
「全艦、戦闘準備」
「敵艦隊、射程距離内に入りました」
「攻撃開始」
トマルクトゥス宇宙軍・第1艦隊が攻撃を開始した。主砲が一斉に火を噴く。
パオー星の艦隊も攻撃を開始する。互いに艦が次々と破壊されていく。戦いは混戦に突入した。
その時、混戦を打開すべく第1艦隊の旗艦が前に一歩、前進した。
「核融合砲、発射!」
マスティフ級宇宙戦艦ビレニアンが核融合砲を発射した。白い光の帯がパオー艦隊を一瞬のうちに蹴散らす。
「全艦、そのまま前進」
やがてトマルクトゥス第1艦隊はパオー星を射程に捉えた。
「惑星破壊兵器、前へ移動」
直径2000mほどの巨大な鉄の球体が艦隊の前に出た。見た目には巨大なパチンコ玉だが、どうやらこれが惑星破壊兵器らしい。無論、直径2000mの球体であるから大きいに決まっているが、この時期の宇宙艦は駆逐艦でも300mの全長を有し、戦艦に至っては1000mを超えるため、取り立てて「大きい」とは感じられない。
「惑星破壊兵器、発射」
惑星破壊兵器と呼ばれる謎の球体がパオー星に向かって移動を開始した。大気圏に突入した惑星破壊兵器はそのまま地表に落下。地面に半分ほどめり込んだ。
「打ち込み、完了しました」
「作動開始」
作動開始。果たして爆発でもするのだろうか?経過を見てみよう。
「なんだ?」
「凄い上昇気流だ」
球体の半径1000Km四方の大気が突然、激しい上昇気流を起こし、宇宙空間へと噴出し始めた。それに伴い、地表にいた人々もまた次々と宇宙空間へと吸い出されていく。
「うわあ」
「助けてくれえ」
人に続き、車や家も次々と吸い出されていく。
だが、それだけでは終わらない。
球体の半径1000Km内の地殻が盛り上がり始めた。地面は避け、裂けた地面もまた大気同様、次から次と宇宙空間へと吹き出す。やがて球体を中心に半径1000Kmに及ぶ巨大な噴火口が出現した。噴火口から吹き出すドロドロに溶けたマントルも、やはり宇宙空間へと吹き出す。それに合わせて噴火口は徐々にその大きさを拡大。地殻とマントルを構成するすべての物質を宇宙へと放出したパオー星は中心の核のみを残す文字通り「死の星」となった。
「惑星破壊兵器」とは、よくぞ言ったものだ。だが、これらの現象は、どうやって引き起こされたのか?
惑星破壊兵器の正体、それは巨大な「重力制御装置」である。この兵器は半径1000Kmに渡り重力を限りなくゼロにすることができる。重力を失ったことで重力によって維持されていた大気は宇宙空間へと吸い出され、重力によって維持されていた地殻はマントルの圧力によって盛り上がったのだ。
元々は宇宙飛行士が無重力空間でも地上と同じ生活ができるようにするために開発された重力制御装置。それが技術進歩とともに「ワープ航法」を可能とし、遂には惑星を破壊するまでになった。今はまだ「惑星の表面を無重力化する」程度だが、やがては重たい核を含めた惑星全体、否、ブラックホールさえも無重力化できるようになるに違いない。
恐るべし、トマルクトゥスの超科学。否、オナラウッド研究所の超科学!
核のみと化したパオー星。その周囲を、かつては地殻やマントルを構成していた物質が大小さまざまな岩石となってアステロイドベルトのように取り囲む。
こうして、一つの文明が宇宙から消えた。
星空会戦
コックローチ劇場版3
陸地の半分を占める都市群。人口1000億人を擁する惑星トマルクトゥス。森林は陸地の1割程度しかないが、この星の文明は二酸化炭素を酸素と炭素に分離する技術を持っているので問題はない。
気圧はほぼ地球と同じだが、酸素量は半分程度しかない。だが、ここに暮らす人類は生物進化の過程で、こうした環境に完全に適応していた。
街の中を走る車にタイヤはなく、空中浮遊していた。といっても重力制御によって浮かんでいるわけではない。原理はもっと単純で「磁力」による反発作用だ。車道を舗装する金属は鉄とは異なり、磁力を受けると同じ磁力を発生させる特殊金属。その結果、浮力が生じるわけだ。前進、後退は異なる磁力をキャタピラのように動かすことによって行われる。原理としてはリニアモーターと同じ。左右にも移動することができるため、路上駐車には非常に便利だ。
おっと、タイヤのある車が走ってきた。クラシックカーだ。クラシックカーが路上に停車する。すると突然、タイヤの向きを90度変えて、真横に縦列駐車した。
このクラシックカー、実はエンジン駆動ではない。前後全てのタイヤに小型のモーターが装備された電気自動車である。タイヤとモーターを支えるサスペンションが上下二本の並行するC字状のレールの上を移動、タイヤと道路の接地面を軸に水平に回転移動するのだ。そのためタイヤを90度、真横に向けることができるのである。無論、左右に曲がるための通常のハンドル操作も原理は同じだ。
このように見てくると、この星の文明が地球よりもかなり進んでいることが理解できるだろう。実際、トマルクトゥスの文明は地球の文明よりも遥かに進んでいた。
オナラウッド研究所。
走ってはいけない廊下を、ひとりの研究員が走る。
「所長、大変です!」
その研究員はロング・レッグと呼ばれる人型ロボットを開発しているチンのもとへ駈け込んだ。
「大変です・・・所長・・・」
研究員は研究室に入るなり、大きく息を荒げた。両手で膝を押さえ、背中で呼吸をする。チンはちょっとあきれ顔。
「どうした?何をそんなに慌てておるのじゃ」
「核融合砲が・・・実戦で使用されました」
「なんじゃと!?」
研究員の言葉にチンは驚きの声を上げた。
「まさか?儂の許可なしにか」
「はい、そうです。どうやら内閣府が使用を許可したようです」
核融合砲は今から30年前に、この研究所で発明された。実戦配備が着実に進んでいたが、その破壊力の大きさから使用には所長の許可が必要だった。しかし内閣府、即ち宇宙軍の最高司令官である内閣総理大臣が使用を許可したのであれば、所長の許可など関係ない。
「そ、それで・・・」
「それで、何じゃ?」
「パオー星が消滅しました」
「なんじゃと!」
パオー星。そこには50億の長鼻星人が暮らしていた。ここ150年ほどは対立関係にあったが、それ以前には数千年に及ぶ長い「友好の歴史」があった。
核融合砲は確かに強力な破壊兵器だが、惑星を破壊することはできない。
「まさか、惑星破壊兵器を使ったのか?」
「どうやら、そのようです」
「なんということを」
惑星破壊兵器もやはりここで発明された。本来の目的は無人惑星の採掘だ。
それはともかく、核融合砲ばかりか惑星破壊兵器までも使用するとは。チンは怒りに震えが止まらなかった。
チンは研究を中断すると直ちに廊下へと向かった。
「どちらへ行かれるのです?」
「首相官邸に決まっておる!」
「首相には、お会いになれません」
チンは首相官邸前で警備による「足止め」を喰らっていた。
「オナラウッドの所長が来たと、ちゃんと伝えたのか、貴様!」
「首相は誰とも、お会いにはなられません」
「ふざけるな」
「お引き取り下さい。さもないと、あなたを逮捕することになります」
「なんじゃとー」
「お引き取りを」
「くそう」
仕方がない。チンはひとまず研究所へと戻った。研究所では、総勢30名の研究員全員が一堂にチンの帰りを建物の表で待っていた。その様子が「ただ事でない」ことを物語っていた。
「何じゃ?皆で集まって」
「先程、内閣府から指令がありました」
「指令?」
「はい。チン所長を『所長の職から解任する』とのことです」
「何じゃと!誰の命令じゃ、それは?」
「総理大臣の命令です」
「首相の」
「はい」
道理で先程、会えなかったわけだ。それにしても、いきなり解任とは恐れ入ったとチンは思った。
もとより、今の首相とチンとは最初から馬が合わなかった。
※
二期目を迎える今の首相が首相に就任したのは今から5年前のことだった。
第一期目のこと。
「美しい星・トマルクトゥス」
こうしたスローガンのもと、首相は近隣の惑星国家との間に起きた過去の歴史的事実、例えば今から80年ほど前に起きた宇宙戦争におけるトマルクトゥス軍による「ヒヒーン星大虐殺事件」などの非道行為を「事実無根」と発言。当然、近隣の惑星国家からは非難の声が沸き起こったが、首相は発言を撤回しないどころか武力増強によって近隣の惑星国家をあからさまに威嚇、「力によって批判の声を封じこめよう」とした。
こうした首相の行動に対し、チンは不満を抱いていた。当然、首相の側もチンを「愛国精神の欠如した人物」として嫌っていた。本来であれば、即座に所長解任でも不思議ではなかった。
しかし、首相はチンを解任しなかった。なぜなら、チンほどの優秀な科学者は星のどこにも存在しなかったからだ。そしてチンは実際、その並外れた才能によって数々の軍事に転用可能な発明をものにした。核融合砲にせよ、惑星破壊兵器にせよ、凡そチンなしには発明し得なかっただろう。チンは宇宙軍が誇る「英雄」であった。
だが、それでも首相はチンの頸を切った。そこには首相の並々ならぬ「軍事大国復活への決意と意欲」があったのである。
「ならば、もはやここにいるわけにはいかぬな」
こうしてチンは長年勤めた研究所を立ち去った。
翌日。
「昨夜、憲法改正案が閣議決定されました」
遂にトマルクトゥスの政治の根幹となっている憲法の改正案が閣議決定された。その後、改正案は国会での審議を得て可決・成立することになる。
その内容は、それまでの「専守防衛政策」を180度転換するものあった。
憲法改正の意義について、官房長官がメディアの前で説明する。所長を解任されたチンは自宅のテレビで、それを見た。
「我が星は今まで専守防衛を旨とする外交政策を行ってまいりましたが、近年は周辺の星系における軍備拡大競争が激化しており、これを放置するならば、やがては我が星系にまで攻め込んでくることは必定であります。従いまして、我が星の平和と安全を堅持するためにはもはや防衛に徹するだけでは不十分であり、自ら積極的に打って出て、強大な武力を保有する星に対しましては、それらを使用される前に先制攻撃によって破壊・殲滅することが重要であります。そこで今回、80年ぶりに憲法を改正し、専守防衛から『積極的平和主義』へと政策の舵を切ることに決定した次第であります。よって我が星に暮らす全ての国民の皆様におかれましても、ご理解いただきたいと思うのであります」
その後もチンは朝のワイドショーを見続けたのだが、驚くべきことに昨日の「パオー星消滅」に関する報道は全くないのだった。メディアに対し「報道管制が敷かれた」ことは明白であった。
先制攻撃に報道管制。これらが意味するものについて、改めて説明の必要はなかった。トマルクトゥスは平和の星から「軍事の星」に変化したのである。
チンは「自らの責任」を痛感していた。なぜなら、こうした「政策の転換」の最大の原因が、自分が発明した強大な威力を持つ兵器を手にしたことによる「慢心」にあるということを認識していたからだ。
「何とかせねば」
チンは平和を享受してきた自分の星が戦争へと向かうのを見過ごすことはできなかった。ヒヒーン星大虐殺に代表される「悲劇」を二度と繰り返させてはならない。
チンは立ち上がった。まずはメディアに「元・オナラウッド研究所長」という立場で登場、「憲法改正・平和主義破棄」の愚を説いた。だが、世論の反応は芳しいものではなかった。権力による宣伝の力は圧倒的であり、世論の大勢は「平和のためには先制攻撃による敵戦力の破壊が必要だ」という右翼思想に傾いていたのである。
やがて、チンはテレビ出演を拒否されるようになった。裏で政府が糸を引いていることは明白だった。元より、この時代のマスメディアは「グルメ・ギャンブル・夜遊び」に明け暮れる志の低い連中の溜まり場であり、政府の政策を真っ向から批判して、自分たちのジャーナリストとしての高い社会的地位を脅かす気など全くなかったのだ。
仕方がない。チンはインターネット上で「専守防衛・平和主義堅持」を訴えた。だが、やはり国民の反応は芳しくない。
「国を亡ぼす国賊め」
「非国民、くたばれ」
チンのホームページに、こうした「批判的投稿」が相次いで寄せられた。目先の利益しか目に入らない一般大衆には未来が見える人間の行動は「理解しがたい」のだ。
チンは核融合砲をはじめ数々の軍事兵器を発明した。だが、チンはそれらがひとたび殺戮のために使われると知るや厳然と異を唱え、立ち上がった。それに対し、一般大衆は確かに軍事兵器を発明はしなかった。だが、政治が「悪しき方向」へと向かっているというのに「お上のすることは絶対」と賛同するばかりであった。
両者のどちらが「正義」で、どちらが「悪」であるかは言うまでもない。
仮に、この戦争が「負け戦」となった場合、大衆はチンを「悪魔の発明を行った極悪人」と糾弾するだろう。だが本当の極悪人は立ち上がるべき時に立ち上がることもせず、日頃グルメやギャンブルといった娯楽事にしか関心を示さない大衆、自分の頭を働かせて物事を考えようとせず「何か面白いことないかなあ」といつでも他人に楽しませてもらうことばかり期待しているがゆえにメディアによる世論操作に対して完全に無防備状態になっている大衆なのだ。
そして数か月後、トマルクトゥスの繁栄を約束してきた平和憲法は首相の思惑通り、軍国主義的な内容に改悪されてしまうのだった。
その日の夜。
チンは家の庭に立ち、夜空を眺めていた。
職業柄、たびたび宇宙戦艦に乗って宇宙を旅した経験のあるチンは、宇宙には無数の星々が輝いていることを知っている。だが今、チンが見上げる夜空には、せいぜい2等星までの星しか見えない。「防犯対策」だか何だか知らないが、夜であっても路上には街灯の明かりが明々と灯り、それによって多くの星の存在が消し去られていた。
チンの家は鉄道の駅に近い。そのため定期的に多くの人が家の前の道を通る。
仕事を終えた会社員が駅から自宅へと急ぐ。誰もがスマホの画面を眺めているか、或いはポケットに手を突っ込み、下を俯いて歩いている。夜空を見上げる者など、唯の一人だっていやしない。
「これでは、人の心も荒むわな」
珍柿は寝床へと戻った。
翌朝。
チンの息子夫妻は爆音によって目を覚ました。まだ4歳の孫娘は恐ろしさのあまり泣き出した。
「なんだ?」
「あなた、この轟音は一体?」
娘とともに慌てて庭に飛び出す夫妻。そこには既に空を見上げるチンの姿があった。
「お父さん、起きていたのですか?」
「ああ」
「この轟音は一体、何が起きたのですか?」
「理由はあれじゃ」
チンが空を指射す。
雲一つない青空を宇宙軍の艦隊が飛翔していた。40隻の宇宙戦艦と無数の宇宙駆逐艦からなる大艦隊だ。
「凄い偉容だ」
「どこへ行くのでしょうか?」
この艦隊は文字通り40の艦隊を集結させた「全軍艦隊」に他ならなかった。トマルクトゥスが総力を結集して戦う敵となれば、相手は「あそこしかない」とチンは確信した。
※
テレビのワイドショーではウッキイ軍との戦闘の様子が映像付きで放送された。
ウッキイ。それは長年に渡りトマルクトゥスとは「犬猿の仲」にある国家。同じ銀河の、ちょうどバルジ(銀河中心部)の反対側に位置する太陽系に属し、人口はトマルクトゥスの約10倍。
最初の戦闘はウッキイの軍事拠点があるウッキイ太陽系の再外周を周回する第9番惑星・ハイシャンが舞台であった。
映像にはハイシャン星の首都が炎上する様子が映し出されていた。
「宇宙軍は見事な奇襲攻撃により敵の軍事拠点の一つであるハイシャン星の攻略に成功しました」
女性アナウンサーが喜びの声で戦争の様子を伝える。
「何が見事な奇襲攻撃じゃ」
奇襲攻撃ということは「卑怯な手を用いた」と自白しているのと同じだ。
「まったくです。無益な戦争を美談のように伝えるなど」
「ハイシャン星に暮らす人々が、かわいそうでなりません」
幼い孫娘には事態がまだよく理解できていない。孫娘は先程からクレヨンで、お絵かきに夢中になっていた。
その後も、宇宙軍の快進撃は続く。
ハイシャン星に続き、第8番惑星・キンナン星も勢力下に治めた宇宙軍は、さらにトセイ星、シュウコウ星を攻略。
こうなってくると、軍国主義の暴走はもう止まらない。世論調査でも「改憲してよかった」とする意見が98%に達した。
自宅。
「おとうさん。街中『戦勝ムード』で、お祭り騒ぎです」
「バカな奴らじゃ」
チンはリビングを立ち上がると、パソコンを見るために自室へと戻った。投稿はできなかったが閲覧は可能だった。チンは元・オナラウッド研究所所長であったから軍のパスワードを知っていた。たびたび軍はパスワードを変更したが、研究所にいる昔の仲間が密かにパスワードを教えてくれた。チンは軍のインターネット回線に侵入、メディアでは決して報道されない「軍の行動」を目撃することができた。
「全く酷い奴らじゃ」
そこには宇宙軍による無差別攻撃の様子や隊員による非道の数々が克明に記録されていた。とはいえ、これらは「想定内の出来事」にすぎない。戦場にあって兵士が人間性を喪失することなど、ごく普通の現象に過ぎないからだ。平時にあっては災害救助に活躍する人々が平気で民間人を虐殺し、女性をレイプする。まともな人間を狂気へと駆り立てる。それが戦争なのだ。
開戦から半年が経過した頃。
メディアでは相変わらず連戦連勝の報道が繰り返されていた。
その一方で、次のようなCMが流れるようになった。
さあ、きみも英雄にならないか?
政府による「志願兵の募集」である。日頃からコンピュータの「戦争ゲーム」に慣れ親しむ若者たちの胸に、このキャッチコピーがどれほど「カッコよく響く」かは言うまでもない。だが、志願兵が募集されるようになったということは、単純に考えて「戦況が悪化している」ということなのではあるまいか?
※
「核融合砲、発射」
宇宙戦艦ビレニアンが核融合砲を敵艦隊に向けて発射した。
「なに?」
だが、核融合砲は敵を破壊するには至らなかった。
「なぜだ、なぜ敵艦隊は無傷なのだ?」
理由はわからないが、とにかく核融合砲は敵艦隊を撃破しなかった。敵が何らかの方法によって核融合砲の効果を無力化したことは明白だった。
核融合砲を発射し終えたビレニアンに敵の攻撃が襲い掛かる。敵艦の発射するミサイルが雨霰のように降ってきた。
これまた不思議。この時代、宇宙軍艦の装備と言えば「レーザー兵器」と決まっており、保管場所を食うミサイルなど装備しないのが普通となっていたからだ。
「第一主砲被弾」
「第二主砲被弾」
「第三艦橋被弾」
「パルスレーザー損傷」
「核融合砲発射口被弾」
敵の攻撃によって、次々と破損していくビレニアン。
「何とかしろ!」
「無理です、司令」
やがて致命的な一撃がビレニアンを襲った。第一艦橋に敵が発射したミサイルが突き刺さったのだ。跡形もなく吹き飛ぶ第一艦橋。こうなれば、もはやビレニアンは「航行不能」。指揮艦を失った艦隊は乱れ、有効な反撃もできない。
かくして第1艦隊は玉砕した。
遂に無敵を誇ったトマルクトゥス軍の崩壊が始まったのである。
その後は文字通り、ドミノ崩しのように負け戦が続いた。1週間後にはビレニアンの同型艦「チベタン」も撃沈された。宇宙軍が誇る最強の宇宙戦艦二隻が撃沈されたわけだ。
その後も、マスティフ級よりも小型のスパニエル級宇宙戦艦や、テリア級宇宙戦艦が次々と撃沈される。宇宙軍は建造中のレトリーバー級・超大型戦艦「ラブラドール」と「ゴールデン」の二艦を急遽、実戦配備。艦隊の立て直しを図るが、敵は明らかに勢いづいていた。
このような状況下で政府は遂に志願兵を募集することを決定したのである。「連戦連勝」を伝えるメディア報道は「真っ赤な嘘」だったのだ。
だが、日頃から「スマホ・テレビ・マンガ・ゲーム」の四大娯楽道具のいずれかを常用、自分の頭を使って物事を深く考える時間を持たない今どきの若者たちにはメディア報道が「嘘」だと見抜くだけの思考力などありはしない。その結果「コンピュータゲームの世界の英雄」に飽きた若者たちが陸続と「現実世界の英雄」になることを夢見て志願、戦地へと向かったのである。
だが、最新鋭の大型宇宙船艦に乗り込み、意気揚々と戦地へと向かった彼らを待ち受けていたものは、まさに「地獄絵図」だった。コンピュータゲームの英雄など、現実世界では只の「雑兵のひとり」に過ぎない。実際の戦争は「コンピュータゲームとは違う」ということを彼らは、まざまざと知ることになったのである。しかしそれを知った時には既に「手遅れ」であった。
彼らは心から後悔した。「政治家やメディアにまんまと騙された」と怒り、嘆いた。だが、そんな怒りや嘆きなど何の役にも立ちはしない。コンピュータゲームであれば、リセットボタンを押しさえすれば、いくらでも「やり直し」ができるが、それは現実の戦場では不可能だった。
戦地へと赴いた彼らは結局、誰一人として無事に戻ってくることはなかった。
※
「これは、あかん」
チンはテレビ報道によって艦隊が全滅したこと、そして明日にはウッキイ軍の大艦隊がトマルクトゥスの上空に到達することを知った。時ここに至り、メディアもようやく国民に向かって「真実を語った」のである。
テレビ報道によって「真実」を知った国民は驚き、慌てふためいた。世界中でパニックが起き始めていた。宇宙港からは次々と民間船が植民惑星に向かって発進した。
そして翌日、遂に敵艦隊がトマルクトゥス上空に到達した。
「艦載機、発進」
宇宙空母から艦載機が続々と発進、トマルクトゥスに飛来する。無差別攻撃やら大虐殺やら、あらゆる非道を行ったトマルクトゥス人に対するウッキイ人の怒りは凄まじい。無差別爆撃が執拗に繰り返される。
そして爆弾はチンの家にも落ちた。
「皆、大丈夫か?」
チンはかろうじて生きていた、だが。
「おおおおお」
息子夫婦は瓦礫の下敷きになって、死んでいた。
息子夫婦は、この戦争を真っ向から否定し、相手の国に同情していた。にもかかわらず犠牲となってしまった。
これが戦争だ。悪人も善人も容赦なく蹴散らしていく。
「うああああん」
孫娘の泣き声がする。どうやら無事だったようだ。チンは孫娘を捜した。孫娘は庭で遊んでいた。そのおかげで助かったのだった。
「おお、よしよし」
チンは孫娘を車に乗せると、かつての職場へと向かった。
オナラウッド研究所は、まだ爆撃を受けていなかった。
「所長、お久しぶりです」
「挨拶は後回しじゃ。それよりも・・・」
「わかっています。早く中へ」
チンは研究員とともに研究所の一角に建つ試験場の中へ入った。建物の中には全研究員が集結していた。
「所長、お帰りなさい」
「どうじゃ、動かせそうか?」
「はい。大丈夫です」
試験場の中には一隻の宇宙戦艦があった。といっても何十年も前に製造された旧式の宇宙戦艦であり、263mの全長は現在の水準では「駆逐艦」サイズに過ぎない。
この船は、最初の核融合砲を搭載した艦で、核融合砲発射後に甚大な被害を受けたため廃艦となり、本来であれば解体されていたものを修理し、その後も実験艦として利用していたのだ。
「今の所長は、どうした?」
「とっくに何処かへと、いなくなりました」
兵器開発の研究所長ともなれば、戦争に負ければ「戦犯として処刑される」に決まっている。今の所長は敵の襲来と同時に研究所から逃亡していた。
「直ちに全員、乗り込むのじゃ」
「了解」
この場にいる全員が、かつてトマルクトゥスの危機を救った伝説の宇宙戦艦に乗り込んだ。
第一艦橋からの眺め。艦首の上には最初の核融合砲が鎮座しているのが見える。各自、所定の席に座る。一部の人間は機関室や第二艦橋に配置された。チンは艦長席に座った。
「総員、発進準備にかかれ」
「第1・第2核融合炉、燃焼開始」
「レーダー設備、異常なし」
「主砲、核融合砲、異常なし」
「重力制御装置、異常なし」
「その他各部チェック、異常なし」
「第1・第2核融合炉、燃焼完了」
「発進準備、完了」
発進準備、完了。チンが号令をかける。
「チークワン、発進!」
エンジンの後部噴射口を塞ぐ圧力隔壁が白く輝く。そこから水素がヘリウムに変わる際に発生する大量の素粒子が噴出される。重力制御装置によって見掛けの重量が軽くなった船体が浮かび上がる。
試験場の屋根を突き破って、パグから名前をチークワンと変えた宇宙戦艦が発進した。
「上昇角70度」
「エンジン出力、最大」
みるみる高度を上げていくチークワン。あっという間に重力圏を離脱。
「目標、敵艦隊旗艦」
多勢に無勢の戦いの場合、敵の大将首を討ち取るのは闘いのセオリーだ。そしてチークワンには、それが可能であった。チークワンの装甲には最新の技術によって生み出された新物質であるイノチュウムが採用されていた。イノチュウムは鋼鉄のように固い一方、ゴムのように柔らかいという両極端な性質を持っている。その結果、いかなる攻撃に対しても「硬さと弾力性」によって耐えることができるのだ。
強力な装甲をもって敵艦隊の中央を強引に突破し、旗艦を撃破する。それ以外にこの戦闘に勝つ手段はない。
チークワンの存在に気が付いた敵の戦闘機もまた次々と地上から離れ、重力圏を離脱する。
「主砲発射」
追尾してくる戦闘機に対し、チークワンの主砲が炸裂する。主砲と言っても原理は「核融合砲」と同じだから、その破壊力は凄まじいものがある。
「敵戦闘機、全滅」
やがて前方の敵艦隊が攻撃可能圏内に入った。
「核融合砲発射準備」
チンは核融合砲を使用する気だ。
「核融合砲は通用しないのでは?」
「それを確かめる」
チンは敵がどうやって核融合砲を封じているのか、それを自分の眼で確認するつもりだった。
「核融合砲発射」
核融合砲が発射された。しかし敵艦隊は無傷。その周囲にはオーロラが光り輝く。
「そういうことか」
チンは核融合砲を無力化するカラクリを一瞬のうちに見破った。
「これは『オゾンバリアーじゃ』」
オゾンバリアーとは要するにオゾンガスだ。オゾンには紫外線に代表される有害な光を吸収して電離する作用がある。敵はオゾンガスの幕を艦隊の周囲に張り、核融合砲のエネルギーを吸収・電離することで無力化したのだ。これで宇宙軍が全滅した理由が分かった。核融合砲開発後に開発された軍艦には核融合エネルギーを基本とする兵装しか装備されていないからだ。
「ミサイル攻撃に切り替える」
だが、旧型艦であるチークワンにはミサイルが装備されていた。
「突撃!」
チークワンが敵艦隊の中央に突撃する。敵もオゾンガスの中ではレーザー兵器を使用することができないためミサイル攻撃を仕掛けてくる。古典的な戦闘が繰り広げられる。
やがて、チークワンは敵艦隊旗艦の真正面に出た。
「この距離なら、さすがに通用するじゃろう。核融合砲発射」
核融合砲が敵の旗艦を粉砕した。司令塔を失った敵艦隊は撤退していった。
取り敢えず、この戦いによってトマルクトゥスの「運命の時」は先に持ち越されたのだった。
※
戦闘終了後、地上に帰還したチンを待っていたのは「罪人としての処遇」だった。トマルクトゥス政府はウッキイ政府との間で秘密裏に「終戦に向けての話し合い」を画策していた。自分たちで始めた戦争のくせに、政府は責任をチンや宇宙軍の関係者にかぶせるつもりなのだ。
かくしてチンは牢屋に入れられてしまった。
それにしても皮肉なものだ。終戦に向けての話し合いが上手くいけば、トマルクトゥスは救われるが自分は処刑されるのだ。
「まあ、それもよかろう」
チンは牢屋の中で「悟りの境涯」に達した。
それから数日後。
チンは牢屋から出されると、防衛省に連れていかれた。そこに待っていたのは長官だった。
「ウッキイ政府との話し合いは失敗したよ」
長官は開口一番、そう発言した。
「ということで首相以下、関係閣僚全員を捕らえた」
要するにクーデターだ。とは言え、これは「正義のクーデター」。先程までチンが入っていた牢屋に今は首相らが入っているのだった。惜しむらくは、このクーデターが開戦前に行われていたなら・・・。
「我々はもはや戦うしかない。協力してほしい」
長官は大画面モニターのスイッチを入れた。
「これが最新の敵の動きだ。1週間ほどで我が太陽系の最外周域に到着するだろう」
「決戦場所はそこですかな?」
「そうだ。チークワンで迎え撃つ。我々には、もはや宇宙戦艦がない」
「わかりました」
「戦い方は一切、お任せする。我々よりも貴殿の方が戦術には長けておる筈」
言われなくても勝手にするのがチンだ。
「チークワン、発進」
チークワンが太陽系再外周へ向けて発進した。
チンはチークワンに再び孫娘を乗せた。危険を承知で、なぜこのようなことを?それは「必ず勝つ」という決意のためだ。それに、チークワンが敗れれば、どのみちトマルクトゥスは総攻撃を受ける。必ずしも「星に残しておいた方が安全」とは言えなかったのだ。
「敵艦隊を確認」
「攻撃準備」
チークワンのミサイルが装填される。
「攻撃開始」
かくして、トマルクトゥスの命運を賭けて戦いが始まった。チークワンは「バリアー兵器」によって敵のミサイル攻撃を封じつつ、自らのミサイル攻撃で敵の戦艦を次々と破壊する。だが、バリアー兵器のエネルギー吸収率は100%ではない。時々、敵のミサイルが当たり爆発する。
浮塵子のごとく敵戦闘機が飛来してくる。こいつらに対しては主砲や高射砲が有効だ。しかし所詮は「1対多数」の戦い。チークワンが徐々に損傷し始めた。
「このままでは、やられます」
「敵旗艦はどこじゃ」
「わかりません」
敵もさるもの。艦隊を指揮する旗艦の位置を悟られないようにしていた。
「なぜ、わからないのじゃ」
「旗艦と思われる大型戦艦の反応はありません」
どういうことだ?
「まさか!」
その時、トマルクトゥスから入電が入った。
「長官!」
モニター画面に映し出された長官は既に負傷、頭から出血していた。
「どうやら謀られたようだ。敵艦隊の本体が我が星を攻撃している」
やはり。ここに敵艦隊の旗艦はいないのだ。だからいくら探したって見つかるわけがない。敵は二手に分かれて進軍していた、しかも、そのうちの一つは悟られないように。
「今から直ちに戻ります」
「無駄だ。これを見てくれ」
モニターに映し出されたのは。
「これは!?」
それはパチンコの銀玉のような球体だった。
「そうだ。惑星破壊兵器だ。先の戦闘の際に敵に捕獲され、既に作動している」
それが事実なら、トマルクトゥスは間もなく中心部の核のみを残して地殻やマントルが崩壊する。
「きみらは逃げてくれ。トマルクトゥス人の血筋を絶やさぬように」
「長官!」
長官が敬礼する。やがてモニター画面が消えた。
別の映像に切り替える。チークワンの超遠距離レーダーの解析画像。そこにはトマルクトゥスが崩壊する姿がはっきりと映し出されていた。宇宙へ向けて吹き出す地殻やマントル。
「なんということだー!」
もはや、どうしようもない。
かくしてトマルクトゥスもまたパオー星と同じ運命を辿った。宇宙空間へと放出される大気、地殻、マントル。やがてトマルクトゥスは核のみとなった。
「我々の星が」
「我々の故郷が」
「消えた」
こうしてトマルクトゥスは滅んだ。つい数時間前まで「宇宙で最も高度な文明」を築いていたトマルクトゥス人は一転、宇宙の放浪者となったのである。
このような結果を産んだ直接の原因は無論、侵略戦争を仕掛けたことによる報復攻撃という自滅であったが、仮に戦争をしなかったとしても、どのみちトマルクトゥスは「滅びる運命」にあった。というのもトマルクトゥス人の間には既に「利己主義」が蔓延していたからだ。政治家らによる軍国主義の復活は、そうした「利己主義現象」の一つに過ぎない。
外敵など恐れるに足らず。恐れるべきは内側からの腐敗!
たとえば、この時代のトマルクトゥスではもはや、いかなる公共施設の建設も不可能であった。
「住民を愚弄するな!」
「土地の価格が下落してしまうではないか!」
「まちのブランドイメージを損なう!」
こうした声によって、どれほど多くの公共施設が「建設の白紙撤回」を余儀なくされたことだろう!その結果、トマルクトゥスでは保育所や幼稚園、ごみ焼却場や処分場、火葬場や墓地などが圧倒的に不足、国民の暮らしは急速に悪化していた。
それだけではない。政治家・スポーツ選手・芸能人・ニュースキャスターといった一握りの人間が巨万の富を得て王侯貴族の如き贅沢三昧な暮らしを満喫する一方、大多数の一般庶民がワーキングプアとなっていた。
カネ・コネによる人事も横行していた。金持ちの子息がカネ・コネの力で名門大学へ進学、有名人の子息がカネ・コネの力で一流企業へ就職、政治家の子息がカネ・コネの力で政治家になるのは「当たり前のこと」であった。どんなに本人自身は無能でも「偉人の末裔」というだけで立身出世が約束され、どんなに優秀でも一般庶民はそうした人間よりも上に登ることはできなかった。自由主義など名ばかり、社会的地位の高い職種は悉く一握りの人々の手によって独占されていた。
このような文明に未来などある筈もない。
いかなる高度な文明も最後には滅び去る、それが「知的生命体の宿命」である。トマルクトゥスも例外ではなかった。侵略戦争を開始したことで、その時が、やや早まっただけの話であった。
「ううう」
全員が涙する。だが、そんな感傷に浸っていることは許されなかった。今は敵との戦闘の真っ最中なのだ。護るべきものを失った今、もはや戦う理由はない。「母なる星を滅ぼした敵への復讐」を語る資格など自分たちにはない。自分たちから始めた戦争なのだから。
「どうしますか?」
「・・・ワープだ」
重力制御装置によってチークワンの見掛け上の質量が光子よりも軽くなる。
チークワンがワープした。
戦闘空域から100光年。
「ワープアウト」
「振り切れたの、か?」
その答えは数分後に判明した。
「後方に敵艦隊」
敵が追ってきた。「皆殺し」を目的としていることは間違いない。そもそも、そうでなければ終戦に向けての話し合いを拒絶などすまい。
「どうするのです?」
「戦って活路を開く以外にはない」
「しかし、この船一隻でどうやって」
「反転180度」
チークワンが反転した。
「核融合砲へエネルギー充填」
「所長、核融合砲は敵には通用しません」
「素直に言われたとおりにしろ」
「所長」
「『自分たちの発明』を信じなくてどうする?」
敵艦隊旗艦。
「敵は核融合砲を発射するようです」
「オゾンバリアーを張れ」
「了解」
敵艦隊が大量のオゾンガスを噴出し始めた。オゾンガスが艦隊を包み込む。
「オゾンバリアー形成完了」
「これで核融合砲も、ただのオーロラにしかならぬ。フフフ」
「敵がオゾンバリアーを張りました」
「これでは核融合砲は通じない」
「所長」
「ここは戦艦の中だ。所長ではなく艦長と呼べ」
「第二核融合炉の閉鎖弁解放。核融合砲ピストンを下げます」
核融合砲の後部ピストンが下がる。それに合わせて水素が注射器で液体を吸い上げるように核融合砲内に吸い込まれる。
「核融合砲、エネルギー充填100%。第二核融合炉との回路、閉じます」
「よし。核融合砲の重力制御装置を作動させろ」
「えっ」
「それって」
「拡散核融合砲?」
チンは拡散核融合砲を発射する気だった。
「無理です。敵は艦隊をオゾンですっぽりと包み込んでいます。エネルギーを拡散させたところで無意味です」
「無意味かどうかは、やってみればわかる」
やってみればわかる?どうやらチンには「思うところがある」ようだ。
「それに拡散核融合の発射実験はまだ行っていません」
だが、チンは核融合砲発射準備を続行させた。
「発射30秒前、対ショックに備えろ」
「・・・了解しました」
どのみち他に方法はない。研究員=乗組員はチン艦長の言葉に従った。無論、これもチンと乗組員との間に信頼関係が成就されていればこそだ。
「ターゲットモニター、オン。位置計測。敵艦隊、核融合砲射程距離内に確認。発射10秒前、9、8,7,6,5,4,3,2,1、発射」
拡散核融合砲が発射された。
「核融合砲が発射されました」
「バカめ、効かぬわ」
扇状に拡散する核融合エネルギーはプリズム効果によって虹色に煌めきながら敵艦隊に襲い掛かる。核融合エネルギーがオゾンによって吸収され電離、オーロラが発生した。
だが。
「艦長、船体の表面温度が急激に上昇しています」
「なに」
「1000℃、5000℃、10000℃、20000℃」
「どういうことだ?」
「100000℃を超え、さらに上昇。船体が持ちません」
「そんなバカなー。うわあああああっ!」
オーロラ輝くオゾンバリアーの中で敵艦は次々と爆発していった。
理由は単純。エネルギーを吸収したオゾンは核融合エネルギーと同じだけの温度を発生したのだ。通常の核融合砲のエネルギーはおよそ6000度だが、拡散核融合砲のそれは100万度に達する。敵艦隊は100万度の高温に包まれたことによって爆発したのだ。チンは太陽コロナの現象から、こうなることを予想していたのだ。
※
その後も敵は執拗にチークワンを追跡してくる。
だがどうして、こうも執拗に追跡してくるのか?敵はトマルクトゥス人の能力を「恐れている」のである。なかんずく「オナラウッドの超科学力」を。
たった一隻の船が次々と自軍の艦隊を蹴散らす。派遣した自軍は常に「全滅していた」から、なぜ負けるのか、その理由は謎だった。およそ「謎」ほど不気味なものはない。ゆえに彼らは執拗にチークワンを追尾したのである。
そのチークワンだが、問題が生じていた。
「もう、燃料がありません」
度重なる戦闘によって、燃料となる水素が底をつきかけていたのだった。
「あと一回、戦闘したら、おしまいです」
早急に燃料を補給しなくてはならない。艦内のコンピュータルームにある人工頭脳がフル稼働で燃料となる水素の補充が可能な地点を計測していた。そして無事にその地点の割り出しに成功した。
直ちに作戦室で会議が開かれた。
「我々の現在地はここ。ここから100光年ほど先にあるガス状の雲。この雲の成分はコンピュータの計算によれば非常に濃密な水素であるらしい。そこで、我々は直ちにこの空間へ小ワープを行い、敵が来る前に水素を満タンにして、そこから一気に子持ち銀河を離れて外宇宙への遠距離ワープを行う」
土台、同じ銀河系の中を逃げ回っているだけでは、いずれは殺られてしまう。危険を覚悟で「外宇宙へ旅立つ」以外に生き延びる道はない。
会議終了後、直ちに作戦が実行に移された。
「ワープ」
チークワンが目的地へ向けて小ワープした。
「ワープアウト」
正面には期待通りの水素の雲があった。
「補充には10時間ほどかかります。それまではあらゆる武器の使用ができません」
「急いでくれ」
「了解」
敵艦隊。
「チークワンは現在、このあたりをうろついている模様です」
「直ちに偵察機を発進させろ」
「はっ」
偵察機が発進する。そのうちの一機が、水素の雲が漂う場所へと向かった。
「こちら偵察機。チークワンを発見しました。どうやら燃料となる水素を補充しているようです」
「了解した。直ちに向かう」
敵艦隊に居場所を知られてしまった。
9時間が経過。あと1時間で燃料が満タンになる。
だが。
「敵艦隊発見。こちらに真っ直ぐに向かってきます」
「どうやら、ばれたようだな」
「どうします?」
「艦載機で応戦するしかない。儂も出る」
燃料補給のために数名を残し、残りの乗組員が艦載機に搭乗した。何としても1時間を護り切らねばならない。
「発進」
艦載機が発進した。敵艦隊迎撃のために発進した艦載機は全部で25機。
「わかっていると思うが、勝負は一瞬だ。絶対に打ち漏らすな」
敵艦隊の概要は大型戦艦1、駆逐艦15。その姿はまるで「15匹のイワシの群れを率いるシーラカンス」だ。といっても、これは何も特異なものではない。アルミ合金でできた軽量なつくりの航空機とは違い、重量の大きい宇宙軍艦はギアを下ろして地上へ着陸するよりも海上へ着水する方が俄然、理に適っており、船体の形状は必然的に魚に似るのだ。
「敵が砲撃してきました」
「慎重に躱せば問題はない」
宇宙空間での戦闘であるから、飛行速度は大気のある場所の比ではない。軍艦の発射する主砲など、まず戦闘機にはあたらない。
「ミサイルを発射しました」
ミサイルも同様だ。寸前に回避すれば後を追尾してくることは、まずない。飛行速度が速いため、すれ違い後にUターンなどできないのだ。
このように宇宙空間での戦闘は実にあっさりとしたものだ。
敵艦隊が攻撃可能エリア内に入った。
「ミサイル発射」
チークワンの艦載機がミサイルを発射する。ミサイルが敵艦隊に向かって飛翔する。
「当たれよ」
祈るような気持ちのチン。それには宇宙空間での戦闘特有の「理由」がある。「戦闘機は速い、艦船は遅い」というのはあくまでも大気圏内の話で、真空の宇宙空間では大型のエンジンを搭載している艦船の方が艦載機よりも俄然、飛行速度が速いのだ。チンが最初に「勝負は一瞬」といったのは、このことを意味していた。つまり敵の艦船とすれ違った艦載機は敵の艦隊を追尾できないのだ。
ミサイルを発射した艦載機は大きな弧を描きながら直ちに反転した。左右に反転する艦載機の間を敵艦隊が通過する。
敵艦隊が次々と爆発し始めた。
「成功だ」
宇宙空間を飛行する艦船は高速で移動しているゆえに正面にある障害物を瞬時に回避することは難しい。正面からのミサイル攻撃は実に有効な手段なのだ。
だが。
「さすがに頑丈だな」
駆逐艦は一掃できたが、さすがに大型戦艦は「撃沈」というわけにはいかなかった。「小破」程度の損傷で飛行を続けていた。だが、艦載機ではもう追えない。みるみる戦艦の後ろ姿が小さくなる。
とはいえ、これで戦いが「終わった」わけではない。
敵大型戦艦が「水素の雲」の前に到着、飛行速度を急激に落とした。
これは当然のことだ。水素の雲の中を航行するのは、いわば大気中を航行するのと同じ。いかに頑丈な構造を有する大型戦艦と言えど秒速1000kmで水素の雲に突入などしようものなら粉々に破壊されてしまうだろう。水素の雲の中では「鈍行飛行」を余儀なくされる。
かくして、ここで艦載機が後ろから追いついた。
水素の雲の中の戦闘は大気圏内での戦闘に酷似したものとなった。艦載機がミサイルを放ち、戦艦は機銃や迎撃ミサイルで応戦する。だが、艦載機がいくらミサイル打ち込もうと、頑丈なつくりの大型戦艦は外側からの攻撃では破壊できそうになかった。
「白兵戦だ。敵大型戦艦を内部から破壊する。続け」
チンを先頭に艦載機が帯状に編隊を組んだ。大型戦艦の後部から接近する。
「ミサイル発射」
一か所に集中して発射されるミサイル。ミサイルが大型戦艦の後部にある艦載機発進口を破壊した。
「突入するぞ」
チンを先頭に艦載機が次々と大型戦艦の中へと入り込んだ。
「狙うは第一艦橋、続け!」
銃火器を手に大型戦艦の第一艦橋を目指す。当然ながら、大型戦艦の中は敵兵だらけだ。それでも、チンはどうにか仲間の支援を受けて第一艦橋へと到達した。第一艦橋の中は艦長のみ。チンと艦長ふたりきりの対決だ。
「ここらで、そろそろ決着をつけようではないか。儂が勝ったら、儂らは超遠距離ワープで遥か彼方の宇宙へ行く」
「いいだろう」
艦長が艦内マイクを手に持った。
「艦長命令だ。戦闘を中止せよ。今から私と敵の指揮官とで一騎打ちを行う」
艦長は艦内マイクを置いた。艦内の銃撃音が止んだ。
「では、始めるか」
艦長が呼吸を整える。チンも同じ動きをする。やがて、ふたりの肉体が変化し始めた。地球人類よりも遥かに進化したエイリアンである彼らは自らの意思によって大脳古皮質や小脳を活性化させることができるのだ。
「おおおおおお」
「おおおおおお」
自らの精神によってそれらを刺激するふたりの肉体が、みるみる「先祖返り」していく。かくして、霊長類から人類へと進化した艦長は「ゴリラのような猿」に、肉食類から人類へと進化したチンは「狼のような犬」へと変身した。
ゴリラVS狼。野獣VS野獣。果たして、この戦いはどれほど「残虐なもの」となるのか?想像もつかない。
だが、そうした心配は無用だ。ふたりが所属する銀河宇宙では、先祖返りした両者による戦いには予め「約束事」が決められているのだ。それは「先に尻尾を失った方が負け」というものだ。
「うごーっ」
艦長がチンに襲い掛かる。力では俄然、ゴリラに変身した艦長の方が上だ。艦長がチンを捕まえれば、立ちどころのうちにチンの尻尾を千切り取るだろう。
「わおーん」
しかしながら、スピードではチンの方が勝る。もとよりチンは種族の中でも俊足を誇る足の持ち主。チンは素早く艦長の後ろに回ると艦長の尻尾に噛みついた。
だが艦長も負けてない。お尻を大きく左右に振って、チンを振り落とそうとする。必死に尻尾に噛みつくチン。
艦長の尻尾が切れた。振り落とそうとしたことがかえって仇となったのだった。
「儂の勝ちじゃな」
チンが変身を解く。艦長も変身を解いた。
「約束じゃ。儂らを外宇宙に行かせてくれるな?」
「我が星の騎士道精神に『嘘』という言葉はない」
武士道精神を貴ぶどこかの星の島国とは違い、知的生命体が住む宇宙では「下剋上」や「だまし討ち」や「奇襲攻撃」などは全て恥と看做される。
戦いを終えたチンと仲間たちがチークワンに戻った。残った乗組員がチンに告げる。
「燃料補給は完了しています」
「よし、直ちに遠距離ワープじゃ」
チークワンがワープした。
※
チークワンは宇宙全体の大きさに比べたら遥かに狭い200万光年ほどの空間の中に、実に20もの渦巻銀河が混在する場所へとやってきた。そこは地球から距離6400万光年の位置にある「乙女座銀河群」だった。
コンピュータで生存可能な惑星を探す。チークワンがここへ来たのは20もの銀河があれば、それだけ目的の星は発見しやすいだろうという判断だった。
その判断が正解であったかどうかはともかく、生物が生存可能な星を発見するのにさしたる時間は掛からなかった。
見つけた星は地球で言えば「産業革命以前の人類が暮らす星」であった。飛行や潜水の技術はなく、武器は槍や刀などの「鉄器」であった。
彼らは、この星に定住することを決めた。高度な文明を有するトマルクトゥス星人は「ルネサンス的万能人」として社会に溶け込み活躍した。
だが。
「どうしても、行かれるのですか?」
「この星に儂のような存在は危険じゃ」
チンはひとりで、この星を去る決意を固めたのだった。
理由は今、チン自身が述べた通りだ。自分やチークワンの存在は産業革命を知らない星の人々には脅威なのだ。
「孫娘のことは頼むぞ」
チンは孫娘を託して再び宇宙へと旅立つのだった。
「ワープ」
チンはチークワンをワープさせた。
「おじいさん」
「ツーユ!」
チンはびっくりした。残してきたはずの孫娘・ツーユが乗っているではないか。
「お前、どうして」
「おじいさまが行くなら、私も行きます」
「しょうがないの」
※
ワープ航行を続けるチークワンの前方20万光年先に楕円形をした夜空に浮かぶ雲のようなものが見える。20万光年も離れているゆえに肉眼では淡い雲のようにしか見えないが、露出補正された大スクリーンでは、はっきりと銀河だとわかる。
それは直径10万光年の棒渦巻銀河。黄色く輝くバルジは暗黒物質によって部分的に黒く、こうした銀河を通称「黒目銀河」と呼ぶ。5つの腕からなる円盤部分は赤紫色や青紫色に輝いている。
この棒渦巻銀河こそ「天の川銀河」に他ならない。
計測に入る。自転速度は毎秒220Kmといったところ。計算上は「2億年で1回転」する速さだ。
最終的にチークワンのコンピュータは生命が生存することのできる惑星が存在する確率の非常に高い銀河と結論した。
この天の川銀河、実はチンの故郷であるM51銀河と同じ「子持ち銀河」である。そうした姿がチンの興味を引いたのだろう。
「ワープアウト」
まずチークワンがワープアウトしたのは、天の川銀河のバルジから16000光年に位置する腕と腕の間の暗い部分だった。明るい部分は新しい恒星を生成する活動が激しく、暗い部分はそれらが終了しているため、暗い部分の方が、生命体が生存できる惑星が存在する確率は高い。そして実際、そこに位置する太陽系には知的生命体が存在する惑星があった。
しかし。
「これはいかん!」
そこはオクト星人が暮らすオクト太陽系であった。たちまち艦隊による砲撃を受ける。
「緊急ワープじゃ」
ワープの前には事前にワープ終了地点までの直線状の安全性を確認する必要がある。当然、光速の電波を使用するレーダーでは用をなさない。近距離ワープの場合には重力制御によってレーダー波を光速よりも速くしたレーダーが使用されるが、遠距離ワープの場合には全く原理の異なる「万有引力レーダー」が使用される。光速はたかだか秒速30万Kmだが、万有引力は距離に関わらず瞬時に作用するため、現在の星の位置を正確に測定できるのだ。但し欠点がある。計測できるのは計測した方角の「万有引力の強度」であるため強度の強い万有引力を計測した場合に、近距離に星があるのか、あるいは遠くに巨大な天体があるのかまでは判別できないのだ。そのため赤外線望遠鏡などの光学観測機器も併用されることになる。こうした観測によって得られたデータを解析して「安全である」と確認できて初めてワープが可能となるのだが、解析するデータが「膨大な量になる」ことは言うまでもない。チークワンに搭載されているコンピュータは、この解析を僅か10秒でやってのける。チークワンが緊急ワープを行い得るのは、こうした高性能コンピュータを装備すればこそだ。
次にチークワンが発見した星は「竜宮」であった。トマルクトゥスにも匹敵する高度な文明を有しながら機械文明に奢らず、適切な自然保護がなされている美しい「水の星」。そこでは海底にある宮殿=竜宮城で竜王による歓待を受けた。そこでチンは自分たちが移住するのに最適と思われる惑星に関する情報を竜王から頂いた。
その情報に基づき、チークワンは竜宮を発進した。
黄色く輝くバルジを右に見ながらワープするチークワン。そこはバルジの中心から26000光年の距離に位置する「オリオン腕」と呼ばれる場所であった。
「生命体が存在する惑星を確認」
チークワンのコンピュータが、ある惑星の大気中に汚染物質を検知した。大気汚染こそ、その星に「文明を持つ生命体」が存在することの確たる証である。
緊急ワープではあったが、チークワンのコンピュータは直ちに知的生命体の存在する惑星を検知したのだった。やはり誕生から125億年を有する天の川銀河には知的生命体の生存する惑星が多いようだ。
「モニター、オン」
大型スクリーンモニターに青い海と白い雲を持つ星が映し出された。その惑星はチークワンから約100光年の場所にあった。この距離ならばチークワンのスクリーンモニターの高解像度をもってすれば、地上にいるのと何ら変わらないクリアな映像が得られる。無論、音声の無い「無声映像」である。
「ズームアップ」
チンは早速、モニターでこの星の地上の様子を観察した。
砂漠の中のピラミッドや、ビルが立ち並ぶ大都会などが確認できる。
「間違いない、知的生命体の暮らす星じゃ」
さらに画像を拡大する。
「何とまあ、酷いことをするのじゃ」
そこには、軍人と思しき集団が1万人ほどの民間人を大河のほとりにある広場に集めて銃殺する場面が映し出されていた。
地球から100光年の距離に位置するチークワンが目撃しているのは、当然ながら100年昔の地球の様子だった。それは1937年12月の中国・南京の光景であった。
宇宙に嘘はつけない。宇宙には永遠に「真実が刻まれる」。100億光年彼方の銀河が放った光が100億光年離れた地球まで旅を続けるように、地球で起きた出来事もまた波動となって宇宙の中を永遠に旅するのだ。
その後も、チークワンはワープ速度で地球に接近しながら情報を入手、分析していった。地球上空1万Kmに達した時には、既にチンは太平洋戦争の様子も、その後に起きた朝鮮戦争やベトナム戦争なども全て把握していた。
この距離になると、地上の電波を受信することも可能だ。地上のテレビ放送を受信、内容を分析する。
こうした分析の結果、チンが下した「地球人類に対する評価」は次のようなものだった。
「文明を持つ知的生命体といっても、くだらない娯楽が好きで、しかも愛国心に基づく国家間戦争の絶えない、平均的には10段階で『レベル3~4あたりの生き物』のようじゃな」
チンの評価が概ね「正解」であることは、改めて言うまでもないだろう。レベル3~4というのは、十界論で言えば「畜生界~修羅界」ということで、まさに「低レベルな娯楽~自画自賛&他人蔑視」にあたるものだ。
だがチンは、むしろその方が「都合がいい」と考えた。これならば「エイリアンの存在」に彼らが気付くこともあるまいというのが、その理由だった。
地球へ送ったいくつもの無人探査機(地球ではUFOと呼ばれている)によって検出された微生物やウイルスも下等で、仮に感染、罹病しても治療には問題がなく、大気は汚れているが生存できないレベルではないことも判明した。
「ここにするか、ツーユ」
「はい、おじいさまがよろしければ」
こうして珍柿と梅雨子は地球で暮らすこととなったのである。
20
竜宮島。
「行くぞ、竜王」
勇気が自慢の跳躍力を生かして高くジャンプした。
「喰らえ」
勇気の跳び蹴り。
「ふん」
竜王は鞘に入ったままの刀で勇気の足を受けた。
さらに。
「おりゃあ」
素早く鞘から刀を抜いた竜王が鞘で受けた勇気の足に切りかかる。
「蟹の螯(はさみ)」
その技の名前の通り、勇気の右足は鞘と刀によって挟まれてしまった。勇気の右足首が切断された。
「うわあああっ」
そこへさらに続けて竜王の一撃。
「烏賊の大群」
無数の刃が勇気の体を切り刻んだ。
「勇気ーっ!」
勇気がやられた。
「畜生!」
望が平突きを構えた。
「よくも勇気を」
砂浜の上を望が走る。だが、その速度は明らかに病み上がりを感じさせる遅いものであった。
「はあーっ」
望の平突きが竜王の心臓を狙う。だが、いとも簡単に避けられる。
「おりゃああああああ」
望が乱撃を繰りだす。
今回、望が手にする武器は木刀。相手が草薙剣ということで、敢えてこれを選択した。聖は聖斗と共に行方不明。トレッキングポールでは歯が立たない。これは当然の選択であった。宮本武蔵が佐々木小次郎に勝利したのも刀では絶対に切れない木刀を武器としたからだ。逆に刀はどんなに硬く鍛えあげても木刀で横から打たれれば簡単に折れてしまうし、木刀と打ち合えば刃こぼれは避けられない。
しかし竜王は剣の達人。決して横から打たせなどはしない。
しかもそれだけではない。
「欠けた刃が元に戻りやがる」
草薙剣には「自己修復能力」がある。ちょっとした刃こぼれや罅ならば、すぐさま再生してしまうのだ。そのため、望の必死の攻撃も何ら効果を上げることはできなかった。
そして。
「今度こそ本当にさらばだ、望」
竜王が平突きの構えをする。
「鈍亀のひと突き」
草薙の剣が望の心臓を貫いた。
「がはあっ」
口から血を吐き、望が砂浜に倒れた。
「ふふふ」
不敵に笑う竜王。
「なんて強さだ」
一磨は正直、体の震えが止まらない。
「お前で最後だ」
「ううっ」
「行くぞー」
竜王が一磨に向かって走る。
「死ねーっ」
竜王が剣を振り下ろす。
「舐めるな」
一磨が「白刃取り」で剣を捕らえた。一磨は竜王が剣を振り下ろす勢いを用いて、素早く自分の体を竜王の足と足の間から通した。一磨得意の「股くぐり」。竜王の背後を捉えた一磨。直ちに竜王の足を捕まえ、竜王を砂の上に倒す。
そして。
「おりゃりゃりゃりゃりゃ」
竜王の足を掴んだまま、砂浜の上で大回転。
「これでも喰らえ」
竜王を投げ飛ばす。その先には亀岩。竜王は顔面から亀岩に激突した。
やった。竜王を倒した。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
呼吸を荒げた一磨は呼吸を整えるべく砂浜の上に座った。
「望・・・勇気・・・」
ふたりを見る。二人は既にこと切れていた。だが、ふたりの仇は取った。
「なに」
竜王は起き上がった。顔面、血だらけであるにも拘らず。
「効かんなあ」
もはや、これまで。
「海鼠の嚏!」
かくして一磨も望と勇気のあとを追った。
3人の死を見届けた竜王は亀岩に座り、残る3人のあとを追った。
※
「あれを見て」
澄子が朱雀大路の奥を指差した。
「あれは、まさか」
帆乃香も驚きを隠さない。
「銅鐸の塔」
そう。ふたりは竜宮城の王宮の右手に銅鐸の塔が聳えているのを目撃したのだ。
「これって、どういうことなの?」
「兎に角、行きましょう」
「ええ」
帆乃香と澄子は大通りの奥に見える宮殿に向かって走っていた。
「局長」
「なに」
「上を見てください」
「『鰯の群れ』のようね」
ふたりの上空に青々とした海が広がる。その海の中を鰯の大群が泳いでいた。
「まさに『鰯雲』ね」
魚の動きに合わせて、さまざまに色を変える海。その姿は、まるでオパールのように美しい。
「これって、スカイブルーと呼ぶべきか、マリンブルーと呼ぶべきか、どっちなんでしょうね」
今回、コックローチが竜宮城に来た理由。正直「明確な理由」などはない。ここへ来れば「事態が好転するかもしれない」という微かな希望に賭けただけだ。当然、賭けに負ければ死ぬことになるだろう。なんたってここは「敵の懐」なのだから。
ふたりは王宮の入り口に到着した。中国の故宮をさらに豪華にしたような立派な大宮殿である。
「あれはやはり銅鐸の塔」
正面の門が開いている。
「竜宮城の王室も『菊の御紋』なのね」
開かれた門には菊の御紋があしらわれていた。
「局長、違います。これは『蓮紋』です」
澄子の指摘は正しい。現在のニッポン人は「菊の御紋」というが、海外では「ロータス」即ち蓮紋である。竜宮城は「法華経の国」だから王室の家紋は当然、蓮紋なのだ。実のところ、ニッポンでも当初は蓮紋だった。正法時代が像法時代に変わり「神道による国作り」を企てた崇神・垂仁の両天皇が弥生時代に栄えていた法華経信仰の痕跡を一掃するために蓮紋を菊の御紋と言い換えたのだ。余談だが、同じ時期に大賀ハスが地上から消えているのも、やはり「法華経信仰をイメージさせる花」ということで崇神・垂仁によって焼き捨てられてしまったからだ。
王宮の中から女官と思しき一団が帆乃香たちのもとに歩いてきた。
「お待ちしておりました」
「お待ちしておりました?」
「はい。中で乙姫様がお待ちになっておられます。どうぞ私たちとともに中へ」
これは罠なのか?
「局長」
「行くしかないわね」
引き返したところで、どうなるものでもない。ふたりは女官の後をついて行った。
第二の門が開かれる。門を潜り抜けると、そこは一辺300mほどある正方形の中庭であった。そして、その中庭を見下ろすように、右手に銅鐸の塔が聳え立つ。
銅鐸の塔の正体は言わずもがな正法戒壇塔である。勿論これがオリジナルであり、幕張のそれは珍柿によるコピーである。
「美音」
「無事だったのね」
中庭には美音がいた。どうやら無事だったようだ。
「みんなも来たのね」
中庭の正面にある階段の上に建つ宮殿の中から女官を左右に従えて美しい衣装を身に纏った背の高い、実に高貴な雰囲気を湛える女性が現れた。
「地上の皆さん。私は『乙姫』と言います」
乙姫。ということは竜王の。
「そうです。私は竜王の娘です」
「教えてください。なぜ、あなた方は地上を攻撃するのですか?」
「お話ししましょう」
その後、乙姫は竜宮城で起きた、これまでのいきさつについて語った。
「この国の王が娑伽羅、地上の人間が豊玉彦と呼んでいる竜王の時代、二人の娘、豊玉姫と玉依姫の姉妹が相次いで天皇の祖先と結婚、地上に嫁いだことから、地上と竜宮城との間で交流が始まりました。ところが、崇神・垂仁というふたりの天皇の時代、地上は伊勢神宮を頂点とする神道を崇拝する国に変貌してしまいました(古墳時代の始まり)。崇神は倭国を後漢の帰属国とする見返りとして後漢から鉄の武器を大量に輸入。垂仁はその武器を用いて地方の豪族たちに対し侵略戦争を仕掛けました。私たちはそうした蛮行を見かねて、明日香村にある亀岩の転送装置を封印。地上との交流を絶ったのです」
ここからが、今回の事件の核心だ。
「ところが、ふた月ほど前のこと。私の父である現在の竜王・娑的爾が突然『地上を見てくる』と言い出したのです。使用することのできる転送装置がまだ一つ、竜宮島に残っていることを発見したからです。私は止めました。ここ竜宮城は正法時代の教えが広まる世界。それは私たちの心が末法の世を迎えてしまった地上の人々のようには汚れていないからです。ですが、それは諸刃の剣。心清らかであるがゆえに汚れたものに対する抵抗力を持たない私たちには、ありとあらゆる悪徳が蔓延する末法の時代を生きることはできないのです。ところが竜王は『大丈夫だ。私は信心強情だから決して地上の汚れに毒されたりなどはしない』といって、お供の者を連れて地上へ行ってしまいました。ですが、結果はやはり毒されてしまいました。戻ってくるなり竜王は兵を招集して訓練を行い、地上に戦争を仕掛けたのです」
竜宮城の人々のこうした変化と似たようなことが、地上の人間の場合にも、しばしば起こる。例えば、大自然に囲まれた山奥のまちですくすくと育った人が都会に出た結果、都会の垢にまみれてしまうといったケースだ。竜宮城の人々の場合、心の清らかさが地上の人間とは比べものにならないため、変化の度合いがより激しいのである。
戦争を仕掛けてきておきながら自分たちの方が「心が清らかだ」などといわれると、ちょっとカチンとしないでもないが、これは自慢ではなく単なる「定義」に過ぎない。乙姫の言うことは全くの「真実」であった。ゲンジボタルがきれいな水の中でしか生きられないように、ニッポンのライチョウが高山でしか生きられないように、竜宮城の人々もまた清らかな世界でしか生きていくことができない。実際、竜宮城には「ごみをポイ捨て」したり「自分の学歴を鼻高々に自慢」する心の汚れた人間はひとりもいない。
こうした人間にとってはゴミだらけの社会や自分のことしか考えない不道徳な人々の姿を見ることには、とても耐えられない。彼らには、そのような人間であっても「法華経の種を植え付ける(これを下種という)ことで仏性が目覚める」ことなど到底、信じることができない。正法時代の竜宮城には「摂受の修行」のみが存在し「折伏の修行」は存在しないからだ。ゆえに「成仏とは無縁の連中は滅ぼしてしまうに限る」という短絡した結論に至ってしまうことになるのだ。
ここで、ふと気がつくことがある。それはコックローチのメンバーを思うとき、彼らは地上の人間たちではあるが、その気質は一般の地上の人々以上に「竜宮城の人々のそれに近い」ということだ。普通の人ならば「見て見ぬふり」をする悪に対して敢然と戦いを挑み、そして殺す。帆乃香たちが竜宮城に来たのは、どうやら「偶然ではない」ようだ。帆乃香たちは無意識のうちに竜宮城に自分たちと同じものを感じ、それに惹かれてやってきたのだ。
「乙姫様。私たちは争いは好みません。どうにかして竜王を説得できませんか?」
乙姫は首を横に振った。その時の乙姫は瞼を閉じ、見るからに寂しそうだった。
「それは無理でしょう。私も何度も説得いたしましたが、聞き入れてはいただけませんでした。竜王の心は完全に地上の毒によって冒されてしまいました。今の竜王の生命境涯は修羅界にあります」
「では、どうすれば」
その時。
「ここは、お前たちのような汚れた者どもの入れる場所ではないぞ!」
竜王が激昂して飛び込んできた。
「竜王!」
帆乃香たちが一斉に振り返る。
「お前たち、ひとりも生かしては返さぬぞ」
血塗れであることを差し引いても、その形相は「これがかつては竜宮城の賢王だった男の姿なのか」と疑うほどに変わり果てていた。帆乃香たちは自分たちが暮らす地上がいかに「汚れた世界」であるかを、まざまざと実感するのだった。
東京のことを昔は「江戸」といった。江戸とはすなわち「穢土」のこと。東京は地球上で最も汚れた穢土なのだ。
「お父様」
その時、乙姫が竜王に向かって叫んだ。
「この者たちは私の客人です。お父様と言えど、無礼は許しません」
「なんだと」
「女手鯛(めでたい)!」
薙刀を手に、桃色に輝く鱗でできた美しい鎧を纏った女官たちがぞろぞろと集まってきた。
女手鯛とは乙姫直属の女官隊。乙姫に命を捧げるジャンダルムだ。たとえ相手が竜王であっても決して怯んだりはしない。
「囲め!」
女官長の号令と同時に女手鯛が竜王をぐるりと囲んだ。
「構え!」
薙刀を構える。
「ううっ」
乙姫を守護する目手鯛の実力は竜王も十分に知っている。さすがの竜王もたじろがずにはいられない。
「お待ちください、乙姫様」
帆乃香が、ここで乙姫に叫んだ。
「竜王との戦いは私たちが行います。私たちのために乙姫様の兵を傷つけることはできません」
「ですが」
「お願いします」
「わかりました」
女手鯛が後ろへ下がる。
「竜王、覚悟!」
帆乃香、美音、澄子が構えた。
「ふん、小癪な」
「行くわよ」
まずは帆乃香のダマスカスナイフ攻撃。
「やあっ」
竜王はいとも簡単に避ける。そこへ美音の攻撃。美音のトロンボーンは回転式マシンガン。消音機が管の前後運動に連動して回転、中に仕込まれた弾が連続して発射する仕組みだ。
「ドレミファソラシドー♪」
音に合わせて弾が飛び出す。
「なんのこれしき」
竜王が体を素早く捻る。そこへすかさず。
「やあっ」
澄子の薙刀、短刀から意匠替えした「坪松」が勢いよく竜王の頭めがけて振り下ろされる。
「甘い」
竜王が坪松を受け切る。この瞬間、竜王の両手が塞がった。攻撃のチャンス。
「美音、今よ」
「行くわよー」
美音がトロンボーンを吹いた。
「ドシラソファミレドー♪」
先程とは逆に音が鳴る。八つの弾が竜王めがけて飛んでいく。
だが。
「消えた?」
竜王消えた。いや、消えたのではない。俊足の動きで移動したのだ。竜王の動きは人間の動体視力では到底、追いつかないものなのだ。
そして。
「澄子ー!」
澄子がやられた。澄子は剣で心の臓をひと突きにされてしまった。
「くそう」
帆乃香が攻撃する。
「ジコマン・レーザー発射」
帆乃香の左目からレーザー光線が発射された。だが竜王はそれさえも躱した。
「一度見た技は、私には通用しない」
帆乃香の左目に突きが入った。帆乃香の左目がバチバチとショートした。
「そのおかしな目のカラクリも、これで使えまい」
その後、帆乃香も切られた。
残るは美音のみ。もう弾は残っていない。
「ちっ」
美音は右手の管を抜いた。左のホーンを盾に右の管を剣とするトロンボーンによる剣術。
「みんなの仇!」
美音が竜王に突撃する。圧倒的な強さを見せる敵に怯えるかと思いきや、果敢にも攻撃を仕掛ける。やはり美音は帆乃香の娘なのだ。
「やあーっ」
右手による突き。二つある管の先端はいずれも鋭く尖っており、当たれば倒せる。だが、当たらない。
「やややややややーっ」
突きの連続。
「甘い」
竜王が左手のホーンを真っ二つに切断した。トロンボーンの強度では竜王の鋭い攻撃を封じる盾にはならない。
そして遂に、美音までも。
「あああああ」
美音が串刺しにされた。
「ああ・・・聖斗」
最後に、そういい残して美音が絶命した。
「終わった。ふふふ・・・ははははは」
竜王が勝利に酔う。
だが、乙姫の意見は違った。
「勝利の美酒に酔うのは、まだ早いようです」
「なに」
新たなる客人が中庭に到着した。
「お前は!」
それは聖斗だった。
※
「お前は、あの時の」
竜王は聖斗の出現に驚きを隠さなかった。一方の聖斗はと言えば、まるで竜王のことなど見えていないかのように、倒れた3人の傍に歩いて行った。
「局長、澄子、美音」
そんな聖斗の振るまいが竜王の気分を大きく損ねた。
「どこを見てやがる貴様ー!」
竜王は背後から聖斗に切りかかろうとした。その瞬間、聖斗はその場でくるりと回転。あっという間に草薙剣を竜王の手から弾き飛ばした。
「な」
武器を失った竜王に聖斗は。
「拾え。待っていてやる」
相手を見下すような口調で聖斗は竜王にそう言った。聖斗は竜王に「剣を拾う時間」を与えたのだった。ここまで舐められるとは!だが、武器がなければ戦えない。竜王は剣を拾った。
「こんな余裕ぶっこいていると、痛い目を見ることになるぞ小僧」
「そうかな」
「こいつう」
竜王が剣を構えた。
「『竜宮の剣の恐ろしさ』を忘れたか」
竜王が剣を振り上げた。
「喰らえ『海鼠の嚏』」
刀の刃を鞘で滑らせる神速の抜刀術。竜王は上段から振り下ろす。
「なにい?」
聖斗は左下から振り上げる抜刀術で竜王の攻撃を受けとめた。
「これは『海鼠の嚏』?」
聖斗は竜王の攻撃を同じ技で受け止めるのだった。
なぜだ、なぜ聖斗が「海鼠の嚏」を?自分の技を見様見真似したのか?そうだ、そうに決まっている。竜王はそう判断した。
「苦し紛れに海鼠の嚏を繰り出すとはな。だが、これならどうだ。『烏賊の大群』!」
それに対し、聖斗は。
「なにいっ」
烏賊の大群の射程の外から、かまいたちが竜王を襲う。
「これは『飛魚の飛翔』?」
竜王はこの時、確信した。聖斗の剣術は自分と同じ「竜宮の剣」であることを。
でも、どうして?
「まさか」
そんな竜王の心理を見抜いたように、聖斗は答えた。
「その『まさか』さ」
「お前、逆戟に会ったのか!」
さかまた。これが竜王山に住む剣豪の名前である。勿論これは「剣号」。先に登場した膃肭臍や一角など、竜宮の剣を修得する者は海洋哺乳類の名を自らの号とする。逆戟は海洋生物の中で最強を誇る「鯱の古名」だ。
「頼まれたんだ。お前を『倒してくれ』と」
「バカな。地上の人間ごときに私を倒せるわけが」
「さっき言っていたな『竜宮の剣の恐ろしさを忘れたか』と。今から思い出させてやるよ。」
「巫山戯るな」
竜王の攻撃。
「死ねっ『鈍亀のひと突き』」
「はっ」
聖斗が素早く避ける。聖斗は聖を逆さまに握り返すと柄頭で竜王の右脇腹を突いた。
「ぐわあ」
その場に蹲る竜王。
「ううう」
人体の急所のひとつである肝臓をしこたま打たれたが、それでもどうにか竜王は立ち上がった。
「よく立ったな」
聖斗が構える。
「行くぞ」
聖斗が竜王めがけて突っ込む。だが竜王はこの時を待っていた。
「かかったな。喰らえ『蛸墨』!」
竜王は口から蛸の墨を吐き出した。聖斗の顔に墨がかかる。
「くっ」
聖斗は墨で真っ黒に染まった眼鏡を外した。
「これで、お前はもう戦えない」
聖斗の裸眼視力は0,1しかない。眼鏡を外した聖斗は目が見えなくなった。
「これで、最後だ」
竜王が聖斗の左に移動した。
「死ね『針千本』!」
「鈍亀のひと突き」は一撃必殺の突きだが、この技は「連続突き」だ。シーバスの三段突きを遥かに上回る無数の連続突きが聖斗めがけて繰り出される。
だが。
「なに?」
聖斗の姿が消えた。聖斗はいとも容易く無数の斬撃を避けると竜王の背後を取った。
「うぎゃあ!」
聖斗の袈裟切りが竜王の背中を捉えた。目は見えなくとも相手の動きなど気配でわかる。今の聖斗の実力であれば、仮に暗闇の中でも手に取るようにわかるだろう。
聖斗の繰り出した袈裟切りは峰打ち。竜王の背中は切れてはいなかった。背中の痛みに、その場で片膝をつく竜王。
「貴様あ」
それにしても、なぜ聖斗は先程から「勝負を決する一撃」を繰り出さないのだろう?聖斗はここに来る時、砂浜に横たわる父・望の姿を見ていた。本心は父の仇である竜王をこの場で即座に「切り殺してしまいたい」に違いないはずだ。だが、そうした自分の感情に聖斗が振り回されないのは、この戦いの「重さ」を聖斗がしっかりと自覚できていたからだ。怒りに任せ、この場で竜王を切ってしまえば「竜宮城との全面戦争」は避けられない。竜王を殺された竜宮の人々は心が純粋であるゆえに、きっとひとり残らず「怒り」に燃えて地上の人々と戦うに違いない。そのような戦いに仮に「地上が勝利した」からと言って「何の意味がある」というのだろう?竜宮城の人々の尊い命の犠牲の上に護られた地上の平和などに「いかなる価値がある」というのか?竜王を目覚めさせ、地上と竜宮城との戦争を回避する。もう一滴の血も流させない。それこそが、この戦いにおける唯一の「勝利」なのだ。そのためだったら何百回だろうと何千回だろうと峰打ちを繰り出してやる。竜王が本来の姿に戻るまで、どこまでも竜王に付き合ってやる。聖斗はそう決心していたのだ。「無益な争いを終わらせる」という崇高なる目的に比べれば、怒りや悲しみなどといった自分の感情など何ら取るに足らない「安っぽいものだ」と。
「そろそろ決着をつけようじゃないか、竜王」
聖斗は竜王に決着を提案した。
「・・・いいだろう」
竜王が乗ってきた。元々、竜王の生命境涯の基底部は菩薩界であり、今は修羅界の生命境涯にある地上のニッポン人たちとの遭遇によって一時的に修羅界に堕しているに過ぎない。一方的にやられている竜王が聖斗の提案を受け入れたのは、聖斗との闘いによって竜王の生命境涯が修羅界から脱し「こいつにだったら負けたっていいではないか」と思いはじめている証拠に他ならない。
竜王が剣を鞘に納め、左手で鞘を握った。
「今から自分が会得する『最高の技』で、お前と勝負する」
竜王はそう言うと、左手の剣を胸の高さの位置で水平に寝かせた。
一方、聖斗は平突きの構えをした。右拳を体の中心線から外し、代わりに左手を前に突き出す。剣術において唯一「防御」を度外視、「攻撃」に特化した荒技だ。
「それが、お前の構えか」
竜王は聖斗の技は「鈍亀のひと突き」と見た。
(妙だな)
竜王は不思議でならない。この場面、聖斗は「奥義」で勝負を挑んでくることは間違いないと思ったからだ。だが、聖斗の構えは平突き。鈍亀のひと突きは確かに破壊力絶大の技だが、抜刀術よりも剣の速度において劣る技だ。しかも自分がよく知っている技であり、返し技を熟知している。
その答えを竜王は次のように判断した。
(そうか。聖斗はまだ奥義を会得していないのだな)
思えば、聖斗はまだ師匠と出会って一か月しか経っていないのだ。自分が何年も師匠の下で修業を重ねながら未だ「奥義を学んでいない」ことを思えば、聖斗が奥義を会得していなくても何の不思議もない。
(この勝負、勝った)
竜王は勝利を確信した。
「行くぞ」
聖斗に向かって竜王が走った。
「海鼠の嚏『青い波濤光』!」
竜王が草薙剣を抜いた。今までの海鼠の嚏を遥かに上回る超高速の抜刀術が横一文字に走る。それはまさに青い海と青い空を隔てる水平線を模した、究極の海鼠の嚏!
それに対し、聖斗は。
「やあっ」
聖斗が平突きの構えから聖を突き出した。やはり鈍亀のひと突き。互いの刃がぶつかり合う。
その直後、刃と刃が交わる点を支点に聖斗の体が反時計回りに回転した。
「やあああーっ」
聖が竜王の左肩から胸、そして右腹へと線を描く。
「鰯の竜巻!」
※
竜王山。
長年にわたり眠り続けていた剣の才能を自らの使命感に目覚めることによって開花させた聖斗は短期間のうちに海鼠の嚏をはじめ竜王が会得しているあらゆる技を習得した。
聖斗と師匠の前に、敵に見立てた藁人形が立っていた。
「砂滑。今から『奥義の伝授』を始める」
砂滑(すなめり)というのは聖斗の剣号である。聖斗は背が低く小柄なので砂滑が選ばれた。
「はい」
「この技はまず『平突きの構え』から始まる」
師匠が平突きを構える。
「そして敵を突く」
師匠が藁人形に剣を突き立てた。
「ここからが肝だ。普通は刀を後ろに引いて抜くのだが、逆に刀を前に押し込む。そして押し込んだ力を利用して自分の体を反時計回りに回転させ、そして」
師匠は体を反時計回りに一回転させたのち、刀を袈裟切りに振った。藁人形の頭が落ちる。
「これが奥義『鰯の竜巻』だ」
これは!?
「鰯は一匹だと非常に弱い。だが大群となって渦を巻いて泳ぐとき、いかなる大魚であってもこれを攻撃することは難しい。この技は『異体同心』の団結の大切さを示す竜宮の剣の極理ゆえに唯一、技の名前に『竜』の文字が使われている。仮に平突きを敵に受けられても、受けられたところを軸に回転すればいい。この技に隙は無い」
聖斗は驚きの表情を浮かべた。当然だ。この技は父の得意とする技「回転袈裟切り」に他ならない。
でも、どうして?
「ん、どうした?」
「師匠。僕は、この技を知っています」
「なに?」
「僕の父が、この技を使っていました。父は『師匠から伝授された』といっていました」
「その話、詳しく聞かせてくれないか」
聖斗は師匠に望のこと、そしてチェリーのことを話した。
「そうか。お前は『あの男』を師とする剣士の末裔だったのか」
「あなたはチェリーさんのことを知っているのですか?」
「直接会ったことはないが、話には聞いている。私の父が地上のとある渋谷の大学の教授だった頃、ひとりの大学生に遊び半分で教えたのだ。『投網(金縛りの術のこと)』が通じない、通常の地上の人間では有り得ない並外れた精神力の持ち主だったからだ。お前の話から推察するに恐らく、そいつがチェリーという男に違いない」
※
「ぐわあああ」
刃を軸に回転する際に支点に生じた莫大な力によって竜王が手にする草薙剣が二つに折れた。聖斗の繰り出す剣が生み出す破壊力が草薙剣の修復能力を上回ったのだ。
「ううう」
竜王は右手で左手を押さえながら、その場に立膝をついて蹲った。竜王は死んではいなかった。「殺さない」と決意する聖斗が繰り出した技は当然ながら峰打ちであった。
「相手を必ず殺す」と決意する相手に「殺さない」と決意する者が勝つ。こんなことがあり得るのだろうか?常識的には考えにくいことだ。
この戦いにおいては「志の違い」が大きく左右した。「背負っているものの重さ」が勝敗を決したのだ。
ともあれ、ここまで一方的にやられれば、さすがの竜王も「己の敗北」を自覚しないではいられなかった。
「なぜ・・・なぜ私を殺さない?」
それに対し、聖斗は。
「ぼくが師匠からお願いされたのは竜王を倒すことで、竜王を殺すことではない。それに」「それに、何だ?」
「僕には見える。あなたの『心の悲しみ』が。地上の人々の余りある『愚かさ』に、心の底から嘆き悲しむ、あなたの『魂の声』が」
「なっ」
「『地上の行く末』を案じられる、あなたの気持ちには感謝します。ですが、地上は『地涌の菩薩』が救済する土地。あなたの出る幕はありません。地上は竜宮城とは違い、永久に『仏と魔との闘い』が繰り広げられる闘争の地。そうした地にあっては、魔との闘いそのものが貴重な仏道修行の機会なのです」
「そうか・・・私は間違っていたのだな。我々竜宮城の人間は所詮『法華経の信者』ではあっても『法華経の行者』ではないということか」
聖斗は階段の上から闘いの全てを見届けた乙姫に拝謁した。
「乙姫様」
「聖斗といいましたね。お見事でした。よくぞ、お父様を殺さずに改心させてくれましたね」
「自分ではありません。竜王が心を取り戻したのは、父を思う『乙姫様の思い』が通じたからです」
「ところで、あなたは大丈夫なのですか?」
「『大丈夫』といいますと?」
「今度の戦いでは沢山のお仲間が亡くなりました。『胸が苦しい』のではありませんか?」
「それは」
冷静に振舞ってはいたが、事実は全く「その通り」であった。
ジミー、烈、フリップ、望、一磨、勇気、帆乃香、澄子、美音。
みんな、みんな死んでしまった。
「このような悲劇を二度と起こしてはなりません」
聖斗は、この言葉を絞り出すのが精一杯だった。聖斗は「煩悩即菩提」という法華経の精神に従って、竜宮城の人々に対する憎しみを押し殺し、怒りを必死に堪えていた。
「その通りです。そのためには地上と、ここ竜宮城とを完全に切り離し、二度と行き来できないようにしなくてはいけません。そして、それができるのは聖斗、あなただけです」
「といいますと」
「地上へ戻ったら、刀を亀岩の甲羅に突き立ててください。そうすれば亀岩は二度と人間を転送できなくなるでしょう」
「わかりました」
「女手鯛」
乙姫に呼ばれて再び女手鯛がやってきた。
「あなた方は三人の遺体を地上へ運んであげるのです」
「はい」
聖斗と乙姫、女手鯛が大通りを歩く。やがて一行は地上への転移が可能な地点に到着した。
「ここで、お別れです」
「はい」
「最後にこれを」
乙姫は紐で結ばれた箱を聖斗に渡した。
「これは?」
「『玉手箱』です。もしも、あなたが地上に戻られてから『悲しみ』に耐えられそうになかった時には、その箱を開けて下さい」
聖斗は玉手箱を受け取った。
「聖斗」
顔を洗い、治療を済ませた竜王が追ってきた。
「竜王」
「お前に渡すものがある」
そういって竜王が差し出したのは草薙剣。
「元々、地上のものだ。持っていくがいい」
先程、折ったはずなのに、その刃は既に元に戻っていた。さすがは草薙剣。
「お前には本当に世話になった。思えば最初に会った時、私は既に、お前に一目置いていた」
嘘ではない。崖から海に向かって飛び降りた聖斗の行動を竜王は確かに讃えていた。
「もう、会うことはないのだな」
「ええ」
別れ際、聖斗は竜王の顔をじっくりと見た。
(これが竜王の「本来の顔」なのだな)
聖斗と刃を交えた時とは一転、その顔には竜宮城の人々から慕われ、尊敬されるに相応しい君主としての威厳と優しさが確かに備わっていた。
「だが聖斗よ。この娑的爾(シャイダー)、お前のことは決して忘れぬ。ありがとう」
「それでは、さようなら」
聖斗と女手鯛の体が地上へ向かって転移した。
竜宮島に到着した。
女手鯛は三人の遺体を砂浜に横たえると聖斗に一礼してから直ちに地上の毒気を避けるために竜宮城へと戻った。
ひとり竜宮島に残った聖斗。聖斗は鞘から聖を抜いた。
「やあっ」
聖斗は亀岩の甲羅に聖を突き刺した。
聖の周りに青白い稲妻が走る。やがて稲妻は収まり、割れ目から白い煙が噴き上げてきた。亀岩のテレポーテーション機能はこれで完全に破壊された。もう二度と地上と竜宮城とは往来できない。
青い海が、どこまでも続く竜宮島。聖斗は砂浜に横たわる帆乃香、澄子、美音、望、一磨、勇気の遺体を量子に収容すると、銅鐸の塔へと帰還した。
銅鐸の塔。
リビングのソファにひとり座る聖斗。騒ぎが収まれば、悲しみがじわじわと込み上げてくるのは道理だ。
この先、どうすればいい?大切な仲間も、愛する女性も、みんな死んでしまった。
聖斗はテーブルの上に置かれた玉手箱を眺めた。聖斗は別れ際、乙姫が語っていた言葉を思い返していた。
(もしも、あなたが『悲しみ』に耐えられそうになかった時には、その箱を開けて下さい)
まさに今が「その時」だ。
だが、この箱を開けたら何が起こるのだろう?浦島太郎の物語では、白い煙が立ち上り、浦島太郎はおじいさんになってしまった。自分もそうなるのだろうか?因みに地上は未来にはなっていない。したがって歳を取る理由はない。けれど、もしも仮におじいさんになった場合には悲しみを抱いて生きる時間が短くなることは確かだ。
「ええい、どうにでもなれ」
聖斗は玉手箱を開いた。
物語の通り、中からは白い煙が立ち上り、聖斗の体を包み込んだ。
「うわああああっ」
※
「うう」
気を失っていた聖斗の意識が回復した。
「そ、そうだ」
聖斗は鏡で自分の顔を確認した。
「何も変わってない」
聖斗の年齢はそのままだった。何だ?ただの虚仮脅しだったのか。
そう思った時。
リビングの扉が開いた。
「おっ、聖斗。いたのか」
そう言いながら入ってきたのは望だった。
「と、父さん?」
「どうした聖斗。何を驚いてるんだ?」
「これって、まさか」
聖斗は新聞を取り上げた。
「ふた月前だ」
新聞の日付は、ふた月前のものであった。
そう。この玉手箱は時間を巻き戻す装置だったのだ。地上は「事件が起きる前」に戻ったのだ。
「父さん、父さーん!」
聖斗は望に抱きついた。
「何だ聖斗、気持ち悪いな」
「父さん、父さん」
やがて帆乃香、烈、勇気も入ってきた。
「どうした聖斗。何、泣いてるんだ」
「局長!烈さん!勇気さん!」
みんな生きてる。みんな生きてる。聖斗は嬉しくてならない。こんなに嬉しかったこと、今までにあっただろうか?
「みんな、今日の聖斗、何かおかしいんだ。いきなり自分に抱きついてきてさ」
「ソフトクリームタワーは今日から営業開始です」
首相をはじめ地元の人たちが最上階の展望室から東京湾や房総半島を眺める。
その翌日の深夜には。
「和希子様」
烈が、いつものように首相官邸に「夜這い」にやってきた。
「勇気、今日から秋の全国交通安全週間が始まる。気を引き締めて任務に当たってくれ」
「了解」
ジミーと勇気は警視庁の職務に追われる毎日。
更には。
「久しぶりじゃな、みんな元気にしとったか?」
「何、その車?三輪車なの」
「イカすじゃろう」
フリップがイギリスからやってきた。どうやら新車の自慢のためのようだ。
いつもと何も変わらない日々。唯一変わったのは。
「聖斗、頑張れー」
「いけー、聖斗ー」
澄子と美音が聖斗に声援を送る。
「やあっ」
聖斗の竹刀が相手の面に奇麗に入った。
「うわっ、やられた」
「へへへ」
「いつの間に、こんなに強くなった?聖斗」
試合形式の剣術稽古。やられたのは何と望。
「さあ、いつでしょうねえ」
負けた望を久方ぶりに銅鐸の塔に来た一磨が揶揄う。
「腕が落ちたんじゃないのか、望?」
「そんなバカな」
「それとも、もう『お年』かな?」
「くそう、もう一回勝負だ、聖斗」
「はい、父さん」
この平和が、いつまでも続きますように。
事件のことを知っているのは、聖斗と竜宮城の人々と、そして読者だけ。
竜宮城
そこは海の底に広がる「理想郷」
ここには
嵐も洪水もなければ
土砂災害も地震も
飢饉も疫病もない
信頼や友情といった
「善良な心」のみが存在し
驕りや嫉妬といった
「疚しい心」など微塵もない
人が人を思いやり
人と人とが愛し合う「慈悲の世界」
正しい教えが
全ての人々によって信じられているがゆえに
地上に暮らす人類が
未だ嘗て一度として実現したことのない
「平和な世界」を
何千年にもわたって続けている世界
そう
それが竜宮城
- つづく
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